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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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法華経信解品第4 財産管理人から財産相続人へ

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 ところで、世尊よ、その資産家は、その息子が有能な財産管理人に十分に成長していることを知ります。それとともに息子が、勝れた意志によって心が磨かれてはいるが、以前の貧しい心が抜け切れず、恐怖心を抱いたり、大いに恥じ入ったり、自分を嫌悪したりしていることも知っていました。その資産家は、死期が近づくと、その貧しい男を連れて来させて、多くの親戚の人々に引き合わせ、王様、あるいは王様と同等の権威を持つ人の前や、市民や村人たちの面前で次のように宣言しました。

 『皆さん、お聞きなさい。これは、私の実の息子であり、まさに私が産ませたものである。何々という名前の町からこの息子は
遁走とんそうし、それから50年が過ぎ去った。この息子は何のなにがしという名前であり、私もまた何の某という名前である。そして、私は、その町からまさにこの息子を探し求めながらここにやって来たのだ。

 これは私の息子であり、私はこの息子の父親である。私が享受しているすべてのもの、その一切を私はこの男に贈与する。しかも、私自身に属している一切の財産、そのすべてについて掌握しているのはこの息子である』と。

 しかれば、世尊よ、その貧しい侍者はその時、この言葉を聞いて、不思議で驚くべき思いになりました。そして、次のように考えるでありましょう。

 『私は、実にこの金貨、黄金、財宝、穀物、倉庫や収蔵庫、さらには家までも、まさに思いがけずに獲得したのだ』と。

 
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四大声聞中村晋也作『薬師寺・釈迦十大弟子』)

 まさにそのように、世尊よ、私たちはブッダの息子たちと類似したものであり、ブッダはあたかもその資産家のように、私たちに『お前たちは、私の息子たちである』と、このようにおっしゃられます。

 しかも、世尊よ、私たちは3つの苦しみによって苦しめられていました。3つによってとは、何によってでしょうか。すなわち、好ましくないものによって受ける苦しみ(苦苦くく)、世の中が有為転変ういてんぺんしていることによって受ける苦しみ(行苦ぎょうく)、好ましいものが変化し崩れていくことによって受ける苦しみ(壊苦えく)ーの3つによって私たちは苦しめられていたのであります。しかも、〔私たちは地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人間界・天界という〕生存領域の循環(六道輪廻ろくどうりんね)の繰り返しの中で、劣った教えに信順の志を持っておりました。

 それ故に世尊は、私たちに肥溜めのような、より一層劣った多くの教えについて考察させられました。私たちは、それらの教えを考察することに専念しました。努力し、精進しながら、世尊よ、その貧しい男が一日の賃金を求めて探し回ったように、私たちは涅槃のみを求めて探し回りました。そして、世尊よ、私たちは、その涅槃の獲得によって満足していました。ブッダのそばでその教えに専念して、努力し、精進したから、多くのものを獲得したのだと私たちは考えていました。
 
 しかしながらブッダは、私たちに劣ったものに対する信順の志があることをご存じでありました。だから、世尊は私たちを放置して、かかわることなく、私たちに、

 『ブッダが所有しているこの知の蔵、まさにこれはお前たちのものとなるであろう』

とおっしゃることはありませんでした。ただ世尊は、私たちのために巧みなる方便によって、このブッダの知の蔵の管理人の立場に立たされました。
 
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 しかしながら、世尊よ、私たちはそのブッダの知に対して無関心であって、次のように考えました。

 『貧しい男が、肥溜めを綺麗にして一日の賃金を得るのと同じように、私たちがブッダのそばで涅槃を得るということ、これこそが私たちにとって非常にありがたいことである』と。

 世尊よ、その私たちは、偉大な人である菩薩たちにブッダの知見について勝れた説法をなし、ブッダの知を明かし、示し、説明いたしました。けれども、世尊よ、私たち自身は、そのブッダの知に対して無関心であり、慢心がありました。それは、どんな理由によってでしょうか?ブッダは、巧みなる方便によって、私たちの信順の志をご存じであります。しかしながら、私たちが世尊の真実の息子であると、世尊が今、語られたことを、私たちは知ることもなく、理解することもなかったからであります。

 それでも、世尊は、私たちのためにブッダの知の相続人であることを思い出させようとしておられます。それは、どんな理由によってでしょうか?もちろん私たちは、ブッダの真実の息子であると言われてはいますが、なお劣ったものに対して信順の志を持っているからです。

 もしも世尊が、私たちに信順の志の力があることを見出されたならば、世尊は私たちに声聞ではなく、〝菩薩〟という名前をつけられたでありましょう。さらに世尊は、私たちに2つの企てをさせられました。1つには、菩薩たちの面前で、私たちのことを〝劣ったものに信順の志を持つもの〟と言われ、2つには、その私たちを勝れたブッダの覚りへと向かうように励ましてくださったのです。

 そして、世尊は今、私たちに信順の志の力があることを了解されて、〔声聞・独覚・菩薩をはじめ、あらゆる衆生がブッダになれるという〕この〔一仏乗の〕教えを説かれました。このようにして、世尊よ、私たちは次のように申し上げます。
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 『私たちは、ブッダの知見に対して無関心でありましたが、あたかもブッダの息子(菩薩)たちが、この一切を知るブッダの智慧(一切智)という宝を得たのと同様に、私たちは願望もせず、希求もせず、探求もせず、考察もせず、欲求もしなかったのに、一切を知るブッダの智慧という宝を実に思いがけずに得ました』と」(つづく)

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テーマ:仏教・佛教 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2022/06/17 05:18 】

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