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なまぐさ坊主の聖地巡礼

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ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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世界史のミラクルワールドー4選された大統領・フランクリン=ローズヴェルト④

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フランクリン=ローズヴェルト

 第二次世界大戦中の連合国の戦後処理構想のなかで、ローズヴェルトの果たした役割は非常に大きい。まず、日本軍の真珠湾攻撃に先立ち、1941年8月9日、大西洋上でチャーチルと会談し、大西洋憲章を発表。ファシズムとの戦争という戦争目的で一致した。

 1941年12月7日の真珠湾攻撃を受けて日米開戦、さらに11日ドイツ・イタリアとに宣戦布告を行うと、22日にチャーチルとアルカディア会談を行い、太平洋戦争勃発への対応と対ドイツ作戦、合同参謀本部の設置、連合国共同宣言などで合意した。

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 対日反攻を開始する米軍は空母2隻を日本近海に侵入させてB25機による本土爆撃まで敢行した。この時、本土爆撃飛行隊員の一部が撃墜されて捕虜となり、軍法会議にもかけられずに処刑されたことから、アメリカは日本を戦時国際法も遵守しない野蛮国と非難した。

 米空母の攻撃にさらされた日本はミッドウェー島周辺に米艦隊の主力を引き寄せて一気に撲滅することを計画し、1942年6月初めには同島周辺に戦艦7隻、空母6隻を含む45隻の艦船と300機の航空機でこれを迎え撃つ。米側は暗号の解読で日本軍の動きを事前に察知しており、日本側は赤城・加賀・蒼龍・飛龍の空母4隻とすべての航空機を失って作戦を中止し、この海戦は失敗に終わった。以後、日本が戦局の主導権を握ることはなかった。

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カイロ会談でチャーチル・蔣介石と

 その後も、1943年1月、カサブランカ会談でチャーチルとシチリア上陸作戦の検討、無条件降伏の原則の表明した。その後もイギリスとは頻繁に作戦上の調整を行っている。1943年11月、カイロ会談ではチャーチル・蔣介石との間で対日戦争の戦後処理方針を決定し、カイロ宣言を発表した。続いてテヘラン会談ではじめてスターリンを加えた米英ソ三国首脳会談に参加し、第二戦線問題とポーランド問題、ソ連日本参戦問題を検討した。

 1944年には6月にノルマンディー上陸作戦を敢行してヨーロッパで反撃を開始、さらに太平洋で日本軍を追い詰めていくなか、7~8月には、アメリカの主導で、ブレトン=ウッズ会議で戦後の国際経済体制、ダンバートン=オークス会議では国際連合規約の草案検討がそれぞれ実務者間で開催された。

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ヤルタ会談の三巨頭

  ローズヴェルトは39歳の時にカナダの冷たい海で泳いだことがきっかけでポリオに罹り、下肢が不自由になって車いすがなければ1mも歩けなかった。1944年11月に戦争完遂を掲げて4期目の大統領選挙に立候補した時には63歳であったが、医師団の一人の心臓医学専門家は、ローズヴェルトの血圧が異常に高いことに警告を発していた。

 就任時は136/78mmHgだった血圧は1937年には162/98mmHg、1941年には188/105mmHgと昇り続け、1944年4月には200/108mmHgとなり、心尖拍動が左前腋窩線に位置するまで心臓も拡大し続けた。1944年の春から咳が続き、鬱血性心不全と診断されジギタリスの服用で軽快しましたが、アメリカ史上初の大統領4選を目指して遊説中の1944年11月の血圧は260/160mmHgにも達していたのである。

 しかし、主治医のマッキンタイヤー軍医は健康診断の結果として大統領の服務に十分耐えられる健康体であると診断し、心臓専門医の意見は無視された。こうしてローズヴェルトの真の健康状態は伏せられたまま大統領選挙で国民は彼を4たび大統領として選出した。大戦末期の戦争指導と、スターリンやチャーチルと渡り合うという国際会議の連続は、彼の体力を急速に奪っていった。

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ヤルタの位置

 1945年2月4日から11日にかけてクリミア半島の避暑地ヤルタで、ローズヴェルト・チャーチル・スターリン三巨頭による会談が行われた。開催地のヤルタはソ連の領土で、スターリンは自分の庭で会議を開くという政治的に有利な立場にあった。さらに、スターリンは自国内移動のため健康面でも有利だった。チャーチルは約3000km、ローズベルトにいたっては約9000kmの道のりを経て開催地に到着しなければならなかった。

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リヴァディア宮殿

 この時、ローズヴェルトはアメリカからヤルタまで10日間かかっている。巡洋艦で大西洋を横断して地中海のマルタ島へ、飛行機に乗り換えてヤルタへ、さらに自動車で会談場であるヤルタ郊外のリヴァディア宮殿に到着した。会談場に到着した時点でローズヴェルトは疲労困憊の状態にあった。

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虚ろな表情のローズヴェルト

 この時のローズヴェルトの血圧は300/170 mmHgもあり、その虚ろな表情から体調は最悪であったことがわかる。日本の運命を決めたこの重要な会談で、ドイツが降伏した2~3カ月後に、ソ連が対日参戦すること、その見返りとして南樺太と千島をソ連に引き渡すこと、さらに東ヨーロッパはソ連の支配下に入ることなど、ソ連にとって一方的に有利な約束がなされた。

 肉体的にも精神的にも限界の状態で、一方的にスターリンに攻め込まれた。チャーチルがいくら奮闘しても、これでは老練なスターリンに抗すべくもなかったのである。

 寒冷地での一週間に及ぶ会談から帰国したローズヴェルトはウォーム・スプリングズで静養生活に入った。しかし、1945年4月12日の昼食前に脳溢血のため63歳で死去した。死亡日の血圧は300/190 mmHg。第二次世界大戦の終結とその勝利を目前にした死であった。

 大統領が現役で、しかも大戦の最中に死去したことは、大統領としてふさわしい健康状態であったか、その健康管理は適切であったか、疑問が出されたが、何故か大統領のカルテは紛失し、事実を究明することはできなかった。

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テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2021/07/23 05:09 】

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