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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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愛子に先立たれた母のために 上野殿母尼御前御返事④

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

上野殿母尼御前御返事うえのどのははあまごぜんごへんい

 法華経第一のまき方便品にいはく世尊せそんの法はひさしくして、後要のちかな

まさに真実を説きたまうべし」またいはく「正直に方便を捨て、

ただ無上道むじょうどうを説く」云云うんぬん。第五の巻にいはく、ただ髻中けいちゅうmyou


じゅ〕。またいはく、ひとり王の頂上にこの一珠あり」。またいは

く、かの強力ごうりきの王のひさしまもれる明珠を今乃ちこれあたえるがごとし」

等云云。

 もんの心は日本国に一切経わたれり七千三百九十九巻なり。

彼々の経々は、皆法華経の眷属けんぞくなり。例せば、日本国の男女の

数四十九億九万四千八百二十八人候へども、皆一人の国王の家

人たるがごとし。一切経の心は愚癡ぐちの女人なんどの唯一時に心

うべきやうはたとへば大塔をくみ候には先づ材木より外にあし

しろと申して多くの小木を集め一丈二丈ばかりゆひあげ候なり。

かくゆひあげて、材木をもつて大塔をくみあげ候つれば、返つ

て足代を切り捨て大塔は候なり。足代と申すは一切経なり、大

塔と申すは法華経なり。

 仏、一切経を説き給ひし事は、法華経を説かせ給はんための

足代なり。「正直捨方便しょうじきしゃほうべん」と申して法華経を信ずる人は、阿

弥陀経等の南無阿弥陀仏・大日経等の真言宗・阿含経等の律宗

の二百五十戒等を切りすて
なげうちてのち法華経をばたもち候な

り。大塔をくまんがためには足代大切なれども、大塔をくみあ

げぬれば足代を切り落すなり「正直捨方便」と申す文の心これ

り。足代より塔は出来しゅったいして候へども、塔を捨てゝ足代ををがむ

人なし。

 今の世の道心者どうしんじゃ等、一向いっこうに南無阿弥陀仏と唱へて一生をすご

南無妙法蓮華経と一返も唱へぬ人々は大塔をすてゝ足代を

をがむ人々なり。世間にかしこくはかなき人と申すは是なり。


【現代語訳】
正直に方便を捨てる

 法華経第一の巻の方便品には、「世尊の説く法は最後に至ってまさに真実の法を説き

たもう」とあり、また「正直に方便の教えを捨て、ただ無上真実の教えを説く」とも言

っている。さらに第五の巻の安楽行品には、「転輪聖王いぇんりんじょうおうの髪の中にある宝の珠」

と言い、「この宝の珠はただ転輪聖王の頭の上だけにある」とも言い、「彼の強力な王

が、久しい間護持してきた宝珠を、今初めて与えよう」とも説かれている。

 この経文の意味は日本の国に仏教が渡来して全部で7399巻もあるこれらの経典は
                            ※1
みな法華経に随順するものである例えば日本国の男女の数が49億9万4828人あるが

みな一人の国王の家来であるのと同様である。法華経以外のすべての経は、愚かな女人

のただ一時的な気安めのようなものである。例えば大塔を造るにあたって、まず材木を

立てるよりも、外側に足場といって多くの小さな木を集め、一丈二丈と組み上げていく

ことから始めるのである。こうして組み上げた足場を利用して、次に材木を立て組み合

わせて大塔を造っていくのである。大塔が出来上がると足場は取りはずして片付けてし

まうのである。ここで足場というのは一切経のことであり、大塔というのは法華経にあ

たる。

 仏が一切経をお説きになられたのは、法華経をお説きになるための足場であったので

ある。「正直に方便を捨て」といわれているように、法華経を信ずる人は、阿弥陀経等

の南無阿弥陀仏や大日経等の真言宗、阿含経等の律宗でいう250戒等を切り捨て、なげ

うって後に法華経をたもっているのである。大塔を造るためには足場も大切であるが、

大塔が出来上がってしまえば、足場は切り落としてしまうものである。正直に方便の教

えを捨てるというのはこのことをいうのである。足場から塔はできていくのであるが、

塔を捨てて足場を拝む人はいないのと同じである。

 今の世の信仰に篤いといわれるような人々は、もっぱら南無阿弥陀仏を唱えて一生を

すごし、南無妙法蓮華経と一返も唱えたことのない人はちょうど大塔を捨てて足場を拝

むような人々である。世間でよくいう「かしこいようで、おろかな人」というのはこう

した人のことである。(つづく)

【語註】

 ※1 49億9万4828人:これだけの人口があったということになるがこれはその当
           時一般にこのくらいの人口があると考えられていたものであろう。なお、当時
           は10万をもって億としたといわれているので、49億は今日の490万に相当する
           ともいう。

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テーマ:仏教・佛教 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2023/07/25 05:29 】

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