fc2ブログ

なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

カテゴリ

最新記事

fc2カウンター

Facebook

月別アーカイブ

最新トラックバック

最新コメント

リンク

検索フォーム

RSSリンクの表示

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR

亡き父母を供養する子のために 南条殿御返事②

 ダウンロード
波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

南条殿御返事なんじょうどのごへんじ

 ――つくし(筑紫)にををはしの太郎と申しける大名ありけり。大将

どのの御かんきをかほりて、かまくらゆいのはま、つちのろう(土牢)

にこめられて十二年。めしはじめられしとき、つくし(筑紫)をうちい

でしに、ごぜん(御前)にむかひて申せしは、「ゆみや(弓
)とるみ

(身)となりて、きみの御かんきをかほらんことはなげきならず。また

ごぜんにをさな(幼)くよりな(馴)れしが、いまはなれん事いうばか

りなし。これはさてをきぬ。なんし(男子)にても、によし(女子)に

ても、一人なき事なげきなり。ただしくわいにん(懐妊)のよしかたら

せ給ふ。をうなご(女子)にてやあらんずらん。をのこご(男子)にて

や候はんずらんゆくへをみざらん事くちをしまたかれが人となり

ちち(父)というものもなからんなげき、いかがせんとをもへども

力及ばず」とていでにき。

 かくて月ひ(日)すぐれ、ことゆへなくまれにき。をのこごにてあ

りけり。七歳のとしやまでら(山寺)にのぼせてありければ、ともだち

なりけるちごども(児共)、をやなしとわらひけり。いへ(家)にかへ

りてはは(母)にちちをたづねけり。ははのぶるかたなくしてな(泣)

くよりほかのことなし。このちご申す。「天なくしては雨ふらず、地なく

してはくさをいず。たとい母ありとも、ちちなくはひと(人)となるべ

からず。いかに父のありどころをばかくし給ふぞ」とせめしかば、母せ

められて云ふ、「わちご(和児)をさなければ申さぬなり。ありやうは

かうなりこのちごなくなく申すやうさてちちのかたみはなきか」

と申せしかば、「これあり」とて、ををはし(大橋)のせんぞの日記、

ならびにはら(腹)の内なる子にゆづれる自筆の状なり。いよいよをや

こひしくて、なくより外の事なし。「さていかがせん」といゐしかば、

「これより郎従あまたともせしかども、御かんきをかほりければみなち

りうせぬ。そののちはいきてや、またしにてや、をとづるる人なし」と

かたりければ、ふしころびなきて、いさむるをももちゐざりけり。はは

いわく、「をのれをやまでら(山寺)にのぼする事は、をやのけうやう

のためなり。仏に花をもまいらせよ。経をも一巻よみて孝養とすべし」

と申せしかば、いそぎ寺にのぼりていええかへる心なし。昼夜に法華経

をよみしかば、よみわたりけるのみならず、そらにをぼへてありけり。

【現代語訳】
大橋太郎とその子の物語

 ――昔、北九州に大橋太郎という大名がいました。右大将源頼朝殿から懲戒処分を受

けて、鎌倉の由比の浜の土牢に12年間も閉じ込められていました。その大橋太郎が、召

し捕られて鎌倉へ行くことになった時、故郷を出立するにあたって奥方にむかい、「弓

矢を帯して君に仕える武士の身となったことですから、ご主人から懲戒をお受けするこ

とは歎かわしいことではありません。それに反して、あなたとは幼少のころから馴れ親

しんだ間がらですから、今お別れするのはとても辛い思いです。しかしそのことはもう

言うのはやめましょう。日ごろから歎かわしく思っていたのは、男子でも女子でも子供

が一人もいないことでした。ところが今度、あなたは懐妊したということをお聞かせく

ださいました。生まれてくるのは女の子でしょうか、それとも男の子なのでしょうか。

それを見届けられないのが残念です。また、その子が成長して、父親がいないための苦

しみを味わうことがないようにとは思いますが、それは力の及ばないことです」と言っ

て旅立ちました。

 その後、妻は順調に月日を過ごし、子供は無事に生まれました。男の子であったので

す。

 7歳のときに山寺へ修学のために登らせたところ、仲間の子供たちが「父なし子よ」

といってあざけり笑いました。それで、家に帰って母に父親のことを質問しました。母

は答えようがなくて、ただただ泣くばかりでした。その子はいいました。「天がなけれ

ば雨は降りません。地がなければ草はえません。たとえ母親がいても、父親がいなか

ったならば子が生まれるはずはありません。どうして父上の消息を教えてくださらない

のですか」と。母は責められて「お前が幼いので言わなかったのです。実はこれこれな

のですよ」といって父が鎌倉へ連れて行かれた様子を語りました。この子は泣く泣く、

「それでは父上のかたみとなるものはありませんか」というので、母は「これがありま

す」と言って、大橋氏の先祖の日記、ならびにまだ胎内にいたその子のために遺した自

筆の書状を見せました。子はますます父が恋しくなって、激しく泣くばかりです。子が

「何としても父上にお会いしたいのですが、どうしたらよいのでしょう」と尋ねたとこ

ろ、母は「ここをご出発になった時には家来がたくさん随っていたのですが、罪科をこ

うむった身のことですから、皆ちりぢりに去っていってしまい、その後は生きているの

やら死んでしまったのか、消息を伝えてくれる者もいません」と答えました。子は、こ

ろげまわって泣き悲しみ、いくらなだめても聞きませんでした。母が「お前を山寺に登

らせたことは父上への孝養を尽くさせようと思ったからです仏に花をお捧げなさい。

そして法華経の一巻でも読誦して孝養の営みとしなさい」と言いましたところ、子は急

いで山寺へ登り、二度と家へ帰ろうとしませんでした。そして昼となく夜となく法華経

を読み続けましたので、全巻にわたって経文が読めるようになったばかりでなく、すべ

てを暗誦するにいたりました。(つづく)
 

↓ ランキング挑戦中  Brog Rankingのバナーをポチッと押してね!
スポンサーサイト



テーマ:仏教・佛教 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2023/09/07 05:35 】

亡き父母を供養する子のために  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |
<< 亡き父母を供養する子のために 南条殿御返事③ | ホーム | 亡き父母を供養する子のために 南条殿御返事① >>

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURL

この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

 | ホーム |