なまぐさ坊主の聖地巡礼
プロフィール
Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。
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すると、華徳(紅蓮華のような光輝を持ちもの)という偉大な人である菩薩が、釈迦牟尼世尊に次のように申し上げた。
「世尊よ、妙音という偉大な人である菩薩は、善い果報をもたらすいかなる立派な行ないを、過去の何というブッダのもとで、積んだのでありましょうか?」
そこで、正しく完全に覚った尊敬されるべき世尊である釈迦牟尼如来は、華徳菩薩に、次のようにおっしゃられた。
「良家の息子よ、かつて、数えることもできない、さらに数えることのできない、広大で、無量の、量り知れない劫の過去の世における時のことであった。その時その情況で、雲雷音王(雲の中の太鼓の音の王)という名前の正しく完全に覚った尊敬されるべきブッダが、現一切(あらゆる姿を顕現すること)という世界において、喜見(見るも心地よい)という劫に、この世に出現した。
良家の息子よ、その世尊である雲雷音王というブッダのために、妙音という偉大な人である菩薩は、120万年の間、幾100・1000もの楽器を演奏することによって供養を行なったのだ。さらに、七宝で造られた8万4000個の鉢を布施したのである。
良家の息子よ、その雲雷音王というブッダの教えのもとで、妙音という偉大な人である菩薩は、このようなこの幸運に到達したのである。
ところで、良家の息子よ、あなたには、疑わしいこと、あるいは考え違い、あるいは疑惑があるかも知れない、その時その情況で、その世尊である雲雷音王というブッダのために、その供養を行ない、それらの8万4000個の鉢を布施したその妙音という名前の偉大な人である菩薩は、誰か他の人であったと。
しかしながら、良家の息子よ、あなたはそのように見なすべきではない。それは、どんな理由によってか?良家の息子よ、ここにいる妙音、実にこの人こそが、その雲雷音王というブッダのために、その供養を行ない、それらの8万4000個の鉢を布施したその妙音という菩薩であったからだ。
「世尊よ、妙音という偉大な人である菩薩は、善い果報をもたらすいかなる立派な行ないを、過去の何というブッダのもとで、積んだのでありましょうか?」
そこで、正しく完全に覚った尊敬されるべき世尊である釈迦牟尼如来は、華徳菩薩に、次のようにおっしゃられた。
「良家の息子よ、かつて、数えることもできない、さらに数えることのできない、広大で、無量の、量り知れない劫の過去の世における時のことであった。その時その情況で、雲雷音王(雲の中の太鼓の音の王)という名前の正しく完全に覚った尊敬されるべきブッダが、現一切(あらゆる姿を顕現すること)という世界において、喜見(見るも心地よい)という劫に、この世に出現した。
良家の息子よ、その世尊である雲雷音王というブッダのために、妙音という偉大な人である菩薩は、120万年の間、幾100・1000もの楽器を演奏することによって供養を行なったのだ。さらに、七宝で造られた8万4000個の鉢を布施したのである。
良家の息子よ、その雲雷音王というブッダの教えのもとで、妙音という偉大な人である菩薩は、このようなこの幸運に到達したのである。
ところで、良家の息子よ、あなたには、疑わしいこと、あるいは考え違い、あるいは疑惑があるかも知れない、その時その情況で、その世尊である雲雷音王というブッダのために、その供養を行ない、それらの8万4000個の鉢を布施したその妙音という名前の偉大な人である菩薩は、誰か他の人であったと。
しかしながら、良家の息子よ、あなたはそのように見なすべきではない。それは、どんな理由によってか?良家の息子よ、ここにいる妙音、実にこの人こそが、その雲雷音王というブッダのために、その供養を行ない、それらの8万4000個の鉢を布施したその妙音という菩薩であったからだ。
良家の息子よ、このように、妙音という菩薩は、多くのブッダたちに仕え、幾100・1000もの多くのブッダたちのもとで善い果報をもたらす立派な行ないを積んでおり、ブッダとなるための準備を既になしているのである。しかも、この妙音という菩薩は、ガンジス河の砂の数に等しい多くの世尊であるブッダたちに既に会っているのである。華徳よ、あなたは、この妙音という菩薩を見ているであろう」
華徳という菩薩が言った。
「世尊よ、私は見ております。人格を完成された人よ、私は見ております」
世尊が言われた。
「しかしながら、華徳よ、この妙音という菩薩は、多くの姿をもってこの「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門を説き示したのである。
すなわち、ある場合にはブラフマー神の姿で、ある場合には風を切るルドラ神の姿で、ある場合にはイージュヴァラ神の姿で、ある場合には将軍の姿で、ある場合にはヴァイシュラヴァナ(毘沙門天)の姿で、ある場合には転輪王の姿で、ある場合には城主の姿で、ある場合には商人組合の長の姿で、ある場合には資産家の姿で、ある場合には市民の姿で、ある場合にはバラモンの姿で、この「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門を説き示した。
ある場合には男性出家者の姿で、ある場合には女性出家者の姿で、ある場合には男性在家信者の姿で、ある場合には女性在家信者の姿で、ある場合には商人組合長の妻の姿で、ある場合には資産家の妻の姿で、ある場合には市民の妻の姿で、ある場合には男の子の姿で、ある場合には女の子の姿で、妙音という菩薩は、この「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門を衆生に説き示したのである。
良家の息子よ、これほど多くの姿を示すことによって、妙音という菩薩は、この「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門を衆生に説き示したのである。
妙音という菩薩は、ある人のためにはヤクシャ(夜叉)の姿までして、この「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門を衆生に説き示した。ある人のためにはアスラ(阿修羅)の姿で、ある人のためにはガルーダの姿で、ある人のためにはキンナラの姿で、ある人のためにはマホーラガの姿で、この「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門を衆生に説き示したのである。
華徳という菩薩が言った。
「世尊よ、私は見ております。人格を完成された人よ、私は見ております」
世尊が言われた。
「しかしながら、華徳よ、この妙音という菩薩は、多くの姿をもってこの「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門を説き示したのである。
すなわち、ある場合にはブラフマー神の姿で、ある場合には風を切るルドラ神の姿で、ある場合にはイージュヴァラ神の姿で、ある場合には将軍の姿で、ある場合にはヴァイシュラヴァナ(毘沙門天)の姿で、ある場合には転輪王の姿で、ある場合には城主の姿で、ある場合には商人組合の長の姿で、ある場合には資産家の姿で、ある場合には市民の姿で、ある場合にはバラモンの姿で、この「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門を説き示した。
ある場合には男性出家者の姿で、ある場合には女性出家者の姿で、ある場合には男性在家信者の姿で、ある場合には女性在家信者の姿で、ある場合には商人組合長の妻の姿で、ある場合には資産家の妻の姿で、ある場合には市民の妻の姿で、ある場合には男の子の姿で、ある場合には女の子の姿で、妙音という菩薩は、この「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門を衆生に説き示したのである。
良家の息子よ、これほど多くの姿を示すことによって、妙音という菩薩は、この「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門を衆生に説き示したのである。
妙音という菩薩は、ある人のためにはヤクシャ(夜叉)の姿までして、この「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門を衆生に説き示した。ある人のためにはアスラ(阿修羅)の姿で、ある人のためにはガルーダの姿で、ある人のためにはキンナラの姿で、ある人のためにはマホーラガの姿で、この「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門を衆生に説き示したのである。
地獄や、畜生界、〔死後の世界を支配する〕ヤマ(閻魔)の世界、そして不運な世界に生まれた衆生のためにまでも、妙音という菩薩は、この「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」とう法門を説き示す救済者なのである。後宮の中央にいる衆生のためにまでも、妙音という菩薩は、女性の姿を化現して、この「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門を衆生に説き示した。
このようにして、このサハー世界において、衆生のために法を説き示した。華徳よ、妙音という菩薩は、サハー世界に生まれた衆生にとっての実に救済者であるのだ。しかも、実にこのサハー世界において、その妙音という菩薩は、それほど多くの姿や格好でこの「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門を衆生に説き示すのである。
しかしながら、この善き人は、神力の減少もなく、智慧の減少もないのである。良家の息子よ、このサハー世界において、妙音という菩薩は、それほど多くの知の輝きによって知られているのである。
さらに、ガンジス河の砂の数に等しい多くの他の世界において、菩薩によって教化されるべき衆生のためには菩薩の姿で、声聞によって教化されるべき衆生のためには声聞の姿で、独覚によって教化されるべき衆生のためには独覚の姿で、ブッダによって教化されるべき衆生のためにはブッダの姿で法を説き示すのだ。ブッダの遺骨によって教化されるべき衆生のためには、ブッダの遺骨の姿までも示し、完全なる滅度を示すことによって教化されるべき衆生にのためには、完全なる滅度に入った自己の姿までも示したのである。
実に、華徳よ、妙音という菩薩は、このようにして知の力を成就するに到るのである」(つづく)
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このようにして、このサハー世界において、衆生のために法を説き示した。華徳よ、妙音という菩薩は、サハー世界に生まれた衆生にとっての実に救済者であるのだ。しかも、実にこのサハー世界において、その妙音という菩薩は、それほど多くの姿や格好でこの「白蓮華のように最も勝れた正しい教え」という法門を衆生に説き示すのである。
しかしながら、この善き人は、神力の減少もなく、智慧の減少もないのである。良家の息子よ、このサハー世界において、妙音という菩薩は、それほど多くの知の輝きによって知られているのである。
さらに、ガンジス河の砂の数に等しい多くの他の世界において、菩薩によって教化されるべき衆生のためには菩薩の姿で、声聞によって教化されるべき衆生のためには声聞の姿で、独覚によって教化されるべき衆生のためには独覚の姿で、ブッダによって教化されるべき衆生のためにはブッダの姿で法を説き示すのだ。ブッダの遺骨によって教化されるべき衆生のためには、ブッダの遺骨の姿までも示し、完全なる滅度を示すことによって教化されるべき衆生にのためには、完全なる滅度に入った自己の姿までも示したのである。
実に、華徳よ、妙音という菩薩は、このようにして知の力を成就するに到るのである」(つづく)
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