なまぐさ坊主の聖地巡礼
プロフィール
Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。
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共和党政権下に「平常への復帰」をめざすアメリカは、1920年代に「永遠の繁栄」を謳歌する経済的発達を示した。この時代は「ジャズ・エイジ」「アスピリン・エイジ」とも呼ばれるが、「豊かな社会」のはしりに熱狂する人々には、熱冷ましのアスピリンが必要だったかも知れない。
第一次世界大戦後およそ10年間に多くの工業部門で生産量が倍増したが、特に自動車、ラジオ、映画、電気、化学、建築などのいわゆる「新産業」が発展する。
自動車の生産は1900年の約4000台から1921年の152万台と急増し、1929年には480万台を突破して、5人に1台を上回った。ヨーロッパ諸国がこの水準に達するのは30年以上も後のことで、日本に至っては1970年代であった。
これを可能にしたのはフォードが1913年から導入した流れ作業による大量生産システム(フォード=システム)であった。T型フォードは大戦前から生産が始まったが、1927年までモデルチェンジせずに1500万台を売ったという。同車を1台組み立てるのに始めは14時間かかったが、1923年には1台あたり10分たらず、年間100万台を生産した。
同時に、フォードは労働者も消費者である点に注目し、当時の平均賃金を上回る賃金を出すことにより「大衆消費社会化」を促進した。
電力では1921年にアメリカの家庭の約16%が電化され、1929年には70%に達した。電化製品も電気アイロン・洗濯機・冷蔵庫・掃除機などがしだいに普及し、なかでも娯楽と情報伝達を兼ねたラジオの普及は目覚ましかった。
1920年に初放送が行われ、2年後には約500の放送局が生まれ、1929年には1000万世帯(全米の約1/3)にラジオ受信機が備えられたのである。
また大量生産と大量消費の媒体として広告業が栄え、セールスマンや月賦販売という新しい商売の形も登場した。こうして1921年から1929年の間に工業生産指数は84から162(1913年=100)とほとんど倍増し、国民一人当たりの所得も522ドルから716ドルに増加した。また失業者の率も1923~29年の7年間の平均が3.75%と史上最低を記録した。
また、この時代には大衆文化が開花した。「ジャズ・エイジ」の言葉通り、黒人の音楽であるジャズが大流行した。世紀はじめにニューオーリンズで生まれたジャズは、20年代には北部にも広がった。それは白人社会にも受け入れられ、アメリカの代表的な音楽となった。ジャズ界でもっとも優れた演奏家といえるルイ=アームストロングがシカゴに現れたのは、1922年のことだった。

ジャズとならんで映画も、アメリカ文化を代表するものと言えるだろう。まだテレビがなかった20年代のアメリカでは、映画は一般市民が余暇を過ごすのに最も適当な娯楽だった。1929年には、毎週、1億枚の映画の切符が売れたと言われる。当時の人口から考えると、毎週、国民の8割が映画を観たことになる。これは少々信じにくい数字だが、少なくとも、映画の非常な人気を示すものと考えられるだろう。
1928年には、「ミッキー=マウス」の漫画映画が、はじめてディズニーによって制作された。同じ年、初のトーキーやカラーの映画もつくられた。翌29年には、初のアカデミー賞が授与されている。さらに同年、まだ映画にはならなかったが、「ポパイ」の漫画も出現した。こうして20年代の終わりまでに、アメリカ映画の繁栄の基盤が築かれた。
ベーブ=ルース
このような大衆性をもつ文化とならんで、スポーツもますます盛んになり、特に野球の人気が高くなった。1927年には、ベーブ=ルースが年間60本のホームランを打った。彼は7年後に日本でその勇姿を見せた。また、彼の記録は1961年にロージャー=マリスが1本多く打つまで破られなかった。

リンドバーグ
帰国したリンダバーグは大歓迎を受け、第一次世界大戦が終わった時のパレードを上回る何十万もの人々が、ニューヨークの五番街を埋め尽くしたと言われる。彼はこの飛行で、2万5000ドルの賞金を得た。それは、普通の労働者の18年分の収入に相当する巨額なものだった。
「永遠の繁栄、黄金の20年代」を謳歌したアメリカの市民社会は、豊かな生活と新たに誕生した文化を享受する、明るい社会の姿があった。しかし、それと同時に暗い「影」の部分もあったのである。(つづく)
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