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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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亡き父母を供養する子のために 南条殿御返事③

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

南条殿御返事なんじょうどのごへんじ
 
 さて十二のとし、出家をせずしてかみ(髪)をつつみ、とかくしてつ

くしをにげいでて、かまくらと申すところへたづねいりぬ。八幡の御前おんまえ

にまいりてふしをがみ申しけるは八幡大菩薩は日本第十六の王

本地ほんじ霊山浄土りょうぜんじょうど、法華経をとかせ給ひし教主釈尊なり。衆生のねがい

をみ(満)て給はんがために神とあらわれさせ給ふ。今わがねがいみて

させ給へ。
をやはきて候ふか、しにて候ふか」と申して、いぬ(戌)

の時より法華経をはじめて、とら(寅)の時までによみければ、なにと

なくをさなきこへ(声)ほうでん(宝殿)にひびきわたり、こころすご

かりければまいりてありける人々もかへらん事をわすれにき。

皆人いち(市)のやうにあつまりてみければ、をさなき人にて法師とも

をぼえず、をうなにてもなかりけり。

 おりしもきやう(京)のにゐ(二位)どの御さんけいありけり。人め

をしのばせ給ひてまいり給ひたりけれども、御経のたうとき事つねにも

すぐれたりければ、はつるまで御聴聞ありけり。さてかへらせ給ひてを

はしけるが、あまりなごりのをしさに、人をつけてをきて、大将殿へ

「かかる事あり」と申させ給ひければ、めして持仏堂にして御経よませ

まいらせ給ひけり。

 さて次の日また御聴聞ありければ西のみかど御門人さわぎけり

いかなる事ぞとききしかば、「今日はめしうどのくびきらるる」とのの

しりけり。「あわれ、わがをやはいままで有るべしとはをもわねども、

さすが人のくびをきらるると申せば、我身のなげき」とをもひてなみだ

ぐみたりけり。大将殿あやしとごらんじて、「わちご(和児)はいかな

るものぞ、ありのままに申せ」とありしかば、上くだんの事一々に申し

けり。をさふらひにありける大名小名、みす(翠簾)の内、みなそでを

しぼりけり。大将殿かぢわら(梶原)をめしてをほせありけるは、「大

はしの太郎というめしうどまいらせよ」とありしかば、「ただ今くびき

らんとて、ゆい(由比)のはまへつかわし候ひぬ。いまはきりてや候ふ

らん」と申せしかば、このちご御まへなりけれども、ふしころびなきに

けり。

【現代語訳】

 そのようにして12歳になった時、出家はせず、頭髪を布で包み隠してうまく九州を逃

げ出し、父が連れて行かれたという鎌倉とやらいうところへ尋ね入りました。そして鶴

ケ岡八幡宮に参詣し、社前にぬかづいて神を伏し拝みながら「八幡大菩薩は日本国第16代

の国王応神天皇として垂迹すいじゃくなさったお方であり、その本地は霊山浄土で法華経をお説

きになった教主釈尊でいらっしゃいます。それが、衆生の願うところを満たしてくださ

るために神として出現なさいました。今、私の願いをお満たしくださいませ。父親は生

きているのでしょうか。それともすでに亡き者となっているのでしょうか。どうぞお教

えくださいませ」と祈願しました。午後8時ころから法華経を誦みはじめて午前4時こ

ろにいたりましたが、そこはかとなく澄んだ幼い声が社殿に響きわたり、思わず身ぶる

いするほどに緊迫した清爽感がただよったので、参詣していた人々も心を奪われて帰る

ことを忘れてしまいました。みなが神秘的な声の出所を尋ねて山のように集まって見る

と、なんと幼い者で、その子が法師か老女のようにすばらしい声で読経をしているので

した。
         ※1
 ちょうどその時、京の二位殿の八幡宮ご参詣がありました。人目をおしのびになって

お参りなさったのですが、御経の声の尊さが尋常ではなかったので、最後までお聞きに

なっていらっしゃいました。しばらくしてお帰りになったのですが、その子と別れるの

があまりに名残なごり惜しく思われたので、家来を監視につけておいて、ご自分は頼朝殿のも

とへいらっしゃって「このような尊いことに会いました」とご報告なさったので、頼朝

殿はその子を召し寄せて、持仏堂でお経をお読ませになりました。

 さて翌日、頼朝殿がまたお経を読ませてお聞きになっていた時、西の御門で人声がざ

わざわとしました。何がおこったのだろうかと聞き耳を立ててみると、「今日は囚人が

首を切られるのだ」と大声で言っていました。子は、「ああ、父上が今日まで命を長ら

えていらっしゃるとは思わないけれど、人が首を切られると聞けば、父上のことがしの

ばれて辛いことだ」と涙ぐんでしまいました。それをご覧になった頼朝殿が「お前は何

者であるのか。事情がありそうだが隠さずに言ってごらんなさい」とお尋ねになると、

子は幼少のころからのことを細かく申し上げました。それを聞いて、侍所さむらいどころ伺候しこう

ていた大名も小名も、また御縁みすの内にはべっていた女房たちも、みな涙に袖をぬらしま

した。頼朝殿が梶原景時かじわらのかげときを呼んで「大橋太郎という囚人を召し出せ」と命令をくだ

と、景時が「その者は、ちょうど今、首を切るために由比の浜へ連れて行かせました。

もう切ってしまったかも知れません」と言ったので、それを聞いた子は頼朝殿の御前で

あることも忘れて、ころげまわって泣いてしまいました。(つづく)

【語註】

 ※1 二位殿:
藤原範兼の娘で承元元年(1201)6月に従二位になった兼子が京都の
           二位殿と呼ばれるのにふさわしいが、ここにに登場するのは源頼朝の妻で建保6
           年(1218)10月に従二位に叙された北条政子であろう。

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テーマ:仏教・佛教 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2023/09/09 09:05 】

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