なまぐさ坊主の聖地巡礼
プロフィール
Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。
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平成20年2月23日(土)~3月3日(月)、インドとネパールを旅しました。平成15年のチベットと平成18年のパキスタンの旅では紀行文を残したのですが、6回目のインドということもあってか最初から書く気がなく、何も記録が残っていません。残っているのはトラベルサライの奥村君がまとめた簡単な日程アルバムと、写真に記録されている日付・時間と、曖昧な記憶だけ。という訳で、脳味噌を絞りながら書き綴っていきますので、ご愛読いただければ幸いです。合掌
2月23日(土)
午前9時、関西空港に15名の旅行仲間が集結。添乗員の奥村君はネパールで添乗中のため、バンコクで合流する。スーツケースはABC宅配サービスで自宅から空港に送ったんだけど、空港で受け取ってびっくり。キャスター部分がスーツケース本体に陥没してしまっている。宅配の兄ちゃんが落としたに違いない。代わりのスーツケースを貸してくれるというが、空港内で荷物を詰め替えるのも面倒だし、どうせ向こうに行けばポーターが運んでくれるんだから、ということで、そのまま壊れたスーツケースを持って行った。でも、やっぱり素直に借りとけば良かった。ポーターがいない所では自分が持たなくてはいけない。その重いこと。しょっぱなからこんな状態で、一抹の不安を覚えながら飛行機に乗ったんだけど、その不安は見事に的中することになる。
午前11時10分発のタイ航空623便(TG-623)でタイのバンコクへ。約6時間半のフライトで、午後3時40分、スワンナプーム空港に到着した。デリー便に乗り換えるまで4時間もあるので、足裏マッサージへ。年齢とともに足が浮腫むようになり、飛行機を降りたら足はパンパン。足裏マッサージをしてもらうと実に気持ちが良いが、しばらくするともとに戻ってしまう。午後7時に奥村君と落ち会う予定だったが、カトマンズからの飛行機が遅れ、安全検査が終わった後にようやく彼は現れた。午後7時50分発のタイ航空315便(TG-315)でデリーへ。
午後10時45分、デリーのインディラ・ガンディー国際空港に到着。我々を迎えてくれたのは現地ガイドのクルディープ・ディクジット君。彼に案内してもらって空港近くのセントール・ホテルへ。日本時間だと日付が変わった午前2時過ぎ。くたびれ果てて、ベッドに潜り込んでバッタンキュー。お休みなさい。
2月24日(日)
朝食を食べにレストランに行ってびっくり。僕のお寺と背中合わせのE寺さんのご住職が昨晩遷化【せんげ】されたという連絡が入ったそうだ(僕はこのころ携帯を持たなかった)。昨日は同行しているN上人に葬儀の出座依頼があったそうで、ご自分のお檀家さんの葬儀をすませた晩にお酒を飲んだあとお風呂に入って、奥さんが見つけた時はお風呂に浮いていたそうだ。僕の長男もご遺体をお風呂からあげるお手伝いをしたそうで、大変だったみたいだ。その長男が今E寺の住職を務めているのは不思議なご縁だ。本当は葬儀のお手伝いをしなくてはいけないのだが、帰国するのは無理。遙かインドから手を合わせて増円妙道を祈るしかない。
それにしても、我々が海外旅行にでかけた時に限って、お檀家さんやご住職さんがお亡くなりになる。(まあ、2月と8月という人間が一番亡くなる時期に旅行しているからかも知れないが。)僕の場合、6回目の海外旅行まででお檀家さんが2人亡くなっており、打率3割3分3厘だと言っていた時期があった。だから、海外に出かけるのは冷や冷やものだったんだけど、長男が葬儀の導師を出来るようになって安心して出かけられるようになってから、どなたも亡くなっていない。皮肉なもんだ。今回が9回目なんで、打率は下がって現在2割2分2厘。
午前8時30分、バスでアグラへ。アグラまで188キロ、国道2号線(アジア・ハイウェイ、GTロード)をバスはひた走る。ホテルの前に花で飾られた車があった。今日は日曜日だし、このホテルで結婚式があるんだろう。平成14年にインドを旅した時は、披露宴に飛び入り参加させてもらうという幸運に恵まれたが、今はインドの結婚式シーズンなんで、またどっかで結婚式に出合うかも知れない。
途中、ダップチック・レストランで休憩。小さい舞踏家が我々を迎えてくれた。チップはずんといたよ。
午後1時、アグラに到着。宿泊することも考えていたタージ・ビュー・ホテルで、まずは昼飯。もちろんビールつき。
午後3時、いよいよタージ=マハル。この赤砂岩の門をくぐれば……。
ワーオ、何回見ても凄いっすね。でも、3回目ともなると、感動はいまいち。
驚いたのは人の数。僕が最初に来た平成5年には見物客はまばらだったんだけど、来る度に人が増えて、今回は日曜日とあって人、人、人でごった返している。長蛇の列に並び、入場するまでに30分以上かかった。
4本のミナレット(光塔)があるのでモスクだと思っている人がいるが、ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが愛するムムターズ・マハルのために造った霊廟、すなわちお墓だ。ムムターズ・マハルは本名アルジュマンド・バーヌー・ベーガム。ムムターズ・マハルは“宮廷の選ばれし者”という意味の称号。写真を見ての通りの可愛子ちゃんで、シャー・ジャハーンに愛されて18年間に14人の子供を産み、産褥【さんじょく】熱で37歳で亡くなった。おー、愛しのマハルちゃん、可哀想に。僕が君を愛していた証拠を見せよう、ということで、22年の歳月と2万人の職工に命じた造らせたのがタージ・マハル。恐らく世界で一番豪華なお墓だろう。でも、考えてごらん。お前が悪いんだろう。一夫多妻制で他にも奥さんはいたのに、ムムターズ・マハル一人に毎年のように子供を産ませて。本当に愛してるんだったら、もっといたわってやれば良かったんだよ。
いま、ムムターズ・マハルはタージ・マハルの中で、シャー・ジャハーンと並んで静かに眠っている。みんな一生懸命に写真を撮ってるんで言わなかったんだけど、このお墓はレプリカ。本当のお墓は地下にある。平成5年に来た時は地下にも入れてくれたんだけど、最近は入れてくれない。地下のお墓は撮影禁止だったんだけど、警備の兵隊さんが指一本立ててウインクしたんで、1ドルあげて写真撮らせてもらった。いい加減な国だけど、中国もパキスタンもみんな一緒。お堅いことは言わない。
それではしばらくタージ・マハルの写真をお楽しみ下さい。
それではしばらくタージ・マハルの写真をお楽しみ下さい。
お楽しみいただけたでしょうか。
午後5時、アグラ城へ。アグラ城は赤砂岩で造られた城塞で、ムガル帝国第3代皇帝アクバル(シャー・ジャハーンのお祖父ちゃん)が建てた。
ムガル帝国はイスラーム教の国。アクバルはヒンドゥー教徒へのジズヤ(人頭税)を廃止するなど、イスラーム教徒とヒンドゥー教徒との宥和に努めた皇帝なので、嫁さんもラージプート族というカチコチのヒンドゥー教徒から迎えている。だから、アグラ城にはインド様式が随所に見られる。
1657年にシャー・ジャハーンが病床に伏すと、長男ダーラー・シコーが後継者として指名された。ところが皇位継承争いが起こる。三男坊のアウラングゼーブが4男坊と組んで挙兵、長男と次男を倒し、ダーラー・シコーを処刑。長男のくせにだーらーしな~い。アウラングゼーブは協力した4男坊も後に殺害。そして父ちゃんをアグラ城の「囚われの塔」(ムサンマン・ブルジュ)に閉じこめて、自分はデリーの「赤い城」(レッド・フォート)に行ってしまう。そして、父ちゃんが1666年に死ぬまで、ダーラーを偏愛したとして恨みの手紙を送ったり、宝石を取り上げたり、さまざまないやがらせをしたそうな。嫌な奴ちゃな。
僕がいるのがシャー・ジャハーンが閉じこめられていた部屋。窓から何を覗いているかって。これ、これ。
そう、タージ・マハル。シャー・ジャハーンは死ぬまでの8年間、窓から毎日タージ・マハルを覗いては亡き妻を偲んで涙にくれていたそうだ。なんとも可哀想だが、シャー・ジャハーンはジャハンギール帝の3男坊で、兄弟・甥っこを殺して即位した人物。因果は巡るというやつで、自業自得だ。
さあ、明日はいよいよ王舎城だ。(つづく)
さあ、明日はいよいよ王舎城だ。(つづく)
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