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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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亡き父母を供養する子のために 南条殿御返事④

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

南条殿御返事なんじょうどのごへんじ

 ををせのありけるは、「かぢわら、われとはしりて、いまだ切らずば

ぐ(具)してまいれ」とありしかば、いそぎいそぎゆいのはまへはせゆ

く。いまだいたらぬによばわりければ、すでに頸切くびきらんとて、たちぬきた

りけるときなりけり。さてかぢわら、ををはしの太郎を、なわつけなが

らぐ(具)しまいりて、ををには(大庭)にひきすへたりければ、大将

殿「このちごにとらせよ」とありしかば、ちごはしりをりて、なわをと

きけり。大はしの太郎はわが子ともしらず、いかなる事ゆへにたすかる

ともしらざりけり。さて大将殿まためして、このちごにやうやうの御ふ

せた(結)びて、ををはしの太郎をた(給)ぶのみならず、本領をもあん

ありけり。

 大将殿
をほせありけるは、「法華経の御事は、昔よりさる事とわきき

つたへたれども、まろは身にあたりて二つのゆへあり。一には故親父こしんふの御

くびを大上だじょう政)入道に切られてあさましともいうばかりなかりしに

いかなる神仏にか申すべきとをもいしに、走湯いず山の妙法尼より法華経を

よみつたへ、千部と申せし時、たかを(高雄)のもんがく房、をやのく

びをもて来てみせたりし上、かたきを打つのみならず、日本国の武士の

大将を給ひてあり。これひとへに法華経の御利生なり。二つにはこのち

ごがをやをたすけぬる事不思議なり。大橋の太郎というやつは、頼朝き

くわいなりとをもう。たとい勅宣なりともかへ(返)し申して、くびを

きりてん。あまりのにくさにこそ、十二年まで土のろうには入れてあり

つるにかかる不思議ありされば法華経と申す事はありがたき事なり

頼朝は武士の大将にて、多くのつみつもりてあれども、法華経を信じま

いらせて候へば、さりともとこそをもへ」となみだぐみ給ひけり――。

【現代語訳】

 頼朝殿からのご命令は、「梶原景時よ、お前自身すぐ刑場へ駈けつけて、大橋太郎が

まだ切られていなかったら連れてきなさい」ということであったので、景時は急いで由

比の浜へ馬を走らせて行きます。まだ遠く離れた所から大声で頼朝殿のご命令を絶叫し

たところ、太刀打ちが今まさに首を切ろうとして刀を抜いた時にそれが聞こえて、大橋

太郎は一命をとりとめることになりました。そうこうして景時が、大橋太郎を縄で縛っ

たまま連れてきて大庭に引き据えると、頼朝殿が「その囚人を、この子に渡しなさい」

といったので、子は庭に走りおりて父の縄を解きました。大橋太郎は、それがわが子で

あるとも知らず、またどうして助かることになったかもわかりませんでした。しばらく

して頼朝殿はまたその子を近くに召して、いろいろのお布施の品を与え、父親を許し与

えたばかりでなく、もと父が治めていた本領までも復帰させました。

 頼朝殿が言われたことには、「法華経が尊いお経だということは昔からその旨を伝え

聞いていましたが、私がそれを信じるにいたる二つの体験があります。その第一は、亡

き父義朝殿が平清盛のために敗死させられて、何とも言えず悔しく思われ、報復をどの
                    ※1
神仏に祈誓しようかと思案していたところ、走湯山の妙法尼から法華経の読誦を習い、
                         ※2
一部八巻の法華経を千部読み上げた満願の日に、高尾の文覚房が父上の首を持ってきて

見せてくれ、それが契機となって平家を討ち滅ぼしたばかりでなく、日本国の武士の大

将軍にまで任ぜられました。これは全く法華経のご利益によるものです。第二は、今、

この子が親の命を救ったという不思議な出来事にあったことです。大橋太郎という奴

は、私にとっては許しがたい者です。だからたとえ天皇から助命の勅宣が下ったとして

も、それをき返して首を切ってしまおうとさえ思っていたのです。あまりの憎さに12年
   ※3
間まで土牢に入れて苦しめ、さていよいよ首を切るという時になってこのような不思議

なことが起こりました。これらの事実に照らしてみても、法華経というお経は本当にあ

りがたいものです。私は武士の大将軍として多くの罪を重ねた身ですけれども、法華経

をご信仰申し上げていますので、何とかご加護をいただけるのではないかと思っていま

す」と、感涙にむせんでいらっしゃいました。――このような話が伝えられています。

(つづく)

【語註】

 ※1 走湯山:
静岡県熱海市伊豆山に鎮座する伊豆山神社の古名。

 ※2 文覚房:平安末期の真言僧。もと北面の武士遠藤盛遠【もりとお】。洛北高雄の
           神護寺に在ってそこを復興したので高雄の文覚房(聖人)と呼ばれる。同寺の復
           興勧進にあたって後白河法皇の不興をかい、伊豆に配流されたが、そこで源頼朝
           と会って、平治の乱で殺された義朝(頼朝の父)のと称する贋首を見せながら平
           家顛覆の挙兵を勧めるなど、動乱期の政界で暗躍した怪僧。

 ※3 土牢:鎌倉市長谷の光則寺にある土牢は、大橋太郎通貞が投獄されていた土牢と
     されている。

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テーマ:仏教・佛教 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2023/09/12 05:34 】

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