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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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愛子に先立たれた母のために 上野殿母尼御前御返事 

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

上野殿母尼御前御返事うえのどのははごぜんごへんじ

弘安4年(1281)12月8日、60歳、於身延、和文

 尼御前の供養に感謝し、日蓮自ら春以来病気の由を述べつつ、霊山浄土で亡き子息に会えたならば、母の嘆きを伝えようと尼御前を慰めたもの。

 の米一だ・聖人一つつ・かつかうひとかうぶくろ(一紙袋)、おくり

給び候ひ了んぬ。

 このところのやうせんぜん(前々)に申しふり候ひぬ。

 さては去ぬる文永十一年六月十七日この山に入り候ひて今年十二月八

日にいたるまで、この山出づる事一歩も候はず。ただし八年が間やせや

まいと申し、とし(齢)と申し、としどしに身ゆわく、心をぼれ(耆)

候ひつるほどに、今年は春よりこのやまいをこりて、秋すぎ冬にいたる

まで、日々にをとろへ、夜々にまさり候ひつるが、この十余日はすでに

食もほとをど(殆)とどまりて候ふ上、ゆき(雪)はかさなり、かん

(寒)はせめ候ふ。身のひゆる事石のごとし。胸のつめたき事氷のごと

し。しかるにこのさけ(酒)はたたかにさしわかして、かつかうをはた

とくい切つて、一度のみて候へば、火を胸にたくがごとし、ゆに入るに

にたり。あせ(汗)にあかあらい、しづくに足をすすぐ。

 この御志ざしはいかんがせんとうれしくをもひ候ふところに、両眼よ

りひとつのなんだをうかべて候ふ。まことやまことや去年の九月五日こ

(故)五郎殿のかくれにしは。いかになりけると、胸うちさわぎて、ゆ

びををりかずへ候へば、すでに二ケ年十六月四百余日にすぎ候ふか。そ

れには母なれば御をとづれや候ふらむ。いかにきかせ給はぬやらむ。

 ふりし雪もまたふれり。ちりし花もまたさきて候ひき。無常ばかりま

たもかへりきこへ候はざりけるか。あらうらめし、あらうらめし。

 余所よそにてもよきくわんざ(冠者)かな、よきくわんざかな。玉のやう

なる男かな、玉のやうなる男かな。いくせをやのうれしくをぼすらむと

み候ひしに、満月に雲のかかれるがはれずして山へ入り、さかんなる花

のあやなくかぜにちるがごとしと、あさましくこそをぼへ候へ。

 日蓮は所らう(労)のゆへに人々に御文ふみの御返事も申さず候ひつる

か、この事はあまりになげかしく候へば、ふでをとりて候ふぞ。これも

よもひさしくもこのよに候はじ。一定いちじょう五郎殿にゆきあいぬとをぼへ候

ふ。母よりさきにけさん(見参)し候わば、母のなげき申しつたへ候は

ん。事々またまた申すべし。恐恐謹言。

十二月八日                     日 蓮 花押

上野殿母御前御返事

【現代語訳】
無常と血涙の情愛
          
 上等の米一駄、清酒一筒〈20※1ひさげか〉、※2つこう一紙袋、お送りいただきました。

御礼申し上げます。

 この身延の様子は前に申し上げましたが、あい変わらずの状況です。

 さて私は去る文永11年(1274)6月17日にこの山に入りまして、弘安4年12月8日

の今日にいたるまで、一歩もこの山を出たことがありません。修行一途いちずに過ごしていま

す。とはいっても、8年の間、やまいにかかったことや、老齢になったことやで、年々

に体が衰弱し、心が散漫になってしまったのですが、とくに今年は、春からこの病気が

おこって、秋を過ぎ、冬の今にいたるまで治まらず、体は日々に衰え、病は夜々に重くな

って、この十日あまりはもう食事もほとんど喉を通らなくなりました。その上、雪は降

り積もり、寒さは襲いかかります。体が冷えることは石のようです。胸の冷たいことは

氷のようです。ところが、このたび送っていただいた清酒を温かくかんして、かっこうを

バリッと食い切って、ひとたび飲み下しますと、火をたいたように胸が熱くなり、湯に

つかったように体が暖かくなります。流れ出る汗で垢を洗い落とし、したたり落ちる汗

で足をすすぎ清めます。

 貴重な品々をお送りくださったお志に対し、何と御礼を申し上げようかと嬉しく思っ

ていましたところ、両眼から熱い涙があふれてきました。ほんとにほんとに、ご子息故

五郎殿が亡くなってしまったのは去年の9月5日のことでしたね。その後は故五郎殿は

冥途でどうしていらっしゃることかと心配になって指折り数えてみれば、もうあれから

2箇年、月にすると16箇月、日にすると400余日が過ぎているのですね。あなたは母な

のですから、ご子息からの連絡をお受けになったことでしょう。どうして様子を教えて

くださらないのですか。

 去年の冬に降った雪が今年も降りました。去年散った花が今年も咲きました。こうし

て自然は巡回をくり返すのに、亡くなった人ばかりは二度と息を吹き返しなさることが

ないのですね。ああ怨めしいことです、怨めしいことです。

 故五郎殿は、余所目よそめにも、頼もしい若者であることよ、立派な青年であることよ、親

はどれほど嬉しくお思いになっているだろうか、と見ていましたが、こうこうと照る満

月にむら雲がかかってそのまま山の端に入ってしまうように、あるいは今をさかりと咲

き匂う桜の花が強風にあってはらはらと散ってしまうように、あまりにはかなく若い命

を落としてしまわれたことよと、慨歎がいたんに堪えません。

 私は病気のために、皆さんからのお手紙に対して返事も書かずにおりましたが、故五

郎殿のご逝去のことは、あまりに悲しく思いますので筆を執ったのですよ。私自身、も

はや長くはこの世にいないでしょうきっと近いうちに五郎殿とお会いすると思います。

母のあなたより先にお目にかかったら、母上がどれほど歎き悲しんでいるかということ

をお伝えいたしましょう。詳細はまたお便りします。恐々謹言。

十二月八日                           日 蓮  花押

上野殿母御前御返事

【語註】

 ※1 提:酒を盃に注ぐための弦のある器。
 
 ※2 かつこう(藿香):シソ科の多年草で各地に野生する薬用植物。茎や葉を乾燥さ
           せて、頭痛・消化不良などの飲み薬とする。

【解説】

 日蓮は3年(1277)の暮から下痢の症状が始まっていた。それ以来の病状について語

り、冷え切った体をいただいた酒で温めていると書いて、感謝の言葉としている。

 そこで、亡くなった上野七朗五郎のことに思いを馳せる。五郎の死は、兄の次郎時光

と一緒に日蓮に面会した直後のことであった。享年16、あまりの急なことに、日蓮は驚

きと悲しみの思いを込めた手紙を書いていた。それから、約1年半、ことあるごとに母

の悲しみに寄り添う手紙をしたためた。亡くなってからの期間を、数え年の数で「2ケ

年」、月数にして「16月」、日数にして「400余日」と言い換えているのは、その悲し

さは、「2ケ年」という大づかみにできるものではなく、月々、日々にそれぞれの悲し

みがあったことを察してのことであろう。

 この手紙が書かれたのは、弘安4年(1281)12月、自らの死の10カ月前のことであ

る。日蓮の体力は、相当に衰えていたことであろう。その容態を包み隠すことなく記し

ている。この手紙は、病気のため筆をとることの不自由さを押してまで、夭逝した子の

母親をなぐさめる温かさに満ちている。

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テーマ:仏教・佛教 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2023/08/17 05:35 】

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