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なまぐさ坊主の聖地巡礼

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ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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世界史のミラクルワールドー正義なき戦争・アヘン戦争③

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馬蹄銀

 アヘン流入量が急増すると同時に、アメリカ商人が銀ではなくアメリカ手形で茶貿易を決済するようになった結果、1827年頃から銀が中国から流出しだした。

 当時、中国には馬蹄銀のような秤量【しょうりょう】貨幣としての銀と、鋳造貨幣としての銅銭が流通し、法定レートでは、銀1両(約37.3グラム)が銅銭1000文に相当した。しかし、銀が中国から流出しだした結果、銀高銅安となり、銀1両=銅銭2000文となった。

 農民が作物を売って受け取る日常の通貨は銅銭であるが、地丁銀制により税は銀で納めることになっていた。したがって銀価の高騰は事実上の増税となって納税者を苦しめ、結局、税収の減少となって清朝の財政にも深刻な打撃を与えた。

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カントン港

 今や何よりも経済・財政上の大問題となったアヘン問題に対して、清朝は早急に解決策を見いださねばならなくなった。その解決策はまずカントンから提議された。カントンはもともと欧米諸国との貿易が認められた唯一の港であったが、1830年代に入るとアヘンの密輸場所はカントン沖合の島々ばかりでなく、海岸沿いに北上し、密貿易の50%を占めるようになっていた。

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ジャーディン(左)とマセソン

 この沿岸アヘン貿易を繰り広げたのは、ジャーディンとマセソンという二人のイギリス商人であった。二人は共同してカントンに商会をつくり、沿岸航海を行って、1839年までに長江河口一帯にかけてアヘン貿易の拠点を広げた。

 そこで、カントンの官僚、商人、知識人はアヘンがらみの利益を独占するために、アヘン貿易の合法化を構想するようになる。こうしたカントンのアヘン貿易合法化構想は1836年に太常寺少卿・許乃済【きょだいさい】によって正式に提案された。具体的には、アヘン貿易の物々交換方式による合法化、一般民間人によるアヘン吸引の合法化、国内におけるケシ栽培・アヘン製造の合法化が提案された。

 しかし、合法化提案はあまりにもカントンの利益を優先したものであったため、カントン以外からの賛成者を得ることができず、反対上奏が相次いで、結局、葬り去られた。


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黄爵滋

 その2年後の1838年に、今度は鴻臚【こうろ】寺卿・黄爵滋がアヘン吸引者死刑を提案した。彼によれば、アヘンを吸う者がいるから売る者がおり、売る者がいるからアヘンは輸入されて、その結果として銀が中国から流出している。

 したがって、アヘン吸引者をなくすことが大事で、そのためには1年の猶予期間を与えた上で、アヘン吸引者に対してアヘンの禁断症状よりもきつい刑罰、つまり死刑を設定するしかないと言う。

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道光帝

 提案を受けた道光帝は、アヘン吸引者死刑論に対する意見を総督、巡撫などの地方大官に求めた。その結果、合計29名から答申があったが、死刑論に反対が21名、賛成はわずか8名に過ぎなかった。

 反対の理由は、アヘンを吸引しただけで死刑というのでは、法体系上のバランスを欠くという法律論と、実際に何百万人ものアヘン吸引者を死刑にはできないという現実論であった。

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林則徐

 少数派の賛成者には、改革派の官僚が多かった。彼らはアヘン問題をむしろ国内問題、すなわち国内での諸改革を阻んでいる官僚の腐敗を是正するための突破口にしたいと考えていた。そうした改革派官僚のリーダー格だったのが、湖広総督の林則徐である。内容が非常に具体的で説得力のある林の賛成上奏を読んだ道光帝は彼を都の北京に呼びつけた。

 この時、道光帝はアヘン貿易の禁絶、つまり「外禁」を断行しようと決意していた。しかし、これまでの経緯から判断して、その任務をカントン官僚に期待できないことも道光帝は承知していた。アヘン問題に対して真面目に取り組んでいる林則徐以外に適任者はいない。

 彼はそう考えて、林則徐に欽差大臣(特命全権大臣)としてカントンに赴きアヘン貿易を禁絶せよと命じた。

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アヘンを処分する林則徐

 1839年3月にカントンに着任すると、林則徐は「外禁」を断行するために、アヘン商人に対して2つのことを要求した。第1に、現在持っているアヘンをすべて提出すること。そして第2に、将来、永遠にアヘンを中国に持ち込まないという誓約書を提出すること。

 最初は渋っていたアヘン商人も、林則徐が外国人居留区域を封鎖して圧力を加えると、ついに屈して2万291箱のアヘンを提出した。そこで林は珠江河口近くの高台に人口の池を2つ造り、そのなかでアヘンを塩水、石灰と混ぜて化学的に焼却する方法で、没収アヘン全部を20日あまりかけて処分した。

 アヘンの処分作業は衆人環視のもとで行われ、そのなかにはカントン滞在中の外国人の姿も見られた。また、珠江を上下する外国船の船上からも処分の模様が望視できるよう、林はわざわざ河口近くの高台を処分の場所に選んだのである。

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エリオット

 アヘンの提出という第1の要求事項が、思いのほか順調に進んだ結果、道光帝も林則徐も事態をやや楽観していた。しかし、現実は予想に反して、イギリス商人は第2の要求事項である誓約書の提出を頑なに拒否しつづける。

 イギリスの貿易監督官エリオットは、カントンのアヘン貿易合法化論が葬り去られた頃から、イギリス政府に砲艦政策を進言するようになっていた。そこに今回、林則徐によって「外禁」が断行されたのである。

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パーマストン

 アヘン商人がアヘン2万余箱の提出に応じた際、エリオットはその代価をイギリス政府が支払うと約束した。これは彼の越権行為であった。そこで、彼は外相パーマストンに対して、自分の行動を正当化するためにも、林則徐が取った一連の措置はイギリス人の生命と財産を危険にさらした不法なものであり、アヘンはいわば身代金として引き渡したと報告すると同時に、中国に対する砲艦政策の実施を進言した。

 その後、カントンではイギリス人による中国人殺害事件発生などもあって、海上での武力衝突が起こり、中英間の緊張はしだいに高まっていった。(つづく)

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テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2021/01/29 05:28 】

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