なまぐさ坊主の聖地巡礼
プロフィール
Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。
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8月27日(日)
いよいよパキスタン最後の一日となった。午前8時30分、ガンダーラ美術最大のコレクションを誇るペシャワール博物館を訪ねた。ビクトリア様式の趣のある博物館で、シルクロード探検で有名なオーレル=スタインも館長を務めたことがあるらしい。
館内に入ると中央広間には、「なんでも鑑定団」に出せばウン億円もするような、大きな仏立像や菩薩立像が処狭しと並んでおり、圧倒される。いずれも国宝級の物なのだろうが、ケースに入っていないので手で触ることも出来る。
シャージーキデリーのカニシカ大塔の跡から出土した舎利容器(お釈迦さまのご遺骨を納めた容器)も無造作に陳列されているが、これはどうもレプリカらしい。
奥さんは昨日の夕食の時にアイスクリームをたくさん食べたのが原因か、お腹の調子が悪く、博物館のソファに横たわって死んだようになっている。せっかく本物のガンダーラ仏が見られるのに、もったいないことだ。
シャー君が一生懸命解説しているが、解説を聞きながらこういう物を見るのが嫌いなので、一人だけ離れて別のコーナーを覗いていたら、ちょび髭を生やした職員が近づいて来て、カメラのシャッターを切るジェスチャーをする。そして、1本指を立てて、片手を広げた。1ドルで5枚OKだと。おいおい、またかよ。ここにも無茶苦茶なおじさんがいる。中国もパキスタンもなんでこんなにいい加減なの。ちゃんと給料やってないんじゃない。
奥さんは昨日の夕食の時にアイスクリームをたくさん食べたのが原因か、お腹の調子が悪く、博物館のソファに横たわって死んだようになっている。せっかく本物のガンダーラ仏が見られるのに、もったいないことだ。
シャー君が一生懸命解説しているが、解説を聞きながらこういう物を見るのが嫌いなので、一人だけ離れて別のコーナーを覗いていたら、ちょび髭を生やした職員が近づいて来て、カメラのシャッターを切るジェスチャーをする。そして、1本指を立てて、片手を広げた。1ドルで5枚OKだと。おいおい、またかよ。ここにも無茶苦茶なおじさんがいる。中国もパキスタンもなんでこんなにいい加減なの。ちゃんと給料やってないんじゃない。
でも、こんなチャンスは滅多に無い。早速1ドル渡し、ハラハラドキドキで撮影開始。でも他の連中にばれるといけないから、みんなの死角になっているコーナーの物しか撮せない。その上、慌てるから上手く撮れない。あっという間に5枚撮し終わり、次にシャッターを切ろうとしたらちょび髭がまた手を出して来る。やむなく、もう1ドル渡した。
10枚撮し終えて何食わぬ顔でみんなのところへ戻ったら、全員カメラを構えて撮し回っているではないか。今日は日曜日だから特別サービスだとぬかしやがり、職員どもが臨時特別収入を山分けしている。これって、いいの。背任行為じゃないの?と言っても、撮さな損損。みんなでやれば怖くない。博物館をところ狭しと走り回り、撮すわ、撮すわ。また、ちょび髭が近づいて来て、手を出す。いい加減にしろ!!と怒鳴ってやった。(帰国してからネットを見ると、ペシャワール博物館の写真がいっぱい出ているので、我々だけが特別だったわけではなさそうだ)
博物館の片隅にパンチカとハーリティ夫婦の像が安置されていた。タクティバイ寺院跡で発掘されたものだそうだ。ハーリティは訶梨帝母【かりていも】、つまり鬼子母神のことである。伝説によれば、現在のチャールサダ(クシャーン朝の最初の都であったプシュカラヴァティー)あたりで他人の子供をさらって来ては食っていたという。そこへ釈尊がやって来てハーリティの子供を仏鉢の中に隠してしまった。狂乱状態でわが子を捜し回るハーリティに、釈尊は子を奪われた親の悲しみを諭し教化したところ、悪業を悔いて以後、世の中の子供たちを守る女神となったわけだ。
玄奘三蔵は、「是れ釈迦如来が此に於て鬼子母を教化し、人を害せざら令めし処なり。故に此の国の習俗として、祭りて以て嗣を求む」
と『大唐西域記』に記している。
ハーリティという言葉には『青色』『青い衣』との意味があり、チャールサダが当時プシュカラヴァティー(“青い蓮華の町”の意味)と呼ばれて、ガンダーラ国の都であったことと何かの縁があるに違いない。
鬼子母神の説話を知らなければ、仲睦まじい夫婦像でしかない。フランスの考古美術学者フーシェは、このハーリティを「仏教のマドンナ」と呼んだほどだ。
玄奘三蔵は、「是れ釈迦如来が此に於て鬼子母を教化し、人を害せざら令めし処なり。故に此の国の習俗として、祭りて以て嗣を求む」
と『大唐西域記』に記している。
ハーリティという言葉には『青色』『青い衣』との意味があり、チャールサダが当時プシュカラヴァティー(“青い蓮華の町”の意味)と呼ばれて、ガンダーラ国の都であったことと何かの縁があるに違いない。
鬼子母神の説話を知らなければ、仲睦まじい夫婦像でしかない。フランスの考古美術学者フーシェは、このハーリティを「仏教のマドンナ」と呼んだほどだ。
午前9時50分、シャージーキデリーへ。ペシャワール博物館で見た舎利容器が発掘された町だ。クシャーン朝のカニシカ王がこの地に基壇の1片が87メートルというとてつもなく大きいストゥーパを建立した。1908年にその跡から舎利容器が発掘された。
また、無著(アサンガ)と世親(ヴァスバンドゥ)の兄弟は、興福寺の立像で有名だが、このペシャワールの出身である。ということは、この地が大乗仏教の大中心地であったことは間違いない。しかし、今じゃ古の煉瓦造りの土塀が残っているだけである。おまけに、この地は現在イスラーム教徒の墓地として使用されており、発掘調査も出来ないそうだ。時の流れとは過酷なものである。(つづく)
また、無著(アサンガ)と世親(ヴァスバンドゥ)の兄弟は、興福寺の立像で有名だが、このペシャワールの出身である。ということは、この地が大乗仏教の大中心地であったことは間違いない。しかし、今じゃ古の煉瓦造りの土塀が残っているだけである。おまけに、この地は現在イスラーム教徒の墓地として使用されており、発掘調査も出来ないそうだ。時の流れとは過酷なものである。(つづく)
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