FC2ブログ

なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

カテゴリ

最新記事

fc2カウンター

Facebook

月別アーカイブ

最新トラックバック

最新コメント

リンク

検索フォーム

RSSリンクの表示

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR

世界史のミラクルワールドー4選された大統領・フランクリン=ローズヴェルト②

 ダウンロード (1)
フランクリン=ローズヴェルト

 ローズヴェルトは1933年に市場の拡大と日本・ドイツへの牽制の意味から、ソヴィエト連邦を承認した。

 この頃、ヨーロッパにおけるドイツ・イタリア、アジアにおける日本のファシズムの台頭が急激になり、ナチス=ドイツのヒトラーによる再軍備、イタリアのムッソリーニ政権によるエチオピア侵入、日本の満州事変から満州国建国と緊迫した情勢が続いた。
しかしアメリカの世論はこの段階でも孤立主義の伝統が根強く、アメリカ議会は1935年に中立法を制定して参戦を否定し、ローズヴェルトもこの段階ではその規定に従って中立を守り、直接介入は慎重に回避した。

 その一方で、それまでのアメリカのカリブ海外交の強圧的態度を改め、善隣外交を展開、キューバのプラット条項の廃止などを実現した。また、1934年には議会でフィリピン独立法が成立し、10年後のフィリピンの独立を認めた。

ダウンロード
隔離演説をするローズヴェルト

 ファシズム国家の侵略行動は続き、1936年にはドイツのラインラント進駐、イタリアはエチオピア併合、さらにスペイン戦争、1937年には日本軍が盧溝橋事件・第2次上海事変で中国本土への侵攻を開始し日中戦争が始まるという世界戦争の危機が高まった。

 その事態を受けて、ローズヴェルトは1937年10月にシカゴで演説し、暗にドイツ・イタリア・日本を危険な感染症にかかった患者にたとえて隔離すべきであるいう「隔離演説」(または防疫演説)を行い、世界の注目を浴びたが、この段階でもアメリカ国内の世論は戦争への参加に批判的であった。


ダウンロード
1936年の大統領選挙運動

 1936年は大統領選挙の年だった。ニューディールが「左傾」したため、ローズヴェルトの評価は大きく分かれるものとなった。保守派は彼を激しく非難し、財界人も批判を強めていた。

 しかし、一般民衆はローズヴェルトを支持していた。ローズヴェルトはわずか2州を落としたのみで、選挙人票で523対8という史上最高の得票差による勝利を得た。一般投票でも、共和党のランドンに1100万票の大差をつけ、2775万票、率にして61%を獲得した。この比率は、1964年のジョンソン圧勝まで破られなかったのである。

ダウンロード
ドイツ軍のポーランド侵攻

 1939年9月1日、ヒトラーがポーランドに侵攻して第二次世界大戦が勃発してからは、ファシズムに対する闘いを支援する姿勢を強め、中立法を改正してイギリスへの事実上の武器輸出を開始し、以後は参戦の機会を待った。

 1940年11月、ローズヴェルトはアメリカ史上初めて、大統領として三選された。)憲法は大統領の三選を禁じてはいなかったが、初代大統領の例にならって、あえて三選に挑む例はなかった。ギャラップ世論調査では、ローズヴェルトが三選に立候補したら彼に投票するかという問に、イエスが47%、ノーが53%だった。

 しかし、ともかく彼は1940年11月にアメリカ史上初の三選を果して、1941年1月(従来の就任式は3月4日。当選から就任までの期間が長すぎたので、彼は第1期就任中に大統領就任式を現在のように1月20日に改めた)に三度目の就任式に臨み、有名な「四つの自由」演説を行った。言論および表現の自由、信教の自由、欠乏からの自由、恐怖からの自由など、ファシズムから守らなければならない四つの自由をあげて、民主主義国家としての道義的な戦争目的を明らかにしたのだ。

 ローズヴェルトはさらに1944年に戦争の継続という特例から四選に出馬し当選する。これは戦争中の特別のケースとはいえ、長すぎるという批判があり、1951年の憲法修正22条で明確に三選は禁止された。

ダウンロード
大西洋上会談を行うローズヴェルトとチャーチル

 ローズヴェルトは1941年3月に武器貸与法を制定して事実上の参戦を果たした。また同年年8月9日にはイギリス首相チャーチルとの大西洋会談を行って、ファシズム国家との戦争という目的で一致し、早くも戦後における国際平和を維持できる機構の創設で一致し、その構想から国際連合が生まれることとなった。

 それでも正式な参戦は出来ないでいた。それは、国内には孤立主義に固執する保守派や、ソ連の共産主義を危険視してナチス=ドイツを支持する勢力も一定程度存在したためである。ローズヴェルトは、国論が参戦で一致出来るチャンスを待っていた。
(つづく)

↓ ランキング挑戦中  Brog Rankingのバナーをポチッと押してね!
スポンサーサイト



テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2021/07/16 05:13 】

アメリカ近現代史  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |
<< 世界史のミラクルワールドー4選された大統領・フランクリン=ローズヴェルト③ | ホーム | 世界史のミラクルワールドー4選された大統領・フランクリン=ローズヴェルト① >>

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURL

この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

 | ホーム |