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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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世界史のミラクルワールドーインディアンの姫・ポカホンタス

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ジェームズタウン

 北アメリカ大陸において、イギリスによる本格的な植民が始まったのは、16世紀末である。ウォルター=ローリーにより、1585年と1587年にロアノーク島への植民の試みがなされた。ローリーはアメリカ植民地を建設する計画を宣言し、国王エリザベス1世から土地を与えられた。彼はその土地を、処女王エリザベスにちなんで「ヴァージニア」と命名した。しかし、ロアノーク島に送り込まれた入植隊はその後、行方不明となり、計画は失敗に終わった。

 1606年、新たにヴァージニア会社が設立され、同年12月、最初の植民者105人を北アメリカ大陸に送った渡航者104名(1名は死亡した)を乗せた3隻の船は、翌1607年4月26日、ヘンリー岬に到着した。植民者たちは入植に適した土地を求めてジェームズ川をさかのぼり、5月13日、河口から約48キロメートルさかのぼった地点に上陸した。彼らはそこを入植地と定め、国王ジェームズ1世にちなんでジェームズタウンと命名した。

 入植からわずか半年あまりで、入植者は飢えとマラリアで半分以下に減少した。1608年には38人にまで減少した。そのような混乱の中にあった入植者を救ったのは、ポウハタン族インディアンであった。ポウハタン族は「すべてを分け合う」というインディアンの理念に基づき、飢えた白人侵略者たちに食料や水を与え、彼らを援助した。

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ポカホンタス

 ポカホンタスは1595年ごろ、ジェームズタウン一帯を領土とする「ポウハタン連邦」の高名な調停者ポウハタン酋長(本名はワフンスナコク)の娘として生まれた。本名はマトアカ(またはマトワ)で、「ポカホンタス」とは「お転婆」を意味する幼少時のあだ名である。

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ジョン=スミス

 ヴァージニア植民地の植民請負人は、ジョン=スミスというイギリス人であった。スミスは元兵士で船乗りであり、ヴァージニア会社に参加してジェームズタウンの建設にかかわり、その後植民指導者になった人物である。

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ポカホンタスがスミスを救う

 スミスはポカホンタス死後の1624年以後「1607年12月に、川を遡ってインディアンの土地を物色していたところ、ポウハタン族に拉致連行され、ポカホンタスの父ポウハタン酋長に処刑されかけたが、その時酋長の娘ポカホンタスが彼の前に身を投げ出して命乞いをしてくれ、おかげで無事生還できた」という武勇伝を書くようになったが、おそらくスミスの作り話だと考えられている。
 このインディアンの社会システムを無視した「美談」は合衆国の教科書にまで載せられ、現在もあたかも真実のように語られている。これ以降、ポカホンタスは「白人を救った“良いインディアン”」の象徴として祭り上げられ、インディアンたちに現在も禍根を残している。

 スミスが植民地報告書に書いた「美談」は、ロンドン政府にジョン・スミスを部族の「友人」として納得させるための象徴的なエピソードとして使われた節があると主張する者もいる。19世紀までに「野蛮な酋長から白人を救った」ポカホンタスはアメリカ合衆国において重要な象徴的存在となり、彼女を巡る多くのロマンス小説は、洗礼前から「自分たちの文化と似通った振る舞いをする友好的なネイティブアメリカン」として彼女を描いた。

 ヴァージニアの入植者は当初は友好的であったが、食糧危機に直面した1610年からインディアンの村を襲撃するようになり、インディアン側も反撃したが次第に排除されていった。 

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美化されて描かれたポカホンタスの洗礼

 1612年、植民者たちはポウハタン酋長の娘であるポカホンタスを人質にとれば、ポウハタン族は屈服するだろうと考え、ポウハタン族に捕らわれたジェームズタウン入植者の身代わりとしてポカホンタスを誘拐した。ジェームズタウンで人質となった彼女の解放条件として侵略者たちがポウハタン族に提示したのは「イギリス人捕虜の解放」「盗まれた武器の返還」「トウモロコシによる多額の賠償の支払い」という条件だった。

 彼らはポカホンタスを通訳として役立てようと、解放の条件として英語を教えた。さらにジェームズタウンにキリスト教教会を2棟作ったアレクサンダー=ウィテカーよりキリスト教の洗礼を受けさせられた。

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ジョン=ロルフとポカホンタス

 人質だったこの時期に、ポカホンタスはヴァージニアにタバコ会社を設立した白人のジョン=ロルフに目をつけられた。ロルフは妻を亡くし、独り身だった。

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ロルフとの結婚式

 1614年4月5日、ポカホンタスはロルフと結婚し、マトアカの名を「レベッカ=ロルフ」と変えた。らはジェームズ川のヘンリカス入植地の対岸にあるロルフのプランテーション「ヴァリナ農場」で生活した。ロルフはポカホンタスに助けられ、ジェームズタウンで初めてタバコの栽培と乾燥に成功する。彼らの結婚生活は白人が期待した捕虜の奪還につながらなかったが、それでもジェームズタウンとポウハタン族の間に数年間の和平をもたらした。

 ヴァリナ農場で、ポカホンタスはトーマス=ロルフを生んだが、ポカホンタスは姉たちに「トーマスはロルフの実子ではない」と説明している。

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ポカホンタス(ディズニーアニメより)

  ヴァージニア植民地の出資者たちは、ジェームズタウンでの入植事業が困難になったことを悟った。そこでポカホンタスを「マーケティングのための材料」にした、これが後世に渡って彼女の知名度が高い理由の一端でもある。1616年、彼女と夫ロルフは大英帝国に連れられ、1617年までの間ブレントフォードに住み、ジェームズ1世とその家臣たちに謁見した。彼女はそこで「ネイティブアメリカンの姫」と紹介され、大英帝国にセンセーションを巻き起こした。ポカホンタスは、「新世界アメリカ」の最初の国際的有名人となった。

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「聖ジョージ教会」に建てられた銅像

 ロルフはヴァージニアに戻ってタバコ栽培をすることを熱望した。ロルフ一行がジェームズタウンへ帰る船旅の途中イギリスのケント州グレーブゼンドでポカホンタスは病気になり23歳前後で死去した。病気は天然痘・肺炎・結核など資料により異なる。

 ポウハタン族とその氏族のひとつマッタポニ族はポカホンタスの死因について、当時の状況から毒殺された形跡を指摘している。ロルフはポカホンタスを妻にしたが、息子のトーマスは彼の実の子ではなかったし、ロルフは病身のポカホンタスにさっさと見切りをつけてイギリスを離れたがっていたとされる。


 ポカホンタスの葬式はグレーブゼンドの「聖ジョージ教会」で1617年3月21日に行われた。のちに教会が改装される際に彼女の墓は壊され、現存していない。現在、同教会の敷地には、彼女の銅像が設置されている。ポカホンタスの葬式が終わると、ロルフは幼いトーマスをイギリスに独り残し、単身ヴァージニアに戻り再婚した。

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テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2020/09/04 05:21 】

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