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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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世界史のミラクルワールドーブロガーがアラブ世界を変えた・ジャスミン革命

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ベン=アリ大統領

 チュニジアは1956年にフランスから独立、始めは王国であったが、翌1957年に王政が廃止され、ブルギバが大統領に就任し共和政となった。1987年、ブルギバの引退に伴い、後継者として指名されて大統領に就任したのがベン=アリであった。

 しかし、ベン=アリはブルギバ政権の基本方針を転換し、無血クーデターとも言われた。ベン=アリ政権は社会主義路線から転換して社会主義ドゥストゥール党を立憲民主連合と改称し、政治犯の釈放、多党制を認めるなどの一定の民主化を実現した。彼は独立運動に参加した後、軍人として活動して軍を押さえ、圧倒的な国民の支持を背景に、憲法改正を繰り返して大統領任期を延長し、政権の独占を図った。

 チュニジアはアルジェリア・リビアという東西の隣国に比べて民主化、解放の度合いが進み、一定の経済成長も実現していたが、ベン=アリ政権の一族による不正や貧富の差の拡大などが次第に顕著となってきた。

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モハメド=ブアジジ

 アラブ諸国で民主化と自由を求める運動(「アラブの春」)は、一人の青年の焼身自殺から始まった。青年の名はモハメド=ブアジジ(26歳)。チュニジア中部の都市シディブジドで母と妹3人らと暮らしていた。高校卒業後まともな仕事に就けず、約7年間、リヤカーの荷台で果物を売って家族を養ってきた。

 2010年12月17日の朝、モハメドが果物や野菜を街頭で販売し始めたところ、政府の女性職員が営業許可がない。罰金400ディナール(約2万3000円)だ」と脅してきた。1日の売り上げが5~7ディナールでは到底払えない額だ。

 女性職員は
野菜と友人から借りた秤を没収。さらに、彼の父親を侮辱し、彼自身のみすぼらしさをあざわらい、平手打ちを食らわせた。没収された秤の返還を求め3回役所に行ったが、引き換えに賄賂を要求され追い返された。

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焼身自殺を図るモハメド

 これに抗議するために、モハメドは没収されなかった野菜カートとガソリンの入ったポリタンクを手に、再び役所前まで来た。彼は再び陳情をしようとしたが、役所の敷地内に入ることさえ拒否された。そこで彼は役所前の通りの真ん中に出て、自分とカートにガソリンをかけ、ライターを手に叫んだ。「どうして耳を傾けないんだ。火をつけるぞ」。それでも誰もとりあってくれなかった。

 昼前になり、モハメドは意を決したかのように自ら火をつけたという。
従兄弟のアリ=ブアジジは大勢の群集とともにそこにいたが、モハメドを止めることはできなかった。

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反政府デモ

 従兄弟のアリは事件が起こった直後の現場を画像に収め、インターネットに投稿した。画像は直後の騒ぎを収めた別の画像とともに全国に広がり、市民それぞれが持つ抑圧の記憶を刺激した。息子(25歳)がいわれのない容疑で突然逮捕された経験を持つ貿易商ファトヒ=シーハウィも事件を聞き、昼過ぎに知事事務所前に駆けつけた。「もうたくさんだ。われわれには尊厳が、そして若者には仕事が欲しいだけなんだ」。デモは夜には数百人規模に膨れあがり、夜通し続いたという。

 自殺する若者も次々に現れた。大卒で失業していたというカドリ=ロトフィさん(33歳)は12月月末、自宅そばの井戸に身を投げた。母親は「将来を悲観し、死んで政府に抗議するしかないと思ったのだろう。息子のような若者はたくさんいる」と訴える。

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モハメドを見舞うベン=アリ大統領

 ベン=アリ大統領側はこうした怒りの広がりを鎮めようとしたが、無神経な言動がかえって火に油を注いだ。

 モハメドの母親は、チュニスの病院で看病していた12月28日、大統領宮殿に招かれた。大統領は「救命に全力を尽くす」と語ったが、モハメドの名前さえ知らなかった。大統領はその後病院を見舞いに訪れたが、数分間しか滞在せず、「フランスの病院に運ぶ」という約束も果たさなかった。

 こうした態度がインターネットを通じて広まり、「ベンアリは我々のことを人間と思っていない」とデモがますます拡大したという。モハメドは1月4日にチュニスの病院で死亡した。

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リーナ=ベンムヘンニ

 モハメドの焼身自殺事件をインターネットで発信し続けたのが、リーナ=ベンムヘンニである。この事件が起きた時、27歳だったリーナは大学で英語を教えながら、得意の英語やフランス語を駆使して、20年以上続く独裁政権のベン=アリ政権下における人権問題や腐敗、それに対する人々の反対の声などを拾いブログを書いていた。2010年5月、チュニスの街頭で国の検閲に反対するデモをしたら、仲間が逮捕され、リーナの自宅にも警察が来て、パソコンやカメラを取り上げられた。その一部始終をブログに書いたことで、海外メディアから注目されるようになっていった。

 その約半年後の12月、チュニスから車で3時間以上かかる小さな町シディブジドで、モハメドの事件が起きた。リーナは事件をSNSで知るやいなや、いちはやくカメラを片手に現場に赴き、ブログやフェイスブックなどで刻々と発信する。

 「シディブジドは燃えている」――。ジャーナリストが次々に警察に収監されて動けなくなるなかで、リーナの発信は外国メディアを通して世界中に拡散。かねて行政に不満を持ってきた人々の抗議はチュニジア全土に広がり、焼身自殺事件から1カ月後の1月14日、ベン=アリ大統領一族はサウジアラビアに亡命、23年にわたる長期政権があっけなく崩壊した。

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 この革命はチュニジアのもっとも一般的な花の名を取って「ジャスミン革命」と言われるようになった。その後、安定した民主政権づくりは困難が続いているが、この革命は劇的な広がりを見せ、3月にはエジプトのムバラク政権が倒れたのを初め、他にシリア、イエメン、シリア、リビアといった北アフリカから西アジアにかけてのアラブ諸国の長期政権をゆさぶる大きな動きとなった。この動きは「アラブの春」と言われるようになった。

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テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2021/12/03 05:21 】

イスラーム史  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |
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