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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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世界史のミラクルワールドーアメリカの光と影・黄金の20年代②

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フーヴァー

 1928年の大統領選挙で大統領に当選するフーヴァーは、「今日我々アメリカ人は、どの国の史上にもまだ見られなかったほど、貧困に対する最終的勝利に近づいている。……我々は神の加護によって、貧困がこの国から絶滅する日を、やがて目の当たりにするであろう」と誇らしげに語った。

 だがこの時代にアメリカ人の全員が豊だったわけではない。まず農民は価格の低迷に苦しみ、アメリカ農業は1920年代を通じて慢性不況の状態にあった。また国民の間の所得格差も大きく、全アメリカ世帯数の7割は当時一応生活できる収入限界といわれた年収2500ドル以下で過ごしていた。

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ハーディング

 また、1920年代の経済の繁栄とは逆に、政治では「平常への復帰」を標榜し、自由放任を重視するハーディングやクーリッジなどの共和党の大統領が続いたため、無為無策の、しかも本質的に大企業本位の政策が実施された。

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クー=クラックス=クラン(KKK)

 一方、国民の間でも、大戦中の挙国一致の風潮が政治意識の保守化をもたらし、ロシア革命への反動も加わって、この時代「赤狩り」や東欧・南欧系移民や黒人を排斥する第2次クー=クラックス=クラン(KKK)の運動が盛んになった。

  1865年に南北戦争が終わって一年もたたないころ、テネシー州プラスキーという田舎町で、戦争に敗れて故郷に帰ってきた南部同盟の若い復員兵6名は、戦争中の思い出を語りあったり、戦友どうしの交友を保つため、社交クラブをつくり、サークルを意味するギリシア語の「ククロス」とスコットランド高地人の一族を意味する「クラン」にちなんで、クー=クラックス=クランと命名した。

 しかし、解放奴隷と呼ばれた黒人や、北部から流れてきたならず者で南部は混乱状態になったため、この団体は彼らの家庭や妻子を守るための自警団に成り代わった。同時に戦争で失った南部の自主権を回復しようという目的をもつ秘密結社になったのである。彼らは共和党の南部再建計画に強く反対し、白人優越主義を掲げ、白い頭巾で顔を隠し、白装束で、黒人を襲うようになった。夜間になるとまるで幽霊のような姿で現れる「クラン」を見て、迷信深い黒人たちは、南部同盟の戦死者の亡霊に違いないと信じて恐れた。

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クー=クラックス=クラン(KKK)

 最初のKKKは1870年と71年に制定されたクラン取締法で消滅した。しかし、1915年、シモンズという教会の牧師が16人の弟子を連れて、ジョージア州アトランタ郊外のストーン=マウンテンに登り、燃え上がる十字架を「見えざる帝国」の啓示として見たと言い出した。その地はクー=クラックス=クランの再生の地とされ、火の十字架をかざすという儀式が採り入れられた。

 ここにクランは白人の優越と南部の理想主義を擁護する団体として復活し、第一次世界大戦後の1920年代にシモンズは「魔術帝王」と称して組織を拡大させ、黒人やユダヤ人、非プロテスタントに対する陰惨な暴力行為をくり返して恐れられる存在となっていった。1924年には会員数450万を数え、南部から西部にかけて大きな政治勢力となったが、戦時の感情が後退する中でゆっくりと衰退していった。

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サッコ(右)とヴァンゼッティ(左)

 こうした世相の犠牲の代表的例が、強盗殺人の無実の罪で死刑になったイタリア系移民の無政府主義者サッコとヴァンゼッティの事件であった。

 1920年4月15日、ボストンの南方のサウス・ブレイントリーで強盗殺人事件がおこり、その容疑者として製靴工場の職人ニコラ=サッコと魚の行商人バルトロメオ=ヴァンゼッティが5月5日に逮捕された。マサチューセッツ州裁判所判事ウェブスター=セイヤーは、二人が恐るべき「赤」、しかも法秩序の破壊を主張するアナーキストであるから、それだけで罰せられるに値する、という予断で裁判を進行させ、有罪を判決した。

 1927年までに救済運動も展開されたが、州知事が裁判に誤りがなかった事を声明、8月23日に処刑が行われた。現在の調査では、サッコは有罪、ヴァンゼッティは無罪という説が有力である。

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捜査員によって下水道に廃棄される密造酒

 また、都市化に伴う農村の衰退、生活の急変化に対する不安が、ピューリタニズムの伝統と結びついて、1919年に「禁酒法」を成立させたりした。

 しかし、ビールに至るまであらゆるアルコール飲料の製造・販売・流通を禁止し、国民の嗜好を法律で縛るのは本来無理なことで、抜け穴だらけの「禁酒法」は市民の間に法律軽視の風潮を生み、また酒の密売を絡んでギャング団の暗躍を盛んにした。

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アル=カポネ

 1920年からの7年間に、ギャング同士の戦いで約250人が殺されたと言われる。これらのギャングあるいはマフィアのなかで、最も有名なのがアル=カポネである。1929年2月14日にシカゴで起きた「セントヴァレンタイン・デイの虐殺」では、カポネ配下のマフィア5人が警官に変装してガレージに押し入り、対立するギャングを小型の機関銃で7人も殺した。

 マフィアたちは酒の密造・密売だけではなく、ギャンブルや売春など、さまざまな悪事の元凶だった。これらでカポネは、1927年に6000万ドルとも1億ドルとも言われる大金を儲けた。それは、一般労働者の数万年分の稼ぎだった。ありとあらゆる悪事をはたらいたカポネは脱税の証拠をつかまれ、1931年から11年間の禁固刑に服することになったが、病気のため、8年で釈放された。

 禁酒法は1920年代を通じて施行されたが、反禁酒法の議論も根強く、大恐慌の混乱の後、ようやくフランクリン=ローズヴェルト大統領就任直後の1933年12月に廃止された。


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テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2021/07/02 05:15 】

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