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なまぐさ坊主の聖地巡礼

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ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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世界史のミラクルワールドー新聞が起こした米西戦争・マッキンリー①

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マッキンリー

 マッキンリーは1843年にオハイオ州ナイルズに生まれ、同地で教師をしたのち南北戦争に北部側で従軍。少佐で除隊し、法律を学びなおして弁護士を開業した。

 共和党の活動に参加、下院議員となり、下院歳入委員長として保護関税政策をとって「マッキンリー関税法を成立させた。1896年にオハイオ州知事から大統領選挙に出馬、共和党と資本家の提携に成功して勝利を得た。

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マッキンリーのキャンペーンバッジ

 現代のアメリカの大統領選挙では、候補者のキャンペーンバッジが盛んに使われている。それが登場したのが1896年の大統領選挙で、共和党のマッキンリーと民主党のブライアンが、ニュージャージー州の徽章業者ホワイトヘッド&ホーグ社が作ったものを使ってからであった。

 小さな肖像写真をセルロイドのシートで覆い、裏側に金属のリングをはめてボタンに固定するもので、直径1インチ(2.54センチ)程度のものだった。大統領ひとりだけのものと正副大統領を並べたもの(上の写真)があった。

 1900年の大統領選挙でもマッキンリーはキャンペーンバッジを作っている。これ以後、どの候補者にとってもバッジはなくてはならない選挙アイテムとなった。

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カメハメハ王

 マッキンリー大統領の外交政策は、19世紀末の帝国主義列強の中でも際だって積極的な海外進出であり、アメリカが帝国化する画期となった。

 まず、1898年にハワイを併合する。ハワイは1778年にイギリスのジェームス=クックが発見。1795年から1810年までに初代カメハメハ王がハワイ諸島を統一して「ハワイ王国」を建設した。ハワイ王国は立憲君主政をとり、諸外国とも外交関係を持つ独立国家であった。

 ちなみに、「カ・メハメハ」はハワイ語で「孤独な人」、「静かな人」の意である。

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リリウオカラニ

  ハワイは長い間、ヨーロッパ列強と日本が狙っていた。アメリカ人宣教師は19世紀初頭、すでに渡来し、アメリカ人は砂糖利権の開発に参加していた。19世紀の終わり、アメリカ人は土着の支配者の政治に不満を持つようになり、1893年彼らはリリウオカラニ女王に対し反乱をおこし、彼女に退位をせまり、共和政をうちたてた。

 彼らはハリスン大統領の時、アメリカとの併合を交渉し始めた。しかし民主党クリーブランド大統領は帝国主義的併合をきらい、その計画を阻止した。1897年6月マッキンリー大統領はアメリカ人の支配下にあるハワイ政府と2度目の併合条約を結び、その批准を待つうち、スペインとの戦争が始まった。

 併合推進者たちはその計画が挫折するのを恐れ、条約という形ではなく両院における合同決議という形で1898年7月7日可決させ、それを待って8月12日ハワイは正式に併合された。その後1900年に准州として政府形態を与えられる。

 ちなみに、リリウオカラニは皆さんご存じの「アロハオエ」の作曲者としれも知られている。

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爆沈するメイン号

 1898年2月、当時スペイン領だったキューバのハバナ沖に停泊していたアメリカの軍艦メイン号が突然爆沈し、266名の乗組員が死亡した(この中には8名の日本人コックとボーイが含まれていた)。

 爆沈の原因は明らかではないが、アメリカ国内の世論はスペインの謀略であるという見方が強くなった。

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当時の新聞記事

 この頃アメリカで生まれた新聞は、部数拡大のために、事実の裏付けのない記事を載せていた。他の新聞より多く売りたいために誇大な見出しを付け、口調はエスカレートする。

 当時、2大イエローペーパーといわれたのが、今もアメリカのマスコミ界に君臨するハースト系の「ジャーナル」紙と、優れたジャーナリズム活動に贈る賞に名が残るピュリッツァーの「ワールド」紙である。

 ピュリッツアーは、「この時は戦争になって欲しかった。大規模な戦争ではなくて、新聞社の経営に利益をもたらすほどのものを」と公然と語っている。

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メイン号と爆沈した後のメイン号(右)

 ハーストは早くから、有名なジャーナリストを特派員としてハバナに派遣していた。この特派員は「一発の銃声も聞かないので、帰国しようと思う」と連絡をしてきたが、ハーストは「しばらく待て。私が戦争を用意する」と電報を打ち、「本紙の特派員は、キューバ反乱軍に接触した」と、嘘の記事を掲載する。

 こうして、「メイン号を忘れるな、スペインをやっつけろ!」という大合唱が起こり、一部の膨張主義者にとって好都合となった。

 湧き起こる世論に押されてり、マッキンリー大統領も開戦を決意し、1898年4月に議会が宣戦を布告し、アメリカ=スペイン戦争(米西戦争)が始まった。新聞が「死の商人」と化し、戦争を起こしたのだ。

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アメリカ=スペイン戦争

 アメリカ海軍はラテンアメリカの各地、太平洋のフィリピンとグアムなどスペイン植民地のスペイン基地を攻撃、スペイン軍と戦闘の結果、4ヶ月でアメリカの勝利となった。

 1898年12月に講和が成立し、パリ条約でキューバの独立は承認され、アメリカはフィリピン・プエルトリコ・グアムを領有した。これはアメリカが行った帝国主義戦争であり、これによって海外に植民地をもつ国家として一躍世界の強国となったのである。

ダウンド 
グアンタナモ基地

 なお、アメリカ=スペイン戦争の時、アメリカがキューバに上陸した地点を、戦後に永久租借とした。キューバが社会主義国となってもアメリカは返還せず、グアンタナモ基地として使用し続けている。(つづく)

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テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2021/03/19 05:09 】

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