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なまぐさ坊主の聖地巡礼

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ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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世界史のミラクルワールドー革命に生きた新教詩人・ミルトン

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ミルトン

 ミルトンは1608年12月9日にロンドンでピューリタンの家に生まれた。父親は公証人兼金融業者であり、家は裕福であった。

 1625年、ミルトンはケンブリッジ大学のクライスト=カレッジに入学した。学生時代は、「キリストの淑女」「貴婦人」とあだ名され、女性と見紛われるほど、端麗な容姿・容貌であった。在学時から詩作にとりかかったが、本格的に活動を始めたのは大学卒業後である。父の援助で別荘を借り、6年間詩の創作に耽った。

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ガリレイを訪ねるミルトン

 1638年、母と死別したミルトンは、フランス・イタリアなどヨーロッパ諸国を1年かけて周り見聞を広めた。グロティウスやガリレイに会い、カルヴァン主義の都ジュネーヴも訪ね知識を拡げたが、その根幹には強いピューリタンとしての信仰があった。

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チャールズ1世

 この頃イングランドでは、国王チャールズ1世がスコットランドに国教会を強制したため反乱が勃発、1640年4月に11年ぶりに議会を召集して戦費捻出をはかったが失敗。11月には再度議会を召集したものの議会派から強い反発を受け、1642年ついに王党派との内戦が勃発した。

 このピューリタン革命は、ミルトンにも大きく影響を及ぼした。帰国後のミルトンは、国内の動揺を肌で感じ取り、しばらく詩作を中断、一人のピューリタン信仰者として論争を展開、宗教改革の必要をもとに、多くの散文を執筆してイングランド国教会への非難を主張した。

メアリ=パウエル 
メアリ=ポウエルとの出会い

 革命勃発の年、34歳のミルトンは17歳のメアリー=ポウエルと最初の結婚を果たした。4人(1男3女)の子宝にも恵まれたが、家庭を持つことになれず、翌年に夫婦は別居生活となってしまった。

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オリヴァー=クロムウェル

 このときミルトンは離婚の教義や人生の自由についての論文を執筆している。女性が不幸な結婚をしながら教会の離婚禁止の規則に縛られていることを批判し、『離婚論』を著して離婚の自由を主張した。国教会と長老派の多かった議会はこの書を焚書に指定したほどである。

 大きな批判を浴びたミルトンは、当時の王政を批判して革命を成し遂げようとし、王権削減を主張する独立派に加入した。独立派は、あのオリヴァー=クロムウェルが指導していたグループである。

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チャールズ1世の処刑

 議会派がネーズビーの戦いで国王軍を破り、チャールズ1世が処刑されイギリスに共和政がもたらされたが、国王処刑を非難する声も起こった。それに対してミルトンは『国王及び行政者たるものの条件』を書いて「政権を持つものが暴君の責任を追及して、正式な裁判後にこれを廃し、死刑に処すことは合法である」として国王死刑を弁護した。

 クロムウェルはミルトンを外国語秘書官に任命した。しかし、国王処刑に対する非難はくすぶり、チャールズの遺書という偽文書が出版さて彼を宗教上の殉教者に仕立て上げるような論調も出てきた。ミルトンはそれらに反駁する書を次々と発表し、その名声はヨーロッパ全体に広がったが、前から悪かった眼病が過労によってさらに進み、1652年頃にはついに失明してしまう。また同年には離別した妻メアリーと長男に先立たれた。

 こうした中、クロムウェルは長期議会を解散、終身の護国卿に就任した。権力をにぎったクロムウェルが次第に独裁的になると、ミルトンはクロムウェルに対しても批判的になった。1660年の王政復古後は「国王殺し」の一人として捕らえられ、処刑は免れたものの獄中生活を送った。

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『失楽園』を口述筆記するミルトン

 1663年、ミルトンは詩人としての活動を再始動した。盲目の身であるため、口述による詩作活動となったが、政界にいたよりも充実していた。三度目の結婚生活は成功し、彼の詩作は大作へと展開していった。こうして1667年、ミルトンの代表作であり、ピューリタン文学における不朽の傑作と謳われた一大叙事詩『失楽園』が誕生したのである。

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『失楽園』の挿絵

 『失楽園』はアダムとイヴが悪魔(サタン)の誘惑に負けて禁断の木の実を食べてしまい、楽園を追放されるという『旧約聖書』に題材をとった長編叙事詩で、荒野を彷徨う二人がやがて神の恩寵により、救いを見出すという壮大な構成になっている。このように『失楽園』はキリスト教の根本にある原罪をテーマとしているが、その行間に人間の現実社会や政治に対する幻滅や悲観、そして軽蔑の念が盛り込まれ、警告の書ともなっている。

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テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2020/08/21 05:27 】

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