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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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愛子に先立たれた母のために 上野尼御前御返事

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

上野尼御前御返事うえのあまごぜんごへんじ

弘安4年(1281)正月13日、60歳、於身延、和文

 わが子を亡くした母の悲嘆、辛さを思い起こし、わが子恋しくば釈迦仏を信じて霊山浄土にまいり、亡き子とめぐり会えるように示して信心をすすめたもの。

 聖人すみざけひとつつ(筒)、ひさげ(提子)十か。十字むしもち百。あめひとをけ

(一桶)、二升か。柑子こうじひとこ(一籠)、串柿十連。ならびにおくり候

ひ了んぬ。

 春のはじめ御喜び花のごとくひらけ月のごとくみたせ給ふべきよ

うけ給はり了んぬ。

 そもそも故五らうどのの御事こそをもいいでられて候へ。ちりし花も

さかんとす、かれしくさ(枯草)もねぐみぬ。故五郎殿もいかでかかへ

らせ給はざるべき。あわれ無常の花とくさとのやうならば、人丸ひとまろにはあ

らずとも、花のもともはなれじ。いはうるこま(駒)にあらずとも、草

のもとをばよもさらじ。

 経文には子をばかたきととかれて候ふ。それもゆわれ候ふか。ふくろう

申すとりは母をくらう破鏡はけいと申すけだものは父をがいすあんろく

(安禄)山と申せし人は、師史明と申す子にころされぬ。義朝よしともと申せし

つはものは、為義ためよしと申すちちをころす。子はかたきと申す経文ゆわれて

候ふ。

 また子は財と申す経文あり。妙荘厳王みょうしょうごんのう一期いちごの後、無間むけん大城と申

す地獄へ堕ちさせ給ふべかりしが、浄蔵じょうぞうと申せし太子にすくわれて、

大地獄の苦をまぬがれさせ給ふのみならず。沙羅樹しゃらじゅ王仏と申す仏となら

せ給ふ。生提しょうだい女と申せし女人は、慳貪けんどんのとがによて餓鬼道に堕ちて候

ひしが、目連と申す子にたすけられて餓鬼道を出て候ひぬ。されば子を

財と申す経文たがう事なし。
 

 五郎殿はとし十六歳、心ね、みめかたち、人にすぐれて候ひし上、

男ののう(能)そなわりて、万人にほめられ候ひしのみならず、をやの

心に随ふこと、水のうつわものにしたがい、かげの身にしたがうがごと

し。いへ(家)にてははしら(柱)とたのみ、道にてはつへとをもい

はこのたから筐財もこの子のためつかう所従ふもこれがため

我し(死)なばになわれてのぼへゆきなんのちのあと、をもいをく事な

しとふかくをぼしめしたりしに、いやなくいやなくさきにたちぬれば、

いかんにや。ゆめかまぼろしか、さめなんさめなんとをもへども、さめ

ずしてとし(年)もまたかたりぬ。

 いつとまつべしともをぼへず、ゆきあう(行逢)べきところだにも申

しをきたらば、はねなくとも天へものぼりなん。ふねなくとももろこし

へもわたりなん。大地のそこにありときかば、いかでか地をもほらざる

べきとをぼしめすらむ。

 やすやすとあわせ給ふべき事候ふ。釈迦仏を御使として、りやうぜん

浄土へまいりあわせ給へ。「〔もし法を聞くもの有らば、一として成仏

せざるは無し〕」と申して、大地はささばはづるとも、日月は地に堕ち

給ふとも、しを(潮)はみちひぬ代はありとも、花はなつ(夏)になら

ずとも、「南無妙法蓮華経」と申す女人の、をもう子にあわずという事

はなしととかれて候ふぞ。いそぎいそぎつとめさせ給へ、つとめさせ給

へ。恐恐謹言。

正月十三日                     
日 蓮 花押

上野尼御前御返事





【現代語訳】
子は敵と子は財

 清酒一筒、提子十箇、蒸餅百、飴一桶(二升か)、蜜柑みかん一籠、串柿十連などいろいろ

とお送りいただきました。厚く御礼申し上げます。

 新春のご慶賀のこと、貴家におかれましては、花のように開け、月のように満ちてい

らっしゃるとのことを承りました。まことにおめでとうございます。

 それにつけても亡くなったご子息五郎殿のことが思い出されます。散った花も咲こう

としています。枯れた草も芽をふきました。そのように、故五郎殿も生き返りなさると

よいのですが、どうして駄目なのでしょうか。ああ、人生が栄枯盛衰を繰り返す花や草

のようであるならば、柿本人麿ではなくても朽木くちきのもとを離れないで再び花が咲くのを

待つでしょうし、つながれた駒でなくても枯草のもとを去らないでまた芽を吹くのを待つ

でしょう。しかし人生にはくり返しがないので、故五郎殿の再来を期待してもいたしか

たありません。

  ある経文には、子は敵であると説かれています。それも理由のあることでしょう。梟と

いう鳥は母を食うし、破鏡という獣は父を殺します。人間でも、中国の安禄山※2あんろくざんとい

う人は師史明という子に殺されました。わが国の源義朝という武士は源為義という父を

殺しました。子は敵であると記す経文には根拠があるのです。

  またある経文には、子はたからであると説かれています。法華経に登場する妙荘厳王は、

仏法に背いたために死後は無間大城という最低の地獄へお落ちになることになっていた

のですが、浄蔵という太子の教えで救われて無間地獄の苦しみから逃れることができた
                              ※3
ばかりでなく、ついには娑羅樹王仏という仏になられました。また青提女といった女性

は、けちで欲張りであった罪によって餓鬼道に落ちましたけれども、目連という子に助

けられて苦界から脱出できました。だから子は財であるという経文も正しいのです。

母の一念

 故五郎殿は、年齢わずか16歳、心情や容貌が他人よりも秀れていらっしゃった上に、

男らしさにあふれて人々の賞賛の的であったばかりでなく、親の心に背かないことは、

水が器にしたがって形を変え、影が身に添って離れないようでした。あなたは、故五郎

殿のことを、家にいては柱と頼み、道にあっては杖と思ったことでしょう。そして、箱

に納めてある財宝もこの子のために蓄えたのであり、召し使う従者もこの子のため故に

雇い入れたもの、そして自分が死んだらこの子にひつぎをかつがれて野辺の墓所へ葬られる

のだからその後のことは何の心配もないと深く思っていらっしゃったでしょうに故五

郎殿は、その期待をすっかり裏切って、先に黄泉よみの国へ旅立ってしまったのであなたの

お気持ちはどれほどお辛いことでしょうか夢か幻か夢ならば早く覚め、幻ならばすぐ

に消えてもらいたいと思うのですけれど夢も覚めず幻も消えないで年が改まってしま

いました。

 いつになったら故五郎殿と再会できるかわからないまでも、会える場所だけでもお知

らせしておいたならば、あなたは、羽がなくても天へ昇っていくでしょう。船がなくて

も中国まで渡るに違いありません。また大地の底にその場所があると聞いたならば何と

しても地を掘り割って会いに行かずにはおかない、とお思いになるでしょう。

 ところが実は、そんな苦労をしなくても、とても簡単にお会いになれる方法があるの

です。釈迦仏をお頼りして、霊山浄土へ行ってお会いください。法華経の方便品に「も

し、妙法蓮華経を聞くことがあるならば、一人として成仏しないものはいない」とあり

ますが、これは、大地を指さしてはずれることがあっても、日月が地に落ちることがあ

っても、海水が満ちたりいたりしない時代があっても、花は夏に咲かなくても、その

ように、どんな起こるはずのないことが起こったとしても「南無妙法蓮華経」と唱える

女性が、会いたいと思う子に会わないということはない、と説かれているのです。なま

ず、おこたらず、お勤めください、お励みください。恐々謹言。

正月十三日                           
日 蓮  花押

上野尼御前御返事

【語註】 ※1 
提子ひさげ水・酒などを入れて手でさげる容器。

      ※2 安禄山:
唐代の叛臣。玄宗皇帝に寵遇され、楊貴妃と結んでその養子
      となる。楊貴妃の兄の宰相楊国忠と対立し、755年、史思明(史師明)とと
                もに反乱を起こして勝利し、大燕皇帝と自称したが、後、子の安慶緒に殺さ
                れる。史思明に関する記述は事実に反する。
 
      ※3 
青提女:摩訶目犍連【まかもっけんれん】(目連)の母。慳貪の罪に
       よって餓鬼道に落ち、目連の供養によって救われたことが盂蘭盆経に見え
                 る。

【解説】

 七郎五郎が亡くなって16カ月、400日余を過ぎた弘安4年正月のお手紙である。春を

迎え、花も咲き、草の芽もふこうとしているのに、七郎五郎が生き返ることはない。ど

うして駄目なのでしょうか?宗教者らしからぬ言葉で始まる。

 経文には子は財と説かれているが、七郎五郎は尼御前にとってまことに財であった。

この子を杖柱のように思い、箱の財もこの子のためと思い、自分が死んだならは、二人

の男の子に見守られ荷われて墓所に行くことを本望としていたのに。まして、七郎五郎

は男の子である上気質から顔かたちまで人に勝れ万事に通じ心の優しい人であった。

人にも褒められ、親の身としてどんなにか嬉しく思ったことであろう。くわえて、親の

心に随うことは水が器に随い影が身に添うようであった。若くして親のごとく法華経の

信心に励んでもいた。念仏を唱える人の多い世なのに、七郎五郎はそれらの人には似て

も似つかず、幼い時から賢父の跡を追い、南無妙法蓮華経と唱えてきた。

 それなのに、年老いた母は残り、若き子は去って行った。夢ならば覚めてほしい。幻

ならば消えてほしいと思われたであろう。しかし、覚めも消えもせず年を過ぎてしまっ

た。せめて行き会う場所でも言いおいてくれたなら、羽はなくても天へ上り、船がなく

ても海を渡り大地の底にいるならどうして地面を掘って会いに行かぬことがあろうか。

 日蓮は子に会いたい、もし会えるなら火にの中にも入ろうと切なく願う母の心が亡き

子にも通じることを示している。子を思う母の一念によって、釈迦仏を使いとして法華

経信仰を歩むことが、霊山浄土で亡き子に再会する道に確実につながっていることを説

いて、日蓮は母に向かって信心を勧めたのである。

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テーマ:仏教・佛教 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2023/08/08 05:29 】

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