なまぐさ坊主の聖地巡礼
プロフィール
Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。
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その資産家は、それらの子供たちの意向を知っていて、好みを了解しているとしよう。また、それらの子供たちの欲するものには、多くの種類のおもちゃがある。それらのおもちゃは、多種多様で、愉快なもので、望まれ、願われていて、好まれ、心を魅了するものだが、得難いものである。そこで、その資産家は、それらの子供たちの意向を知りつつ、子供たちに次のように言った。
『子供たちよ、ここに君たちにあげるおもちゃがある。それをもらわないと、君たちは後悔するだろう。それらのおもちゃは、愉快で、珍しく、びっくりするものであり、色とりどりで、多くの種類がある。すなわち、牛の車、羊の車、鹿の車のおもちゃである。君たちが望み、願い、愛し、君たちの心をとりこにするもので、それらのすべてを私は、君たちが遊べるように邸宅の門の外に置いている。
君たちは、こちらへ来なさい。この邸宅から逃げ出しなさい。そうすれば、褒美をもらうことや、おもちゃについての関心を抱いている君たちのそれぞれに、私はそのおもちゃの車を与えよう。君たちは、急いでこちらに来なさい。それらのおもちゃをもらうために逃げ出してきなさい』
その時、望み通りで、想像し願い求めてきた通りの、愛らしくて心をとりこにするおもちゃの名前を聞いて、それらの子供たちは、それらの愉快なおもちゃをもらうために、実に速やかに〔走り出した〕。勇気を得て、力強い速さで、互いに他人のことを見向きもせずに、『誰が、最初か』『誰が、それより先か』と言って、互いに体を押し合いながら、燃え上がるその家から、実に速やかに飛び出してきた。
すると、その資産家は、それらの子供たちが無事で安穏に解放されたのを見て、安全になったと知ると、町の十字路の路地に坐った。こうして、その資産家は喜悦と歓喜を生じ、不安も障害もなくなって、心配しなくてよくなったとしよう。
そこで、それらの子供たちは、その父のいる所に近づいて、次のように言った。
『お父さん、僕たちにそのいろいろ愉快なおもちゃをください。すなわち、牛の車、羊の車、鹿の車のおもちゃを』
そこで、舎利弗よ、その資産家は、それらの自分の息子たちに、七宝で造られ、手すりがめぐらされ、鈴のついた網の垂れ下がった、高くて、広く、素晴らしい希有なる宝石で飾られ、宝石の網で造られて華麗であり、花環で飾られ、綿布と毛布が敷かれ、天幕とヴェールで覆われ、両側に赤いクッションを備え、白くて純白の、極めて速い牡牛がつながれ、多くの侍者たちに従われ、旗を立てた、風の速さを持つ牛の車だけを与えるとしよう。その資産家は、風の力と速さを持つ一様で同一の種類の牛の車だけを、一人ひとりの子供に与えた。
それは、どんな理由によってか?舎利弗よ、まさにそのように、その人は裕福であり、大きな財産を持ち、多くの倉庫や蔵、家を持っているからである。その資産家は、次のように考えるであろう。
『私は、これらの子供たちに、他の乗り物を与えることはやめよう。それは、どんな理由によってか?実にこれらの子供たちは、すべて私の息子たちであり、私にとってすべてが可愛らしく、愛おしいものであるからだ。また、私にはこのように大いなる乗り物(大乗)がいくらでもある。しかも、私は、これらの子供たちをすべて不平等にではなく、平等に考えるべきである。
また、私は多くの倉庫や蔵、家を持っていて、私は、あらゆる衆生にもまたこのように大いなる乗り物を与えるであろう。まして況んや、自分の息子たちのためにはなおさらのことである』と。
そして、その時、それらの子供たちは、それらの大いなる乗り物に乗って、不思議で驚くべき思いにとらわれるであろう。
舎利弗よ、あなたはそれをどう考えるか?それらの子供たちに、前には3つの乗り物を示しておきながら、後にはそれらの子供たちのすべてに大いなる乗り物だけを与え、勝れた乗り物だけを与えたとすれば、その人には、まさに虚言があることにならないだろうか?」
『私は、これらの子供たちに、他の乗り物を与えることはやめよう。それは、どんな理由によってか?実にこれらの子供たちは、すべて私の息子たちであり、私にとってすべてが可愛らしく、愛おしいものであるからだ。また、私にはこのように大いなる乗り物(大乗)がいくらでもある。しかも、私は、これらの子供たちをすべて不平等にではなく、平等に考えるべきである。
また、私は多くの倉庫や蔵、家を持っていて、私は、あらゆる衆生にもまたこのように大いなる乗り物を与えるであろう。まして況んや、自分の息子たちのためにはなおさらのことである』と。
そして、その時、それらの子供たちは、それらの大いなる乗り物に乗って、不思議で驚くべき思いにとらわれるであろう。
舎利弗よ、あなたはそれをどう考えるか?それらの子供たちに、前には3つの乗り物を示しておきながら、後にはそれらの子供たちのすべてに大いなる乗り物だけを与え、勝れた乗り物だけを与えたとすれば、その人には、まさに虚言があることにならないだろうか?」
舎利弗が言った。
「世尊よ、実にそのようなことはありません。人格を完成された人よ、実にそのようなことはありません。世尊よ、その資産家は、巧みなる方便によって、それらの子供たちをその燃え上がる家から脱出させ、生命を救いました。それらの子供たちを守ったということ、まさにこの理由によってその人は虚言者ではないでありましょう。それは、どんな理由によってでしょうか?世尊よ、自分の身体が無事であったことでこそ、すべてのおもちゃが得られたからであります。
また、世尊よ、たとえその資産家が、それらの子供たちに一つの車も与えなかったとしても、世尊よ、その人は確かに虚言者ではないでありましょう。それは、どんな理由によってでしょうか?世尊よ、まさに同様に、この人はその直前に『私は、巧みなる方便によってこれらの子供たちを、その大きな苦しみの集まりから解放させよう』と考えていたからです。
世尊よ、このことからしても、その資産家に虚言はないでありましょう。ましてや、多くの倉庫や蔵、家があるということを考えて、まさに息子たちに対する慈しみを抱き、称賛することによって、その人は一様で同一の乗り物、すなわち大いなる乗り物を与えたのであって、世尊よ、その人に虚言はありません」
舎利弗からこのように言われて、世尊は、尊者舎利弗に次のようにおっしゃられた。
「舎利弗よ、素晴らしいことである。素晴らしいことである。舎利弗よ、これはその通りである。これは、あなたが言う通りである。まさにこのように、舎利弗よ、正しく完全に覚った尊敬されるべきブッダは、すべての恐怖が消え去っており、あらゆる苦難や、当惑、心配、苦悩、憂い、無知による暗黒、迷妄による暗黒というヴェールの覆いから、あらゆる点において、完全に解放されているのである。
ブッダは、知の10種の力、説法における4つの畏れなきこと、ブッダに具わる18の特別の性質を具え、神通力によって大いに力があり、世間の父であり、卓越した巧みなる方便と知の最高の完成に至っていて、大いなる慈悲を持ち、倦むことのない心を持ち、衆生の幸せを求め、憐み深いのである。
「世尊よ、実にそのようなことはありません。人格を完成された人よ、実にそのようなことはありません。世尊よ、その資産家は、巧みなる方便によって、それらの子供たちをその燃え上がる家から脱出させ、生命を救いました。それらの子供たちを守ったということ、まさにこの理由によってその人は虚言者ではないでありましょう。それは、どんな理由によってでしょうか?世尊よ、自分の身体が無事であったことでこそ、すべてのおもちゃが得られたからであります。
また、世尊よ、たとえその資産家が、それらの子供たちに一つの車も与えなかったとしても、世尊よ、その人は確かに虚言者ではないでありましょう。それは、どんな理由によってでしょうか?世尊よ、まさに同様に、この人はその直前に『私は、巧みなる方便によってこれらの子供たちを、その大きな苦しみの集まりから解放させよう』と考えていたからです。
世尊よ、このことからしても、その資産家に虚言はないでありましょう。ましてや、多くの倉庫や蔵、家があるということを考えて、まさに息子たちに対する慈しみを抱き、称賛することによって、その人は一様で同一の乗り物、すなわち大いなる乗り物を与えたのであって、世尊よ、その人に虚言はありません」
舎利弗からこのように言われて、世尊は、尊者舎利弗に次のようにおっしゃられた。
「舎利弗よ、素晴らしいことである。素晴らしいことである。舎利弗よ、これはその通りである。これは、あなたが言う通りである。まさにこのように、舎利弗よ、正しく完全に覚った尊敬されるべきブッダは、すべての恐怖が消え去っており、あらゆる苦難や、当惑、心配、苦悩、憂い、無知による暗黒、迷妄による暗黒というヴェールの覆いから、あらゆる点において、完全に解放されているのである。
ブッダは、知の10種の力、説法における4つの畏れなきこと、ブッダに具わる18の特別の性質を具え、神通力によって大いに力があり、世間の父であり、卓越した巧みなる方便と知の最高の完成に至っていて、大いなる慈悲を持ち、倦むことのない心を持ち、衆生の幸せを求め、憐み深いのである。
そのブッダは、生まれること・老いること・病になること・死ぬこと・憂い・悲しみ・苦しみ・悩み・悲哀によって無知という暗黒や、迷妄という暗黒のヴェールの覆いの中に留まっている衆生を貪愛、憎悪、迷妄の三毒から解放し、この上ない正しく完全な覚りへと教化するために、三界に生まれてくるのである。その三界は、大きな苦しみと悩みという火の集まりによって、屋根と覆いが燃え上がっている老朽化した邸宅のようなものである。
そのブッダは、三界に出現するや否や、衆生が、生まれること・老いること・病になること・死ぬこと・憂い・悲しみ・苦しみ・悩み・悲哀によって焼かれ、煮られ、熱せられ、苦痛を与えられているのを見る。それらの衆生は、享楽のゆえに愛欲を原因として、種々の苦しみを受けているのである。
現世に、〔俗世間における名声・利益を〕貪ることにより、またそれらを得ることによって、来世には、地獄や、畜生としての在り方や、閻魔の世界において種々の苦しみを受けるであろう。神々や人間として生まれても貧困であり、嫌な人との人間関係を持ち(怨憎会苦)、愛しい人と離れ離れになる(愛別離苦)という諸々の苦しみを受けるのである。
また、まさにその苦しみの集まりの中にいながら、遊び、喜び、自ら楽しんでいる。恐れることもなく、怖がることもなく、恐怖に陥ることもな、気づくこともなく、理解することもなく、尻込みすることもなく、そこから脱け出すことを求めようともしない。しかも、まさにその燃え上がった家のような三界に満足し、ただあちらこちらに走り回っている。だから、その大きな苦しみの集まりによって苦しめられても、苦しみの思いや、意識を自覚することもないのだ。
そこで、舎利弗よ、ブッダは次のようにご覧になるのだ。
『私は、確かにこれらの衆生の父である。実に私は、これらの衆生をこのような大きな苦しみの集まりから解放させなければならない。また私は、これらの衆生が真実に遊び、喜び、自ら楽しみ、そして遊戯することができるように、これ
らの衆生に量り知ることもできない、考えることもできないブッダの智慧の喜びを与えなければならない』と。(つづく)
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