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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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亡き父母を供養する子のために 上野殿御返事

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

上野殿御返事うえのどのごへんじ

弘安2年(1279)正月3日、58歳、於身延、和文

 藍より青く、子の南条時光が亡父・兵衛七郎の志を受け継いで、食さえ乏しい山中の日蓮に供養を捧げたことに感謝を込めた手紙。

 餅九十枚・閏蕷やまのいも五本。わざと御使をもつて正月三日ひつじの時に、

駿河の国富士郡上野うえのの郷より甲州波木井はきりの郷身延山のほら(洞)へおく

りたびて候ふ。
 
 それ海辺には木を財とし、山中には塩を財とす。旱魃かんばつには水をたから

とし、闇中には燈を財とす。女人にょにんはをとこを財とし、をとこは女人をい

のちとす。王は民ををやとし、民は食を天とす。この両三年は日本国の

内、大疫起こりて人半分げんじて候ふ上、去年こぞの七月より大なるけかち

(飢渇)にて、さといちのむへんのものと山中の僧等は命存しがたし。

 その上日蓮は法華経誹謗ひぼうの国に生まれて威音王仏いおんのうぶつの末法の不軽菩薩ふぎょうぼさつ

のごとし。はたまた歓喜増益仏かんぎぞうやくぶつの末の覚徳比丘かくとくびくのごとし。王もにくみ

民もあだむ。衣もうすく食もとぼし。布衣ぬのこはにしきのごとし。くさのは

(葉)わかんろとをもう。その上、去年こぞの十一月より雪つもりて山里路

たえぬ。年返れども鳥の声ならではをとづるる人なし。友にあらずばた

れか問ふべきと心ぼそくて過ごし候ふ所に元三がんさんの内に十字むしもち九十枚、

満月のごとし。心中もあきらかに、生死のやみもはれぬべし。あはれな

り、あはれなり。

 こうへのどの(故上野殿)をこそ、いろあるをとこと人は申せしに、

の御子なればくれない(紅)のこき(濃)よしをつたへ給へるか。あ

い(藍)よりもあを(青)く、水よりもつめたき氷かなと、ありがたし

ありがたし。恐恐謹言。

正月三日                      日 蓮 花押

上野殿御返事

【現代語訳】

出藍のほまれ

 餅90枚、やまのいも5本、わざわざご使者をお立てくださって、正月3日午後2時に

駿河国富士郡上野郷から甲州波木井の郷身延山のほこらへお送りいただきました。ありがと

うございます。

 そもそも海辺では木が貴重であり、山中では塩を宝物とします。旱魃かんばつの時には水が貴

重であり暗闇では灯火が宝物となります。妻は夫が大切であり、夫は妻を命とします。

国王は人民を親とあがめ、人民は食物を天と貴びます。ところがこの2・3年は、日本国

内に流行病が蔓延して人民が半減してしまったうえ、去年の7月から大飢饉に見舞われ、

人里から遠く離れた地方の者や山中に隠棲している僧などは生きていくのが難しい状態

です。

 その上、私は、法華経を誹謗する国に生まれたので、あたかも威音王仏の末法の世に

出て人々から迫害を受けた※1軽菩薩のような、あるいはまた歓喜増益仏の末の世に出て

難に遭った※2徳比丘のようなむごい目にあっています。日蓮を国王も憎悪し、民衆も敵視

しています。着衣も薄く、食物もなくなってきました。だから粗末な布衣でも錦のよう

に貴く、雑草の葉でも甘露のように美味おいしく思われます。その上、去年の11月から雪が

降り積もって山里の路は絶えてしまいました。年が明けても聞こえてくるのは鳥の声だ

けで、訪れて来る人はありません。よほど親密な人でなければ誰が来るものかと、心細

い日日を過ごしておりましたところ、正月三箇日のうちに届いた丸い蒸餅むしもち90枚、満月の

ように素晴らしい。その満月は心の中も明るく照らし、生死しょうじ無常の闇も晴れることでし

ょう。とても、とても、感動的なことです。

 亡きお父上の南条兵衛七郎殿を、本当に人情の厚いお方だと皆が言っていましたが、

貴殿はそのお子さんであるので、赤心まごころの濃密なところを伝受なさったのでしょう。青は

藍よりいでて藍よりも青く、氷は水より出て水よりも冷たいという諺の通りで、またとな

く尊いことだと思います。恐恐謹言。

正月3日                            
日 蓮  花押

上野殿御返事

【語註】

 ※1 不軽菩薩:常不軽菩薩。『法華経』常不軽菩薩品に出てくる菩薩。人はみな成仏
        するとして、会う人ごとに軽んずることなく礼拝し、後に仏となった。釈尊の前
          生であったという。

 ※2 覚徳比丘:過去世において正法の護持弘通に励んだ比丘。クシナ城の歓喜増益如
         来が涅槃した後に有徳王の武力に守られて法を説いた。死後、阿閦仏【あしゅく
           ぶつ】の国に生まれて第二の弟子となった(第一の弟子は有徳王)。覚徳比丘は
           加葉仏の前生であったという。

【解説】

 南条時光が元旦の供養の品を身延の日蓮のもとへ届けたことに対する礼状であり、こ

の2・3年の間、疫病や飢饉が続いていたにもかかわらず、常に変わらない信心で供養を

続ける時光の真心を讃えている。

 時光はほとんど毎年、正月には供養を届けていたが、特にこの年は前年の11月からの

雪で身延の日蓮の草庵への道は途絶えており、不便ななかの供養であり、時光の志の篤

さが偲ばれる。しかも、この供養の品が日蓮の身にとっていかに貴重であるかを、さま

ざまな例を挙げて感謝されている。

 疫病と飢饉に見舞われ、権力者のみならず一般の民衆による迫害もあって、日蓮は珍

しく弱気になっている自分を見せる。「衣もうすく食もとぼし・布衣はにしきの如し・

草葉をば甘露と思ふ」。

 そこへ届いた時光の供養がいかに有難いものであったか。蒸餅があたかも満月のよう

であると喜ばれ、亡き親に勝るがごとく法華経信者として生きる時光の姿を「出藍のほ

まれ」と称讃した。

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テーマ:仏教・佛教 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2023/09/16 05:30 】

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