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なまぐさ坊主の聖地巡礼

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ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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世界史のミラクルワールドー17人の子を亡くした女王・アン女王

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ウィリアム3世とメアリ2世

 名誉革命で即位したメアリとその夫ウィリアム3世には子がなかったので、将来、王位継承問題が起こらないようにするため、1701年に王位継承法を定め「ステュアート家の血を引く者、具体的にはジェームズ1世の孫娘のハノーファー選帝侯妃(ゾフィー)かその直系卑属にしか王位継承権はない」と定めていた。しかも王位継承者はイギリス国教会の信者であること、それを擁護することを誓わなければならなかった。

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アン女王

 1702年、ウィリアム3世が死去し、王位継承法の規定に従って、メアリの妹アンが即位した。アンはジェームズ1世の曾孫にあたり、国教会信者であった。

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ヨウエン(ジョージ)

 アンは1683年にデンマーク王の次男ヨウエン(英語名ジョージ)と結婚した。夫婦仲はよく、毎年のように妊娠したが、双子を含め6回の流産、6回の死産を経験した。1685年に産まれたメアリ、1686年に産まれたアン=ソフィアは2年も経たないうちに天然痘で命を落としている。1690年に産まれた女児、1692年に産まれた男児もそれぞれ生後数時間で死亡している。

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アンとウィリアム

 1689年生まれの王子ウィリアムは唯一成長した子であったが、生来の水頭症に苦しみ、1700年、11歳の時に猩紅熱で命を落とすことになった。その年にアンは17回目の妊娠で男児を死産した。

 子供を次々と失った悲しみでアンは酒におぼれ、37歳で王位についたときも肥満ゆえに歩行がままならず、加えて痛風に悩まされるという惨憺たるありさまだった。彼女はブランデー好きであったことから、ブランデー=ナンの異名でしられるが、肥満の原因はブランデーだったとされている。アン女王は1714年に49歳で亡くなったが、棺桶は正方形に近いものだったという。

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スペイン継承戦争

 アン女王の時にイギリスは、ヨーロッパでは1701年からのスペイン継承戦争と北米植民地では1702年からのアン女王戦争で、フランスに対する勝利を収め、イギリス革命の混乱を克服して発展を継承させた。スペイン継承戦争ではアン女王も自ら戦場に赴き、軍を激励したという。また、1707年には、イングランド王国がスコットランド王国を併合して大ブリテン王国が成立し、名実ともにイギリス王となった。

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セント=ジョージ旗

 ここで、イギリス国旗の変遷について整理しておこう。

 イングランドでは写真のセント=ジョージ旗が王章などに用いられていた。聖ジョージは小アジアの人で303年ごろ、ディオクレティアヌス帝の弾圧の時に殉教して聖人に列せられた。伝説上の人物でとくに「龍退治」で有名。イングランドに来た証拠はないが、古くから信仰され、守護聖人として崇拝されるようになり、その象徴であるレッド=クロスが、1277年にエドワード1世によって国旗に採用された。エドワード1世はこのセント=ジョージ旗を掲げ、スコットランドやウェールズに盛んに軍事遠征を行った。

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セント=アンドリュー旗

  スコットランドのセント=アンドリュー旗。聖アンドリュースはガリラヤの漁師からキリストの使徒となり、伝道の途中、紀元69年にギリシア南部で殉教した人物で、その処刑の時に使われた十字架が斜め十字の形だったことから、それが聖人の印とされるようになったという。8世紀ごろ、スコットランド王の頭上の青空に白い斜め十字が現れ、戦いに勝ったことから、聖アンドリューがスコットランドの守護聖人となった。その後、セント=アンドリュー旗は、スコットランドの象徴として定着し、長く用いられた。

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最初のユニオン=フラッグ

 1603年、イングランドとスコットランドが同君連合となった時、国王の紋章、国旗をどうするかが問題となった。特に海上の艦隊旗は2国に共通の旗を使わなければ混乱が生じるという恐れが出てきた。新たな統一旗の試作がいくつか現れたが、結局、1606年にイングランドのセント=ジョージ旗の下にスコットランドのセント=アンドリュー旗を重ねるという形が最初のユニオン=フラッグとして落ち着いた。

 こうして最初のユニオン=フラッグは海洋進出を活発にしていたイギリス海軍の艦隊旗として用いられるようになり、艦隊旗を意味するユニオン=ジャックと呼ばれるようになり、1707年に大ブリテン王国が成立した後も継続して用いられた。


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セント=パトリック旗

 1801年、大ブリテンおよびアイルランド連合王国が成立したことによって、アイルランドを組み込んだ新たな国旗を作成する必要が出てきた。アイルランドはそれ以前にヘンリ2世やクロムウェルの軍事遠征で事実上イングランドの支配を受けていたが、法的に完全な併合には至っていなかったので、国旗に反映することはなかった。王章にはアイルランドを示す竪琴が書き入れられていた。1801年に採り入れられた一般にセント=パトリック旗実はそれまで存在せず、このとき考案された図案に、4世紀にアイルランドにキリスト教を布教したことで知られ、アイルランドの守護聖人とされていた聖パトリックの名をあてたに過ぎなかった。

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ユニオン=フラッグ

 新たにアイルランドの旗として作られたセント=パトリック旗はそれまでのユニオンフラッグと組み合わせることができるように赤の斜め十字とされた。しかしそれを組み合わせるにあたって難問は、イングランドよりは格下であることを示し、しかもスコットランドとは同格であること、をいかにして示すか、という点だった。

 それを解決したのが、カウンターチェンジの技法である。それは白(スコットランド)と赤(アイルランド)の斜め十字を同じ幅とし、その上下関係を旗の左半分と右半分を逆にすることによって、両者が同等な扱いとされるという技法である。ユニオン=フラッグをよく見ると、斜めの線の赤白の置き方に左右の違いが見られるのはそのためである。

 このようにユニオン=フラッグ(ユニオン=ジャック)はイギリスがイングランド・スコットランド・アイルランド(北アイルランド)(ウェールズの象徴は国旗には現れていない)からなる「連合王国」の国旗として、そのバランスをとることを巧妙に工夫したデザインであることが判る。


 
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 スコットランド独立後の新国旗案の一つ

   2014年9月18日に、スコットランドのイギリスからの独立の是非を問う住民投票が開催されることが決定すると、「もしスコットランドが独立すると、イギリスの国旗は変更されるのではないか」ということが現実味を帯びてきた。 もしユニオン=フラッグから「スコットランドの国旗の部分を外す」と、赤白青の三色のうち青の部分が消えるために、300年以上親しまれた旗の意匠が大幅な変更となる。「新国旗案」がイギリスのメディアで取り上げられたが、幸か不幸か、スコットランドの独立は住民投票で否決されたので、事なきを得た。

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テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2020/07/03 05:34 】

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