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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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愛子に先立たれた母のために 上野殿母尼御前御返事⑥

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

上野殿母尼御前御返事うえのどのははあまごぜんごへんじ

 古昔むかし輪陀王りんだおうと申せし王をはしき。南閻浮提なんえんぶだいの主なり。この王はな

にをか供御くごとし給ひしと尋ぬれば、白馬のいなゝくを聞て食とし給ふ。

この王は白馬のいなけば年も若くなりいろも盛んに魂もいさぎよく

力もつよく、また政事まつりごとも明らかなり。ゆえに、その国には白馬を多く

あつめ飼ひしなり。たとえ魏王ぎおうと申せし王の、鶴を多くあつめ、徳宗とくそう

帝のほたるを愛せしがごとし。白馬のいなゝく事は、また白鳥の鳴きし

ゆえなり。されば、また白鳥を多く集めしなり。ある時いかにしけん。

白鳥皆うせて、白馬いななかざりしかば、大王供御たえて、盛なる花の

露にしほれしがごとく、満月の雲におほはれたるがごとし。この王すで

にかくれさせ給はんとせしかば、きさき・太子・大臣・一国皆母に別れたる

子のごとく皆色をうしなひて涙をそでにおびたりいかんせんいかん

せん。

 その国に外道げどう多し、当時の禅宗・念仏者・真言師・律僧等のごとし。

また仏の弟子も有り、当時の法華宗の人々のごとし。中悪なかあしき事水火すいか

り。えつとに似たり。大王勅宣ちょくせんを下していはく、一切の外道この馬

をいなゝかせば仏教を失ひて一向に外道を信ぜん事諸天の帝釈たいしゃくを敬

ふがごとくならん。仏弟子この馬をいなゝかせば、一切の外道のくびを切

り、その所をうばひ取りて仏弟子につくべしと云云。外道も色をうしな

ひ、仏弟子もなげきあへり。

 しかれども、さてはつべき事ならねば、外道は先きに七日を行ひき。

白鳥も来らず、白馬もいなゝかず。後七日を仏弟子に渡して祈らせし

に、馬鳴 めみょうと申す小僧一人あり。諸仏の御本尊とし給ふ法華経をもつて

七日祈りしかば、白鳥壇上に飛び来る。この鳥一声鳴きしかば、一馬一

声いなゝく。大王は馬の声を聞いて、病の床よりをき給ふ。きさきより始

て。諸人馬鳴に向て礼拝をなす。白鳥一二三乃至 ないし十百出来して、国中に

充満せり。白馬しきりにいなゝき、一馬二馬乃至百千の白馬いなゝきし

かば、大王このこえを聞こし面貌 かおかたちは三十ばかり、心は日のごとく明

かに、まつりごと正直なりしかば、天より甘露 かんろふり下り、勅風万民をなびか

して無量百歳を治め給ひき。

【現代語訳】

白鳥と白馬

 ※1
 その昔、輪陀王という王様がおられた。この世界(南閻浮提)の主人であった。この

王に何を召し上がるのか尋ねたところ、白馬のいななきを食物とすることがわかった。

この王は白馬がいななくと、年も若くなり、顔色も良く盛んとなり、心もさわやかに力

も強く、また国の政治も明るく正しく行なえた。そのために彼の国では白馬を多く集め

て飼った例えば魏王という人は鶴を多く集め徳宗皇帝が蛍を愛したのと同様である。

白馬がいななくことはまた白鳥が鳴いたためである。したがってまた白鳥を多く集めて

おいたのである。ところがある時に、どうしたことか白鳥が皆どこかへ逃げて行ってし

まって、白馬が全然鳴かなくなってしまったので大王は召し上がるものが無くなってし

まい、盛んな花が露にしおれてしまうように、満月が雲にかくれてしまうようになって

しまった。こうして大王が亡くなられてしまいそうになったとき、お后や太子・大臣を

始め国中の人々が、みな母に別れた子のように悲しみ、涙を流した。「どうしたらよい

のか」と困りはててしまった。

 その国には仏教以外の宗教を信仰する者が多く、ちょうど日本の禅宗・念仏者・真言

師・律僧等のような存在であった。また仏の弟子もあり、現代の法華宗の人々のようで
                     ※2     
あった。仲の悪いことは水と火のようであり、胡の国の人と越の国の人のようで、少し

も和合しなかった。大王は勅宣を発して次のようにいわれた。すなわち「だれか外道の

中で一人でもこの馬をいななかせたならば、仏教を捨てもっぱら外道の教えを信じるこ

とにする。ちょうど諸天が帝釈を敬うようにするであろう。またもし仏弟子がこの馬を

いななかせたならば、すべての外道の頸を切り、その住んでいる所を取り上げ、仏弟子

に与えるであろう」というのであった。これを聞いた外道は顔色を失い、仏弟子も歎き

合った。

 しかし、放置しておくわけにもいかないので、まず外道から七日間にわたり祈祷を行

なったが、ついに白鳥も来ず、したがって白馬もいななかなかった。そこで今度は仏弟
             ※3
子が祈祷をすることになり、馬鳴という一人の名の知られていない僧が行なうことにな

った。その馬鳴は諸仏が御本尊とする法華経を奉安して七日間にわたり祈ったところ、

白鳥が壇上に一羽やって来て、一声鳴いた。その声を聞いた白馬がやって来て一声いな

ないたのである。大王は馬のいななきを病床で聞いたが、たちまち起き上がった。お后

を始め周囲の人々はみな馬鳴に向かって礼拝をしたのである。白鳥は次第に数を増し、

国中に充満していった。白馬もまたしきりにいなないてその数をふやし、百千の馬がい

なないたので、大王はこの声を聞き、充分に食べて顔色も良くなり30歳も若返り、心は

太陽のように明るく、政治も正しく行なわれて、天からは甘露の雨が注ぎ、大王の政治

はよく国民をなびかせ、末永く大王の御代が栄えて平和な世の中となっていったのであ

る。(つづく)

【語註】

 ※1 南閻浮提:須弥山を中心として東西南北にそれぞれ国土があるとし、われわれ衆
    生の住む所を南の閻浮提という。南閻浮提とも一閻浮提ともいう。

 ※2 胡と越:中国で、北方の胡の国と南方の越の国。また、胡人と越人。転じて、互
     いに遠くに離れていること、疎遠であることをたとえていう。

 ※3:馬鳴: 仏教史上、2人説から6人説もあって一人ではなかったことがわかる。
     一般には『大乗起信論』や『仏所行讃』の著者としての馬鳴がよく知られてい
           る。学徳の優れた中インド舎衛城の出身者で詩人でもあった。

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テーマ:仏教・佛教 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2023/08/01 05:31 】

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