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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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カトマンズ② ダルバール広場

3月1日(土)


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 午後4時30分、ダルバール広場へ。ダルバールはネパール語で「宮廷」のこと。3つのマッラ王朝が盆地に独立・君臨した時代には、王宮前の広場としてカトマンズ王国の中心部だったところだ。

 あっ、ダルバール広場を散策する前にネパールの歴史をちょっと勉強しておこう。世界史の授業でネパールが出て来るのはたった2回。お釈迦さまが生まれた国だということと、清に朝貢した国だったということだけで、受験じゃまず絶対でない国。どこにあるのかもよく分かってない人もいるんじゃないかね。ヒマラヤ山脈の南、インドの北だよ。

国旗 

 ネパール知らなくても、この国旗は見たことないかな?世界で唯一長方形ではない、ネパールの国旗だ。王家と宰相家の旗を合体させたものだけど、もう王政は倒れたんだから、国旗も変更すればいいのにね。ちなみに、2つの三角形はヒマラヤの山並みをかたどるとともに、この国の二大宗教であるヒンドゥー教と仏教を意味しており、月と太陽はこの国が月や太陽と同じように持続し発展するようにという願いが込められているんだって。

 さて、ネパールの歴史だが、カトマンズ盆地に紀元前7,8世紀頃からキラートと呼ばれる人々が住んでいたそうで、これが一番古い記録だ。キラート王ヤランバはあのインドの叙事詩『マハー・バーラタ』にも出て来るそうだが、どうもインド・アーリヤ系とは違う民族らしい。お釈迦さまはシャカ族のご出身だが、実はこのシャカ族もキラートだ。ちなみに、現在でもネパールにはシャカ族と呼ばれる人々が暮らしており、「おシャカさまの末裔」を自称している。
 4世紀に北インドからやってきたリッチャビ族がキラート政権を倒し、インドのカーストがネパールに持ち込まれた。8世紀には吐蕃(チベット)の支配下に入るが、王女ブリクティ(ティツィン)がソンツェン・ガンポに嫁ぎ、チベットに仏教を伝えた。13世紀頃からマッラ王朝が君臨するんだけど、ヤクシャ・マッラ王の死後、カトマンズ・バクタブール・パタンの3王朝に分裂してしまう。今に残る王宮の建築や伝統工芸はこの時代に完成された。

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 さあ、お勉強はこれくらいにして、歩き始めようか。おや、僕の前に可愛い女の子。この子はインド系かな?

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 1本の大木から建てられたというカスタマンダプ寺院。本来は巡礼宿だったらしいんだけど、ネパール最古の建築物と言われている。
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  広場中央にひときわ高くそびえるシヴァ寺院。17世紀末バクタブールのマッラ王朝の皇太后によって建てられたものだ。


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 シヴァ・パールヴァティー寺院。18世紀にゴルカ王朝のバハドゥール王によって建てられたもの。ゴルカ王朝についてはまた後から勉強しよう。小さくて分からないだろうけど、上の窓からシヴァ神とその奥さんのパールヴァティー神がみんなを見下ろしている。

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  いよいよクマリの館だ。クマリはネパール語で「処女」の意味。さっきお話ししたキラートのシャカ族の3~4歳の女の子が選ばれ、生きる処女神として崇拝される。 なんせ処女神さまなんで、初潮を迎えると交代となる。

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 二階の窓から顔を出すのを今か今かと待つんだけど、なかなか顔を出さない。ガイドさんの話を聞きながら待つけど、なかなか顔を出さない。

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 いつまで待たすの。しゃ~ないから、建物の写真でも撮すか。窓枠の木彫りがなんとも見事ですな~。

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 やっと顔を出した。でも、写真撮影は禁止なんで、ネットから借りてきた。大女神ドゥルガーや昔のネパール王国の守護神であるタレジュ女神、そして仏教徒からは密教女神ヴァジラ・デーヴィーが宿るとされ、王様ですらこの子にひざまずかねばならない。9月のインドラ・ジャトラの大祭の時に三日間山車に乗って町を練り歩き、邪気を祓い、人々に繁栄と成功の力を与えるんだけど、この時だけ撮影が許されている。

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 ハヌマン・ドカ。16世紀まで王様がお住まいになられていた旧王宮だ。王様が競うように建てたヒンドゥー教寺院が建ち並ぶ。

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 石柱の上に置かれた、ヨーグナレンドラ・マッラ王の像。コブラを後ろに従え、王宮の方角を向いている。

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 シヴァ神の化身、カーラ・バフラヴの像。刀を振り上げ生首をぶらさげた恐怖神だが、愛嬌があって可愛い。

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 左が旧王宮の門で、右が銃剣を持った衛兵さん。さっきマッラ朝まで話したけど、もうちょっとネパールの歴史のお勉強をしようね。10世紀ころからインドにイスラーム教徒が侵入してきた時、これに圧迫されてネパールに逃げ込んできた連中がいたんだけど、そのうちグルカを拠点にしていた連中が1769年にカトマンズに侵入し、グルカ王朝を建てた。これが現在の王様のご先祖さま。ところが勢い余ってチベットに侵入したもんだから、清の乾隆帝の討伐を受けて清の属国になってしまう。この王朝はここから1キロ余り離れたところに新王宮を建てたんだけど、2001年に新王宮で大変な事件が起きた。

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 6月1日、王族だけが集まる夕食会の席で、何者かが銃を乱射。写真のビレンドラ国王夫妻と王子・王女ら9名が射殺され、重態となったディペンドラ王太子が即位したんだけど3日後に死亡。現場にいなかった王弟のギャネンドラ王子が王位を継承した。

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 公式発表では「犯人はディペンドラ王太子(左の写真)。国王夫妻から結婚を反対されて自暴自棄になり、麻薬と酒で酩酊状態になり銃を乱射、自殺を図った」ということなんだが、その後発表された検視結果は「ディペンドラ王太子の身体からアルコールは検出されず、王太子は右利きだったのに、銃弾は左側頭部から右に貫通していた」。ん、おかしい、臭いぞ。その上、ギャネンドラ王子(右の写真)は地方視察で現場におらず、現場にいた息子のバラス王子は無傷だった。臭い、臭い、ぷんぷん臭うぞ。だいたい、どんな事件でも一番得した奴が犯人だ。てことは、王位についたギャネンドラが臭い。こんなの映画にしても、すぐ犯人ばれちゃって面白くも何ともないだろう。そのギャネンドラ国王も2008年6月11日共和政への移行にともなって王宮を退去し、240年続いたグルカ王朝はあっけなくその幕を下ろした。

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 あっ、僕の写真一枚もないぞ。

カトマンズ夕食 

 午後8時、ネパール料理の店で晩飯。

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 女の子たちが踊ってくれたけど、いまいち洗練されてないな~。今日は朝早くから起きてなんとも長い一日だった。はよホテルに帰って寝よう。(つづく)



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【 2014/02/26 17:31 】

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