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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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夫に先立たれた妻のために さじき女房ご返事

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

さじき女房御返事 にょうぼうごへんじ

建治元年(1275)5月25日、54歳、於身延、和文

 法華経の「文字の仏」に供養をささげた功徳は限りなく、まして亡夫にこの功徳が及
ぬことがないと示している。

 前欠女人は水のごとしうつは物にしたがう女人は矢のごとし

弓につがはさる。女人はふねのごとし、かぢ(楫)のまかするによるべ

し。しかるに女人はをとこ(夫)ぬす人なれば、女人ぬす人となる。を

とこ王なれば、女人きさきとなる。をとこ善人なれば、女人仏になる。

今生のみならず、後生もをとこによるなり。

 しかるに兵衛のさゑもんどの(左衛門殿)は法華経の行者なり。たと

ひいかなる事ありともをとこのめなれば法華経の女人とこそ、

仏はしろしめされて候ふらんに、また我とこころををこ(発)して、法

華経の御ために御かたびらをくりたびて候ふ。

 法華経の行者に二人あり。聖人は皮をはいで文字をうつす。凡夫はた

だひとつきて候ふかたびらなどを、法華経の行者に供養すれば、皮をは

ぐうちに仏をさめさせ給うなり。この人のかたびらは法華経の六万九千

三百八十四の文字の仏にまいらせさせ給ひぬれば、六万九千三百八十四

のかたびらなり。また六万九千三百八十四の仏、一々六万九千三百八十

四の文字なれば、このかたびらもまたかくのごとし。たとへばはるの野

の千里ばかりにくさのみちて候はんに、すこしきの豆ばかりの火をくさ

ひとつにはなちたれば、一時に無量無辺の火となる。このかたびらもま

たかくのごとし。一のかたびらなれども法華経の一切の文字の仏にたて

まつるべし。この功徳は父母・祖父母ないし無辺の衆生にもをよぼして

ん。まして我いとをしとをもふをとこごは申すに及ばずと、おぼしめす

べし。恐恐謹言。

五月二十五日                    日 蓮 花押

さじき女房御返事

【現代語訳】
文字の仏への供養

 (前略)女性は水のようなもので、器物の形にしたがって形を変えます。女性は矢の

ようなもので、弓につがわれてどこへでも飛んでいきます。女性は船のようなもので、かじ

にまかせて方向を変えます。だから、女性は夫が盗人だとその協力者として盗人扱いさ

れます。夫が王であるならば、女性は后となります。夫が善人であるならば、女性は仏

になります。女性が夫しだいで立場を変えるというのは、この世だけのことでなく、来

世でも同じことなのです。

 ところで、ご夫君の兵衛左衛門殿は法華経の行者です。だから、たとえどんなことが

あっても、仏は、あなたを、兵衛左衛門殿の妻だということによって、法華経信仰の女

性であるとお認めになるでしょうが、そのような受け身のことで満足することなく、自

発的な信仰心を起こして、法華経の御ために御かたびらをお送りくださいました。ありがた

いことです。

 法華経の行者に聖人と凡人との二類があります。聖人は、身の皮をいで法華経を書

写します。凡人は、ただ一着しかない帷を法華経の行者に供養すれば、それで聖人が皮

を袷いだのと同じことになると仏はお認めになるのです。この凡夫の帷は、法華経に記

されている文字の数、6万9384の一字一字の仏にご供養なさったのですから、6万9384

着の帷にほかなりません。つまり、法華経には、6万9384の仏が、いちいち6万9384の

文字として出現なさっているのですから、帷の数もそのようになるのです。たとえば、

千里四方もある春の野の草が茂りわたっているところで、小さな豆粒ほどの火を一本の

草につけると、たちまちに一面の火の海となるでしょう。あなたから送られた帷もまた

同じです。一着の帷ではあっても、法華経の6万9384体すべての文字の仏、お一人お一

人に献上するものとなるのです。この功徳は、あなただけではなくて、父母、祖父母ら

のご先祖から、さらに一切の衆生にも及ぶことでしょう。ましてあなたが愛していらっ

しゃるご夫君に及ぶことはいうまでもないとお思いください。恐恐謹言。

五月二十五日                          
日 蓮  花押

桟敷女房御返事


【解説】

 さじき女房とは、六老僧日昭にっしょうの兄、印東いんどう次郎左衛門尉祐信さえもんのじょうすけのぶの妻のこと。印東

祐信の父を祐照すけてるその妻の妙一尼をさじきの尼嫁をさじき女房と称したと言われてい

。さじきは桟敷のこと。昔、印東氏が源頼朝の由比ケ浜遠望のために、山上に桟敷を

を構え、後に、この旧蹟に居を構え住したことから、地名に由来してこう呼ばれた。

 さじき女房に、法華経の功徳の内容をあかしたのが、この手紙である。大切なものを

ささげる。その供養の志は一つのかたびらであろうとも、一切の「文字の仏」に奉るこ

とになる、という。限りなき仏の慈悲にひろがる功徳の広大さは、また限りなき救済の

普遍性につながる。まして、愛する夫が、法華経の文字の仏にささげられた功徳に包摂

されることはいうまでもないというのである。妻の、夫への愛は仏の愛となって、死者

の世界と生者の思いをつなげていき、それが亡夫の功徳となり、法華経の女人としての

妻の生き方と功徳になる、という廻向のありようを説いた。

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【 2023/08/26 05:33 】

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