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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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夫に先立たれた妻のために 持妙尼御前御返事

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

持妙尼御前御返事じみょうにごぜんごへんじ

弘安2年(1279)11月2日、58歳、於身延、和文

 夫婦別離の辛さを語り、信心を導いた亡夫に廻向の題目を唱えるよう、その妻に勧めたもの。

 御そう(僧)ぜんれう(膳料)送り給ひ了んぬ。

 すでに故入道殿のかくるる日にておはしけるか。とかうまぎれ候ひけ

るほどに、うちわすれて候ひけるなり。よもそれにはわすれ給はじ。

 蘇武そぶと申せしつわものは、漢王の御使に胡国ここくと申す国に入りて十九

年、め(妻)もおとこ(夫)をはなれ、おとこもわするる事なし。あま

りのこひ(恋)しさに、おとこのきぬを秋ごとにきぬたのうへにてうちけ

るが、おもひやとをりてゆきにけん、おとこのみみにきこへけり。ちん

し(陳子)といいしものは、めおとこ(夫婦)はなれけるに、かがみ

をわりてひとつづつとりにけりわするる時は鳥いでて告げけり

さうし(相思)といゐしものは、おとこをこひてはかにいたりて木とな

りぬ。相思樹そうしじゅと申すはこの木なり。

 大唐へわたるに、しが(志賀)の明神と申す神をはす。おとこのもろ

こしへゆきしをこひて神となれり。しま(島)のすがたおうな(女)に

にたり。まつらさよひめ(松浦佐与姫)といふこれなり。

 いにしへよりいまにいたるまで、をやこのわかれ、主従のわかれ、い

づれかつらからざる。されどもおとこをんなのわかれほどたとへなかり

けるはなし過去遠々より女の身となりしがこのおとこ娑婆しゃば最後のぜ

んちしき(善知識)なりけり。

 ちりしはなをちしこのみもさきむすぶなどかは人の返へらざるらむ。

こぞもうくことしもつらき月日かなおもひはいつもはれぬものゆへ。

 法華経の題目をとなへまいらせてまいらせ。

十一月二日                     日 蓮 花押

持妙尼御前御返事

【現代語訳】
 ※1
 御僧膳料をお送りいただきました。お礼申し上げます。

 今日はもう故ご夫君のご命日がめぐってきたのでしたか。私は多忙にまぎれて失念し

ておりました。しかし、あなたとしてはお忘れになれないことですね。申しわけなく存

じます。
      ※2
 昔、中国の蘇武という勇士は、漢王の使者として胡国という国に行ったまま捕虜とな

って19年間も帰れませんでしたが、妻も夫を想いつづけ、夫も妻を忘れることなく過ご

しました。妻は、あまりの恋しさに、秋ともなれば夫の着物をきぬたの台にのせて打ってい

ましたが、その切なる思いがかよっていったのでしょうか。夫の耳に音が聞こえたという
       ※3
ことです。また陳子という人は、夫婦が別れる時に鏡を破って一片ずつを分けて持って
                                                                                                                                  ※4
いましたが、相手のことを忘れると鏡が鳥になって警告したそうです。それから相思と

いう人は、権力者に妻を奪われて自殺しましたが、妻も夫の墓のもとで思い死にをし、

二本のからまり合った木となったといいます。相思樹というのはこの木です。

 日本では中国へ渡る九州の地に志賀の明神という神がいらっしゃいますこの神は、

夫が中国へ旅立っていったのを恋い慕ってその地から離れなかった女性が神となったも
                    ※5
のです。だから島の姿が女性に似ています。松浦佐夜姫というのがその女性です。

 昔から今にいたるまで、親子の別れといい、主従の別れといい、どちらの方が辛いと

いうことなく、いずれも苦痛なものなのですが、しかし、それらにもまして、たとえよ

うもなく苦しいのは夫婦の別れです。今日、ご夫君の命日をお迎えになったあなたのお

悲しみは限りないものと思われます。しかし、あなたは過去の遠い昔から何回となく女

性としてお生まれになったことでしょうが、このご夫君は、娑婆世界で、もうこれ以上

に尊い境地はないという法華経信仰を手解てほどきした最終的な仏法指導者だったのですね


 世間の和歌にも「自然界では、散った花も、落ちた果実も、季節がめぐってくれば、

また咲き、また結ぶのに、逝った人は、どうして二度と帰ってくることができないので

あろうか」「亡き人を偲ぶ思いの晴れ間がないので、去年も物憂く、今年も辛い日月を

送ることである」と詠まれています。

 法華経の題目をお唱えになってご供養なさいます

ように。

十一月二日                           
日 蓮  花押

持妙尼御前御返事

【語註】

 ※1 御僧膳料:
僧侶の食膳を供養する費用。

 ※2 蘇武:漢の武帝に仕えた名臣。匈奴に捕えられたが節を曲げず、苦難の抑留生活
      19年を経て、次の昭帝の時代に帰国することを得た。妻が夫を想って打つ砧の音
           が胡国に届いた話や、雁の足に手紙を結んで故国に生存していることを知らせた
           話で知られている。

 ※3 陳子:中国・南朝・陳の太子に仕えた徐徳言。陳が滅ぼされて妻と別れなければ
    ならなくなった時に、鏡を割ってその一方を妻に持たせたが、それが縁になって
          再会を果たしたという(太平広記)。別に、鏡を破り片方ずつを持って別れた夫
    婦の、妻が不義をした時に、鏡が鵠【かささぎ】となって夫に告げたという話も
          ある(神異経)。

 ※4 相思:中国・戦国時代の宋の大夫韓憑【かんひょう】のことで、康王に妻を奪わ
           れて自殺した。夫を追って自殺した妻と相思との二人の墓から生えた木が互いに
           からまりあったという。

 ※5 松浦佐夜姫:肥前国松浦に住んでいたという女性。宣化天皇の代、朝鮮半島の任
     那救援に出征する愛人大伴狭手比古【おおとものさでひこ】を領巾振峯【ひれふ
       りのみね】(現・佐賀県唐津市の鏡山)で領巾を振って見送り、悲しみの余りそ
           こから去ることができずに石になってしまったという。

【解説】

 持妙尼は富士山麓、駿河の賀島の庄を領有していた高橋六郎兵衛入道の妻で、夫の病

を機に出家され回復を祈られました。しかし、夫の寿命は尽きてしまいます。

 持妙尼は折々に身延山へ供養の品々を送り届けています。この手紙も夫の追善供養の

僧膳料に対する感謝の礼状です。

 手紙は「入道殿の命日がきたのですね。諸事にまぎれ忘れていましたが、あなたは決

して忘れることはないでしょう」という書き出しで始まり、中国の3組の夫婦とわが国

の松浦佐夜姫の故事を記し、夫婦の別離ほどつらく悲しいものはないとして、和歌2首

で結んでいます。

 失意の夫人に寄り添おうとされた日蓮聖人の大慈大悲が伝わってきます。夫の生前は

病で信仰心を触発し、他界後も供養の念を促してくれる存在であり、夫こそが善知識で

あると気づいた持妙尼御前は、強く生き抜くための一歩を踏み出せたのではないでしょ

うか。

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テーマ:仏教・佛教 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2023/08/19 05:32 】

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