なまぐさ坊主の聖地巡礼
プロフィール
Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。
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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)
千日尼御返事④
そもそも子はかたきと申す経文もあり。「〔世人、子の為に衆の罪を
造る〕」の文なり。嘉・鷲と申すとりはをやは慈悲をもつて養へば子
はかへりて食とす。梟鳥と申すとりは生まれて必ず母をくらう。畜生か
くのごとし。人の中には、はるり王は心もゆかぬ父の位を奪ひ取る。阿
闍世王は父を殺せり。安禄山は養母をころし、安慶緒と申す人は父の
安禄山を殺す。安慶緒は子史師明に殺されぬ。史師明は史朝義と申す子
にまたころされぬ。これは敵と申すもことわりなり。善星比丘と申すは
教主釈尊の御子なり。苦得外道をかたらいて度々父の仏を殺し奉らんと
す。
また子は財と申す経文もはんべり。ゆえに経文に云はく「〔その男女
追いて福を修すれば大光明有りて地獄を照らし、その父母に信心を発さ
しむ〕」等と云云。たとひ仏説ならずとも眼の前に見えて候ふ。天竺に
安足国王と申せし大王はあまりに馬をこのみてかいしほどに、後には
かいなれて鈍馬を竜馬となすのみならず、牛を馬ともなす。結句は人を
馬となしてのり給ひき。その国の人あまりになげきしかば、知らぬ国の
人を馬となす。他国の商人ゆきたりしかば薬をかいて馬となして御まや
う(吋)につなぎつけぬ。なにとなけれども我が国はこいしき上、妻子
ことにこいしく、しのびがたかりしかども、ゆるす事なかりしかばかへ
る事なし。またかへりたりとも、このすがたにては由なかるべし。ただ
朝夕にはなげきのみしてありし程に、一人ありし子、父のまちどき(待
時)すぎしかば、「人にや殺されたるらむ。また病にや沈むらむ。子の
身としていかでか父をたづねざるべき」といでたちければ、母なげくら
く、「男も他国にてかへらず、一人の子もすててゆきなば、我いかんが
せん」となげきしかども、子ちちのあまりにこいしかりしかば安足国へ
尋ねゆきぬ。ある小家にやどりて候ひしかば家の主の申すやう、「あら
ふびんや、わどのはをさなき物なり。しかもみめかたち人にすぐれた
り。我に一人の子ありしが他国にゆきてしに(死)やしけん、またいか
にてやあるらむ。我が子の事ををもへば、わどのをみてめ(目)もあて
られず。いかにと申せば、この国は大なるなげき有り。この国の大王あ
まり馬をこのませ給ひて不思議の草を用ひ給へり。一葉せばき草をくわ
すれば人、馬となる。葉の広き草をくわすれば馬、人となる。近くも他
国の商人の有りしを、この草をくわせて馬となして、第一の御まやに秘
蔵してつながれたり」と申す。この男これをきいて、「さては我父は馬
と成りてけり」とをもひて、返つて問ひ云はく、「その馬は毛はいかに」
とといければ、家の主答へて云はく、「栗毛なる馬の肩白くぶちたり」
と申す。この物この事をききて、とかうはからいて、王宮に近づき、葉
の広草をぬすみとりて、我父の馬になりたりしに食せしかばもとのごと
く人となりぬ。その国の大王不思議なるをもひをなして、孝養の者なり
とて父を子にあづけ、それよりついに人を馬となす事とどめられぬ。子
ならずばいかでか尋ねゆくべき。目連尊者 は母の餓鬼 の苦をすくい、
浄蔵 ・浄眼 は父の邪見をひるがえす。これよき子の親の財 となるゆ
かし。
【現代語訳】
そもそも、子は敵であるとと説く経文があります。心地観経の「世の人は、子の
ために多くの罪を造り、三悪道に堕ちて長く苦しみを受ける」というのがそれです。嘉
や鷲という鳥は、親は慈悲の心で子を養うのに、育った子はかえって親を食物とします。
梟鳥という鳥は、生まれると必ず母を食います。畜生というのはこのようなものです。
人の中にも畜生と同じようなものがいて、インドでは、玻瑠璃王はむりやりに父波斯匿
王の位を奪い取りました。阿闍世王は父の頻婆沙羅王を殺しました。中国では、安禄
山は養母の楊貴妃を殺し、その子の安慶緒という人は父の安禄山を殺しました。当の安
慶緒は子の史師明に殺されました。その史子明はまた史朝義という子に殺されています。
これでは、子は敵であるというのも当然です。釈尊の関係者でも、前生でのお子さんで
ある善星比丘は苦 得外道と示しあわせて、たびたび父の釈尊を殺そうとしました。
安足国王と馬と父子の物語
また反対に、子は財宝 であるという経文もあります。心地観経に「その男女が追善供
養を修すると大光明が輝き出して地獄を照らし、その父母に信仰心を起こさせて仏の世
界に導く」とあるようにです。いや仏説にまで及ばなくても、まぢかにその例を見るこ
とができます。インドに安 足王という大王がいましたが、この王はあまりに馬を愛好し
て飼っているうちに、やがては飼い馴らして駄馬 を俊馬 に育てるばかりでなく、牛を馬
に変えることもしました。そして遂には人を馬としてお乗りになりました。その国の人
民がそれをあまりに歎き悲しんだので、王は、知らない他国の人を馬としました。ある
時、他国の商人が安足王の国に行ったところ、王は薬を使って馬とし、馬屋につなぎま
した。馬とされた商人は、何としても故国が恋しい上、とくに妻子のことが慕われてど
うしようもなかったのですが、王が許可を与えないので帰ることができませんでした。
またもし、たとえ帰れたとしたところで、そのような馬の姿のままではどうしようもな
いでしょう。ただ明けても暮れても歎くことばかりしていたうちに、故国では、一人い
た子が、父の帰国予定日が過ぎたので「誰かに殺されたのであろうか。あるいは病気で
動けなくなってるのであろうか。子の身としてどうして父を尋ねないでいられようか」
と、旅の仕度を始めたものですから、母は歎いて、「夫は他国へ行って帰って来ません。
たった一人しかいない子が私を置き去りにして行ってしまったならば、どうしたらよい
のでしょう」と悲しみ止めたのですが、子は、父があまりに恋しかったので安足国まで
尋ねて行きました。そして、ある小さな家に宿をかりたところ、その家の主人が「ああ
気の毒なことだ。あなたはまだ幼い。しかも人並すぐれて可愛いらしい。私には一人の
子がいたけれど、他の国へ行ったまま戻って来ません。死んでしまったのだろうか。い
ったいどうしているのだろう。あの子のことを思うと、あなたを見てかわいそうで胸が
いっぱいになります。なぜかというと、この国にはとても歎かわしいことがあるのです。
それは、この国の大王があまりに馬を愛好なさって、不思議な薬草を使用していること
です。その薬草の細い葉をくわせると人が馬になります。広い葉をくわせると馬が人に
なります。近ごろも、他国の商人がいましたのを、王がその薬草をくわせて馬とし、第
一の御馬屋におつなぎになって秘蔵のものとしています」と言いました。この子はそれ
を聞いて、「それでは、父は馬となってしまったのだ」と思って質問しました。「その
馬の毛は何色ですか」と。家主は答えて「栗毛の馬で、肩に白いまだらがあります」と
言いました。子はそれを心に止め、あれこれと工作をして王宮に入り、葉の広い薬草を
盗みとって、馬とされた父に食わせたところ、もとのように人となりました。このこと
を知った大王は、思いもよらないことが起こったものだと事のなりゆきを尋ね、子の孝
行な気持ちと行ないに感動して父を返し、それより後は遂に人を馬とすることをお止 め
になりました。この話では、子の親を思う心情と行動とが父ばかりでなく多くの人々の
不幸を救ったことになるのですが、ほんとうに子でなかったならば、どうして危険な他
国へまで父を探しに行くことなどありましょうか。また、目 連尊者は餓鬼道に落ちた母
の苦しみを救い、浄 蔵・浄眼兄弟は父妙荘厳王の邪見を改めさせました。これらは、良
い子が親の財宝となるということを示す例です。(つづく)
【語註】
※1 阿闍世王:頻婆娑羅王を父とし韋提希夫人を母とする中インド・マガダ国の王。
提婆達多にそそのかされ父を殺して王位につくが、後、その罪を恐れ、耆婆【ぎ
ば】のすすめに従って釈尊に救いを求めた。五逆罪を犯した阿闍世王の成仏は、
法華経の功徳の甚大さの証とされる。
※2 安禄山:中国・唐代の叛臣。玄宗皇帝に寵遇され、楊貴妃と結んでその養子とな
る。楊貴妃の兄の宰相楊国忠と対立し、天宝14年(755)史思明(史師明)とと
もに反乱を起こして勝利し、大燕皇帝と自称したが、後、子の安慶緒に殺される。
日蓮の史思明に関する記述は事実に反する。
※3 善星比丘:釈尊の弟子であったが、悪友に親しんで仏法を捨てたばかりか、かえ
って誹謗したので、生きながら無間地獄に落ちた。釈尊の菩薩の時の子てあると
いう説もある。
※4 苦得外道:苦行によって得道すると説く外道のこと。釈迦在世のインドの六師外
道の1つ。この派をジャイナ教とも呼ぶ。教祖はマハーヴィーラ(大雄)。
※5 安足国王:紀元前三世紀ごろペルシア地方に建てられた安足国(安息国)の王。
この王に関する話は平康頼の『宝物集』【ほうぶつしゅう】に載っている。
※6 目連尊者:バラモンの子であったが舎利弗に誘われて仏弟子に加わり、神通第一
として十大弟子の一人に加えられた。餓鬼道に落ちた母・青提女【しょうだいに
ょ】を救ったことが盂蘭盆会の起源とされる。
※7 浄蔵・浄眼:薬王菩薩・薬上菩薩が過去世において王子であった時の名。妙荘厳
王と浄徳夫人との間に生まれた浄蔵・浄眼兄弟は、母ともども法華経に帰依し、
外道を信じる父の心を翻して仏道に導くことに成功した。妙荘王厳とは後の華
徳菩薩であり、浄徳夫人は後の荘厳相菩薩である。
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