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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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世界史のミラクルワールドー震える人々・クウェーカー教徒

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ジョージ=フォックス

  クウェーカーは17世紀にピューリタン革命(イングランド内戦)の中で発生したプロテスタントの一派で、ジョージ=フォックスによって興された。正式名称はキリスト友会(Friends)で、 教会の制度化・儀式化に反対し、神を知り、神を信じるには教会も牧師も儀式もいらないと主張した。

 また霊的体験を重んじ、激しい熱情をもって祈り、神の言葉を直接聞いて感動に身を震わせる(quake)という信仰の形態から、クウェーカー(震える人)と呼ばれるようになった。

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18世紀のロンドンにおけるクウェーカーの集会

 ピューリタン革命後のイギリスで、1660年にチャールズ2世が即位して王政復古の時期となると、イギリス国教会が権力を回復し、ピューリタン各派の信仰は再び認められなくなったが、特にクウェーカーは厳しく弾圧された。教会制度と儀式を重んじる国教会が、それらを否定するクウェーカーを最も嫌ったからであると同時に、クウェーカーが社会の最下層民に拡がっていたからであった。

 1662年にはクウェーカー法が発布され、5人以上のクウェーカーが集会すれば処罰されることになった。彼らの集会は軍隊によって追い散らされ、ある時は男も女も上衣をはがれ、町のなかで裸の背中を打たれた。ロンドンだけでも1年に2000人以上のクウェーカーが投獄された。
 
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武具を身に着けた22歳のウィリアム=ペン

 クウェーカーはイギリス本国だけでなく、北アメリカでもニューインゴランドやニューヨークでも投獄され、殴打された。マサチューセッツ湾では信仰を捨てなかったために処刑されたクウェーカーもいる。

 クウェーカーが安全に暮らし信仰を守れる安住の地として、ペンシルヴェニア植民地を建設したのがウィリアム=ペンである。

 ウィリアム=ペン(1644~1718年)は有名な海軍提督の息子で名門の子弟であったが、23歳の時にクウェーカーの信仰に入り、1668年に国教会を批判するパンフレットを書いて逮捕・投獄され、翌年7月にチャールズ2世・ヨーク公兄弟の取り成しで釈放されるまでの7ヶ月間ロンドン塔に監禁された。


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チャールズ2世

 クウェーカーに対する迫害が厳しくなる中、イギリスから離れて北アメリカに新しい自由な新天地を求める気持ちが強くなったペンは、1680年6月にチャールズ2世に手紙を書いて提出した。チャールズ2世はペンの父に1万6000ポンドもの借金があり、そこに狙いをつけたペンは借金の代わりにアメリカの土地を譲渡してもらうように願い出たのである。

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 数ヶ月におよぶ会議や委員会を通し、ヨーク公やサンダーランド伯など友人の支持もあり、1681年3月4日に2900万エーカーにもなるニュージャージーの広大な西部地区と南部地区を保証することで弁済に当てたチャールズ2世の国璽付き特許状がペンに送付され、晴れてこの地の領主となった。

 ペンはこの領地をシルヴェニア(Sylvania、ラテン語で「森の国」)と名付けたが、チャールズ2世は彼の父に敬意を表してこれを「ペンシルヴェニア(ペンの森の国)」と改めた。ペンシルヴェニアはペン家を領主とする領主植民地であり、入植者はペン家に地代を支払わなければならなかった。

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インディアンと条約を結ぶペン

 1682年11月、総督として新天地に到着すると、デラウェア川のほとりでインディアンの首長と会見し、友愛をもって共存すること、武器を取って争わないという条約を結び、事実ペンシルヴェニアではその後もクウェーカーの血は一滴も流されなかった。

  ウィリアム=ペンは国家による宗教の強制を嫌い、住民への信仰の自由と経済活動の自由を認め、みずから先頭に立って開拓にあたった。そのため、クウェーカー教徒の他に、ドイツやオランダ、スコットランドなどからプロテスタント系の移民が多数、入植した。

 また、ペンはインディアンに対しても同等の人間として接し、暴力でその土地を奪うことはなかった。彼が建設した州都がフィラデルフィアであり、それは「友愛」と言う意味のギリシア語にちなんでいる。

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新渡戸稲造

 イギリスのクウェーカー教徒は、18世紀後半に盛んになった黒人奴隷貿易禁止運動を起こし、1807年にそれを実現させた。現在でも世界に約60万、アメリカ合衆国に12万、イギリスに4万の信者がいる。日本人では国際連盟の事務局次長を務め、『武士道』などの著作でも知られる新渡戸稲造が知られている。

 なお、クウェーカー教徒は徹底した平和主義を貫き、たとえ徴兵されても絶対に武器を取らないとう姿勢は、多くの苦難を浴びることとなったが、1947年にはノーベル平和賞を受賞している。

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テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2020/09/01 05:36 】

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