fc2ブログ

なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

カテゴリ

最新記事

fc2カウンター

Facebook

月別アーカイブ

最新トラックバック

最新コメント

リンク

検索フォーム

RSSリンクの表示

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR

愛子に先立たれた母のために 上野殿母尼御前御返事①

 ダウンロード
波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

 2018年3月に星稜高校を退職してから、暇にまかせて「世界史のミラクルワールド」「法華経」を綴ってきました。今年、70歳。あと何年、まともな状態でいられるかわかりませんが、人生の集大成として日蓮聖人の御遺文にチャレンジしてみようと思います。全文読破できるかわかりませんが、とりあえず、340通ほど残されているお手紙から。
 
 なお、分類は『現代語 日蓮聖人の手紙』(石川教張編著・国書刊行会)、遺文・現代語訳は『昭和定本 日蓮聖人遺文』(身延山久遠寺発行)、『日蓮聖人全集』(春秋社)、『日蓮の手紙』(植木雅俊著・角川ソフィア文庫)を参考にしました。合掌



上野殿後家尼御前御書うえのどのごけあまごぜんごしょ

弘安3年(1280)9月6日、59歳、於身延、和文

 後家尼の子七郎五郎(上野=南条七郎次郎時光の弟)がわずか16歳で死去したことを悼み、母を慰め、法華経の信者であった、亡き七郎五郎の成仏の疑いないことを述べたもの。

 南條七郎五郎殿の御死去の御事。

 人は生まれて死するならいとは、智者も愚者も上下一同に知りて候

へば、始めてなげくべしをどろくべしとわをぼへぬよし、我も存じ、

人にもをしへ候へども、時にあたりてゆめかまぼろしか、いまだわき

まへがたく候ふ。

 まして母のいかんがなげかれ候ふらむ。父母にも兄弟にもをくれは

てて、いとをしきをとこ(夫)にすぎわかれたりしかども、子どもあ

またをはしませば、心なぐさみてこそをはし候ふらむ。いとをしきて

こご(子)、しかもをのこご、みめかたちも人にすぐれ、心もかいが

いしくみへしかば、よその人々もすずしくこそみ候ひしに、あやなく

つぼめる花の風にしぼみ、満月のにわかに失せたるがごとくこそをぼ

すらめ。

 まことともをぼへ候はねば、かきつくるそらもをぼへ候はず。またま

た申すべし。恐恐謹言。

九月六日                                                          日 蓮 花押

上野殿御返事

追伸 この六月十五日に見奉り候ひしに、あはれ肝ある者かな、男なり

男なりと見候ひしに、また見候はざらん事こそかなしくは候へ。さは候

へども釈迦仏・法華経に身を入れて候ひしかば臨終目出たく候ひけり。


心は父君と一所に霊山浄土りょうぜんじょうどに参りて、手をとり頭を合わせてこそ悦ば

れ候ふらめ。あはれなり、あはれなり。

【現代語訳】

同悲と救済の心

 南条七郎五郎殿がお亡くなりになられたということを伺いました。

 人は生まれて死ぬものだということは、智者であろうと愚者であろうと、身分の高い

低いにかかわらず知っていますから、人が死んだからといって、その時にはじめてなげ

とか驚くとかするには及ばないものだということは、自分も承知しているし、人にも教

訓していますが、さて実際に、ご子息のご逝去に直面してみると、夢ではないか、幻で

はないかと気が顛倒てんどうしてしまって分別を失っています。

 この私でさえそのような心情なのですから、ましてお母さまのお歎きはどれほど深い

ことかとお察しいたします。あなたは、父母にも兄弟にもみな死に別れた上、いとしい

ご夫君をもおくしになりましたが、子どもがたくさんいらっしゃるので、それを心の

慰めとしていらっしゃったことでしょう。ところがこのたび、可愛いお子さん、しかも

男の子、容貌も人並みはずれて良く、心も頼りがいがあるように思われたので、周囲の

人たち誰もが末の楽しみなことだと見ていましたほどの、そんなすばらしいご子息をお

亡くしになって、まだ開きたての花が風に吹かれて無情にもしおれてしまったような、あ

るいは明るい満月が突然雲にかくれてしまったような、やりきれないお気持ちでいらっ

しゃることでしょう。

 まだ本当のこととは思えませんので、そのことについて何かを申し上げる気持ちがお

こりません。いずれ心の整理がついてからお便りします。恐々謹言。

九月六日

                                日 蓮  花押
上野殿御返事

追伸 今年の六月十五日に、ご子息とお会いしました折、ああ気力にあふれた子だな、

男らしい、立派なものだ、と拝見しましたが、そのまま二度とお目にかかることができ

なくなってしまったことを悲しく思います。そうは申しましても、釈迦仏・法華経を信

仰していらっしゃったので、最期が安らかだったそうですね。霊魂はお父上のいらっし

ゃる霊山浄土においでになって手を取り、顔を寄せ合ってお喜びなさることでしょう。

その場面を想像すると、しみじみとした感動が心の底から湧いてきます。

【解説】

 後家尼の夫南条兵衛七郎は、幕府に仕えながら日蓮と巡り会うことによって、法華経

信仰に人生をまっとうした人で、駿河国(静岡県)富士郡上野郷に住んでいた所から、

上野殿とも称された。文永2年(1265)に病気で亡くなった。

 その子には、亡父の跡を継承して日蓮に対する法華経の奉公を貫いた七郎次郎時光が

おり、その弟に七郎五郎がいた。
 
 七郎五郎が誕生した時にすでに父は亡く、
母の手一つで育てられた。弘安3年には、

熱原の法難に伴う前年来の迫害が和らいだこともあり、そのお礼のためであろう、6月

15日に、兄・時光と共に御供養を携えて身延の日蓮わ訪ねた。その3カ月後の9月に七

郎五郎が突然死去した。わずか16歳であった。

 この知らせをうけた日蓮は、翌日、「まことに亡くなられたとも思えない」と、驚き

の気持ちを隠そうともせず、七郎五郎の死を悼みつつ、母の悲嘆に心をあわせる。「そ

の時に当たってみると夢や幻のように思われ、いまだに世の常であることを分別できな

い」。こういう日蓮はただひたすらに死の悲しみに身も心もおいている。人の定めであ

るとか、死ぬものだ、とか言って片づけてはいない。悟りすましていない。死は世の習

い、という人生の理が、死を直前にした時、信じられぬほどの驚きと悲哀をもたらすも

のであることを、日蓮は率直に語っている。
 
↓ ランキング挑戦中  Brog Rankingのバナーをポチッと押してね!
 
スポンサーサイト



テーマ:仏教・佛教 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2023/07/14 05:33 】

愛子に先立たれた母のために  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |
<< 愛子に先立たれた母のために 上野殿母尼御前御返事② | ホーム | 法華経嘱累品第22 菩薩の群衆のすべてに付嘱 >>

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURL

この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

 | ホーム |