なまぐさ坊主の聖地巡礼
プロフィール
Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。
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8月7日(木)
午後5時15分、ホテルに到着。この日のホテルは江攻飯店(ギャンツェ・ホテル)。2階の部屋を予約してあったはずなのに、何故か3階になっている。またもや政府のお偉いさんに横取りされてしまったのだ。え~い、クソッ。標高4,000メートルのギャンツェでは、たとえ1階分の高さでも貴重なんだぞ。
一同、重い足を引きずって部屋に向かう。階段を上るのが何と辛いことか。3段上がっては深呼吸をし、また3段上がる。喘ぎながら3段あがる。心臓がパクパク言っている。なにしろ、空気中の酸素が地上の半分しかないのだ。やっとのことで部屋に到達し、ベッドに倒れ込んだ。
このまま寝てしまいたいくらいだが、取り敢えずシャワーをして、ホテルの前にあるレストランへ。懐かしい料理が出てきた。トマトと卵の油炒め。3年前のシルクロードの旅で毎日のように食べた料理だ。ミスマッチのように思われるかも知れないが、これが結構いけるのだ。でも、喜んで食べているのは僕だけ。昨夜とうって変わって、皆さん箸が進まないようだ。お茶だけ啜【すす】っている人もいる。今晩、大丈夫かな~。
ともかく夕食を終え、喘ぎながら部屋に戻ってベッドに入ったのだが、頭が孫悟空状態だ。お布施のツァンパを盗み食いしたから、仏さまのバチがあたったのかも?用心のために買い求めてあった携帯用酸素ボンベを使ってみたが、1本30元(450円)もしたのに、まったく効き目がない。(中国のことだから、本当に酸素が入っているのかどうか、怪しいもんだ。)途中で何度も目が覚め、ともかくも長~い、ギャンツェの夜だった。
8月8日(金)
朝食で初めて本当のツァンパを食することができた。発電機の調子が悪いのかレストランの照明は点【つ】いたり消えたり、ついには完全に停電になってしまった。午前6時をまわっているのだが、これは北京時間。北京とギャンツェでは2時間ほどの時差があるため、実際の時間はまだ午前4時頃で、室内は真っ暗。ローソクの灯りだけでは、手許までよく見えない。手探り状態で茶碗にツァンパをとり、ポットからバター茶を注ぐ。熱さをこらえて手で捏【こ】ねながら丸めて口に運ぶ。香ばしい香りと絶妙の塩加減。ん、なかなか美味い。
日本人が「米の飯を喰わないと力が出ない」と言うように、チベット人は「ツァンパを喰わないと力が出ない」と言う。確かに腹にずしんと来て、力が湧いてくる。さ、今日も一日頑張ろう!
先代のパンチェン・ラマ10世(上の写真)は、ダライ・ラマ14世が国外亡命を余儀なくされた後も、チベット本土に踏みとどまった。文化大革命の時期には投獄され、その後も中国の占領支配下という枠組みの中で活動の自由を大幅に制約されながらも、チベットの文化を守り抜くために必死の努力を重ねてきた。妻帯を許されていないゲルグ派の僧侶でありながら、漢民族の奥さんを持ったことでチベットの人々から非難もされたが、そこには色んな事情があったに違いない。
同じ年の11月に中国政府がノルブ少年をパンチェン・ラマ11世と認定したことで、誘拐犯は明白である。現在北京で教育を受けているノルブ少年(もう24歳だから少年じゃないか)は、この後、中国政府の意向に添いながらチベットに君臨するのだろうが、卑劣な中国共産党には心底腹が立つ。
したがって、現在タシルンポ寺には主がいないのだが、多くの参詣者を集めている。皆のお目当ては世界最大の弥勒仏だ。(つづく)
午後5時15分、ホテルに到着。この日のホテルは江攻飯店(ギャンツェ・ホテル)。2階の部屋を予約してあったはずなのに、何故か3階になっている。またもや政府のお偉いさんに横取りされてしまったのだ。え~い、クソッ。標高4,000メートルのギャンツェでは、たとえ1階分の高さでも貴重なんだぞ。

一同、重い足を引きずって部屋に向かう。階段を上るのが何と辛いことか。3段上がっては深呼吸をし、また3段上がる。喘ぎながら3段あがる。心臓がパクパク言っている。なにしろ、空気中の酸素が地上の半分しかないのだ。やっとのことで部屋に到達し、ベッドに倒れ込んだ。
このまま寝てしまいたいくらいだが、取り敢えずシャワーをして、ホテルの前にあるレストランへ。懐かしい料理が出てきた。トマトと卵の油炒め。3年前のシルクロードの旅で毎日のように食べた料理だ。ミスマッチのように思われるかも知れないが、これが結構いけるのだ。でも、喜んで食べているのは僕だけ。昨夜とうって変わって、皆さん箸が進まないようだ。お茶だけ啜【すす】っている人もいる。今晩、大丈夫かな~。
ともかく夕食を終え、喘ぎながら部屋に戻ってベッドに入ったのだが、頭が孫悟空状態だ。お布施のツァンパを盗み食いしたから、仏さまのバチがあたったのかも?用心のために買い求めてあった携帯用酸素ボンベを使ってみたが、1本30元(450円)もしたのに、まったく効き目がない。(中国のことだから、本当に酸素が入っているのかどうか、怪しいもんだ。)途中で何度も目が覚め、ともかくも長~い、ギャンツェの夜だった。

8月8日(金)
朝食で初めて本当のツァンパを食することができた。発電機の調子が悪いのかレストランの照明は点【つ】いたり消えたり、ついには完全に停電になってしまった。午前6時をまわっているのだが、これは北京時間。北京とギャンツェでは2時間ほどの時差があるため、実際の時間はまだ午前4時頃で、室内は真っ暗。ローソクの灯りだけでは、手許までよく見えない。手探り状態で茶碗にツァンパをとり、ポットからバター茶を注ぐ。熱さをこらえて手で捏【こ】ねながら丸めて口に運ぶ。香ばしい香りと絶妙の塩加減。ん、なかなか美味い。
日本人が「米の飯を喰わないと力が出ない」と言うように、チベット人は「ツァンパを喰わないと力が出ない」と言う。確かに腹にずしんと来て、力が湧いてくる。さ、今日も一日頑張ろう!
チベット4日目のメインは日喀則(シガツェ)の扎什倫布寺(タシルンポ寺)。午前7時にギャンツェのホテルを出て、午前9時にタシルンポ寺に到着した。このお寺はゲルグ派(黄帽派)最大の寺院で、ご住職はチベット仏教界ナンバー2のパンチェン・ラマである。ナンバー1のダライ・ラマが観音菩薩の化身であるのに対し、パンチェン・ラマは阿弥陀仏の化身とされる。日本人の感覚からすると、なんで菩薩の化身が仏の化身よりも上位なの、と不思議に思うのだが、チベットではとにかくそうなのだ。
パンチェン・ラマも、ダライ・ラマと同じように不死不滅の活仏として転生を繰り返しており、現在は11世なのだが、実はここに大きな問題がある。
先代のパンチェン・ラマ10世(上の写真)は、ダライ・ラマ14世が国外亡命を余儀なくされた後も、チベット本土に踏みとどまった。文化大革命の時期には投獄され、その後も中国の占領支配下という枠組みの中で活動の自由を大幅に制約されながらも、チベットの文化を守り抜くために必死の努力を重ねてきた。妻帯を許されていないゲルグ派の僧侶でありながら、漢民族の奥さんを持ったことでチベットの人々から非難もされたが、そこには色んな事情があったに違いない。
そのパンチェン・ラマ10世が1989年に53歳という若さで急死したのである。暗殺されたという話もあるが、ご覧の通りかなりのメタボであり、心筋梗塞か脳梗塞による急死と考えられる。死因はまあともかく、6年後の1995年5月、ニマという当時6歳の少年が、ダライ・ラマ14世により、その生まれ変わりと認定された。ところが、その3日後にニマ少年は何者かによって誘拐され、今もって行方不明なのである。
同じ年の11月に中国政府がノルブ少年をパンチェン・ラマ11世と認定したことで、誘拐犯は明白である。現在北京で教育を受けているノルブ少年(もう24歳だから少年じゃないか)は、この後、中国政府の意向に添いながらチベットに君臨するのだろうが、卑劣な中国共産党には心底腹が立つ。

したがって、現在タシルンポ寺には主がいないのだが、多くの参詣者を集めている。皆のお目当ては世界最大の弥勒仏だ。(つづく)
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