なまぐさ坊主の聖地巡礼
プロフィール
Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。
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2月27日(水)
午前6時30分、国道2号線をベナレスに向かう。ベナレスという名称はイギリス植民地時代の英語表記の誤読で、現地名はヴァーラーナシー。でもベナレスのほうが分かりやすいと思うので、こっちを使う。
途中、A1プラザというドライブインでトイレ休憩と昼食。A1プラザはインド有数の財閥リライアンス系のガソリンスタンドに併設されている、日本でいう「道の駅」だ。トイレも綺麗で、気持ちがいい。以前も幹線道路上には、トラック運転手のための「ダーバー」と呼ばれる安食堂があったんだけど、トイレがあっても汚くて使えない場合が多かった。だから、大自然の中のほうが気持ちがいいということで、男はどっかその辺で、女性陣は豆畑の陰で用を足した。もちろん、大きいほうも。これが糞じゃなかった、癖になって、われわれ旅行仲間には、トイレがあってもトイレでしないで青空のもとで、というファンが増えた。ところが、最近のインドでは自家用車で国内旅行する人が増え、それにともなって、この「道の駅」がどんどん増えているそうで、青空のもとで用を足すことがなくなったそうだ。清潔好きの人には朗報だろうけど、なんか残念だな~。
お弁当のほかに南インドのドーサという料理をいただいた。米粉とウラッド・ダールという豆を挽いた粉を使ったクレープのようなもので、皮がパリパリして美味い。
午後2時、ベナレスに到着。写真はベナレス駅。駅舎の屋根の上に車輪のようなものが見えると思うけど、これは法輪。そう、ここは釈尊の最初の説法である初転法輪【しょてんぼうりん】が行われた地だ。さっそく初転法輪の地サールナートへ向かう。
サールナートは漢訳仏典では鹿野苑【ろくやおん】。ベナレスの北8キロほどの郊外にあり、釈尊の時代にはその名の通り鹿が住む静かな林で、「仙人の集まるところ」とも言われたように、多くの宗教家が修行する場でもあったそうだ。お悟りを開かれた釈尊はバラモン教の最高神である梵天【ぼんてん】の懇請を受けて、いよいよ伝道の旅に出る決心をされたのだが、ブダガヤからサールナートまでは300キロもある。徒歩だとゆうに10日はかかる。釈尊はなぜそんなに遠いところまで来られたのか?当然、初めての説法をするにふさわしい相手がいたからだ。その相手とは釈尊が苦行を続けていた時に一緒に修行をした仲間5人。この5人は釈尊が苦行を捨てた時に、釈尊が堕落したと考えて、釈尊のもとを去って行った。その5人と釈尊が出会った場所に立つのがチョーカンディー・ストゥーパ 。八角形の塔は1588年にムガル帝国のアクバル帝が父フマユーン帝のサールナート訪問を記念して建てたもんだそうで、仏教とは何の関係ない。5人は「あんな堕落した奴なんかと口聞くんじゃないぞ。しかとしてやろうぜ」と約束したらしいが、釈尊が近づいて来ると、いま交わした約束も忘れて、手厚く釈尊を出迎えたそうだ。よっぽど凄いオーラが出てたんだろうね。
このチョーカンディー・ストゥーパ から800メートルほど離れたところにサールナート僧院跡があり、広さがなんと1万6000坪。東京ドームよりもやや広め。法顕【ほっけん】は『仏国記』に、ここに僧院があったことを記し、玄奘は『大唐西域記』の中で「伽藍は8つに分かれて、1500人の修行僧が住んでいるのを見た」と伝えている。
サールナート僧院跡の中でもひときわ目を引くのが、高さ34メートルのダメーク大塔。グプタ朝時代の5世紀に建てられたもののようだが、イスラーム教徒の破壊により痛ましい姿になっている。
ダメーク大塔の建つ場所が、釈尊がアンニャータ・コンダンニャ(阿若憍陳如【あにゃきょうじんにょ】)ら5人の比丘【びく】に初めて説法をしたところと伝えられている。
初転法輪像(サールナート考古博物館)
えっ、何を説法されたかって?それは、いずれまたにしよう。5人の比丘の中でコンダンニャが最初に釈尊の教えを理解し、釈尊は「アンニャー・コンダンニャ」「アンニャー・コンダンニャ」と大喜びされたそうで、アンニャータ・コンダンニャと呼ばれるようになったそうな。「アンニャー」は「判った」とか「悟った」という意味。ほかの4人も次々に教えを理解し、釈尊の弟子となり、僧伽(サンガ)が誕生した。サンガは出家者集団のこと。これで仏・法・僧の三宝がそろい、仏教教団が誕生したのである。
1905年、この地でアショーカ王の建てた石柱と柱頭が発見された。この獅子柱頭はサールナート考古博物館に行けば見られるんだけど、今回は行かない。四方を向いた四頭のライオンの下に法輪が刻まれており、釈尊が世界の四方に向かって法輪を初めて転じた地点であることを示している。世界史の時間に教えたけど、この獅子柱頭が現在インドの国章になっており、法輪は国旗の真ん中に描かれている。柱頭にライオンを用いているのは、百獣の王であるライオンがひとたび吼【ほ】えれば百獣のすべてが従うのになぞらえて、釈尊の説法を獅子吼【ししく】というからだ。
その後、日月山法輪寺さんを参拝。法輪寺さんは日蓮宗のお寺で、無料で泊まることもできる。ただし、条件があって、「1.朝夕のお勤めに参加すること。1.ガンジャ・チャラス等麻薬は一切禁止、持ち込まないこと。1.嘘、おだて、盗みをしないこと。」だそうだ。
今晩泊まるラマダ・ホテルに入る前にインドの蛇遣いと一時を楽しんだ。添乗員の奥村君がいつも蛇遣いのおじさんを捜して来てくれる。今回にしき蛇を首に巻いたのは、僕と女性陣のKさんとKさんの3人。この時期は蛇にとっては寒すぎるから、元気がない。だから、あまり動かなくていいんだけど、やっぱり重い。蛇だけにヘビー級だ。みんながギャーギャー騒いだあとで、僕だけ犠牲になった。
コブラに手を近づけてみろという。毒牙は抜いてあるのは分かってるんだけど、鎌首もたげて今にも飛びかかりそうになってるんで、おっかなびっくりで手を近づけることが出来ない。おじさん僕の手をつかんで、コブラに近づけた。アイタッ。噛まれちゃった。そんなことはないよね。

インドには蛇遣いは25万人もいるんだって。ところが、この25万人の蛇遣いが職を失って物乞い生活してるそうだ。というのは、インドで1972年にヘビの捕獲や飼育を禁じた野生生物保護法の施行された。ずいぶん前のことなんだけど、蛇遣いはインドの伝統芸能なんでしばらくは黙認されていたが、2008年ごろから取り締まりが強化されて、警察に逮捕される者が相次いだそうだ。支援団体が雇用先確保を政府に呼びかけたんだけど、相手にされず、みんな乞食になっちゃったという訳だ。可哀想にあのおじさん今頃どうしてるんだろうか。(つづく)
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