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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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真の孝養と仏道をめざして 新尼御前御返事①

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

新尼御前御返事にいあまごぜんごへんじ

文永12年(1275)2月16日、54歳、於身延、和文

 身延より故郷安房東条に住む領家の新尼御前に宛てたもの。入山した身延の情景と懐郷の思いをつづり、法華経信仰に背いた領家の尼にはたとえ重恩の人であっても尊い本尊を授与し難いと述べつつ、薄氷の思いで法華経と日蓮への供養に励む新尼に授けたことを明かしている。人情と信仰との葛藤から法華経の信心を重んじていく日蓮の立場を示している。

 あまのり(海苔)一ふくろ送り給び了んぬ。また大尼御前おおあまごぜよりあまの

り畏こまり入りて候ふ。

 この所をば身延のたけと申す。駿河の国は南にあたりたり。かの国のうき

しまがはらの海ぎはより、この甲斐の国波木井はいきりごう身延のみねへは百余里に

及ぶ余の道千里よりもわづらはし富士河と申す日本第一のはやき

北より南へ流れたり。この河は東西は高山なり。谷深く、左右は大

石にして高き屏風びょうぶを立て並べたるがごとくなり。河の水は筒の中に強兵

が矢を射出したるがごとし。

 この河の左右の岸をつたい、或は河を渡り、或る時は河はやく石多け

れば、舟破れて微塵みじんとなる。かかる所をすぎゆきて、身延の嶺と申す大

山あり。東は天子の嶺、南は鷹取たかとりの嶺、西は七面の嶺、北は身延の嶺な

り。高き屏風を四つついたて(衝立)たるがごとし。峯に上りてみれば

草木森森たり。谷に下りてたづぬれば大石連連たり。大狼おおかみこえ山に充満

し、暇猴ましらのなき谷にひびき、鹿のつまをこうるこえあはれしく、乙のひび

きかまびすし。春の花は夏にさき、秋の菓は冬になる。たまたま見るも

のはやまかつ(山人)がたき木をひろうすがた、時時よりよりとぶらう人は昔な

れし同法ともどち(朋)なり。かの商山しょうざん四 皓しこうが世を脱れし心ち、竹林 ちくりんしち

けんが跡を隠せし山もかくやありけむ。

【現代語訳】
身延の情景

 甘海苔一袋、頂戴いたしました。また、※ 1尼御前よりの甘海苔もあわせてお送りいた

だきましたこと、お礼申し上げます。

 このたび庵室を結んだ所を身延の嶽といいます。駿河の国は南に当たっています。そ

の浮島が原の海岸から、この甲斐の国・波木井の郷・身延の嶺への距離は100余里に及

びます。しかも他の道を1000里行くよりも険難なところです。富士川という日本一の急

流が北から南へ流れています。この川の東西は高山がそびえています。深い谷底を川が

流れているといった具合で、左右は大石で高い屏風を立て並べたようにそそり立ってい

ます。川の水は筒の中に強兵が矢を射込んだように速く流れています。

 この川の左右の岸をつたい、あるいは河を渡って行くのですが、時には、流れが急で

石が多いので舟が破れて木葉微塵 こっぱみじんとなってしまいます。そういう難所を過ぎて行くと、

身延の嶺という大きな山があるのです。東は天子の嶺、南は鷹取の嶺、西は七面の嶺、

そして北が身延の嶺なのです。だから高い屏風を4枚衝立 ついたてにしたようです。峰に登って

みれば草木が森々 しんしんと生い繁っています。谷に下ってながめると大石がごろごろと連なっ

ています。狼のほえる声が山々をゆるがし、猿の鳴き声が谷々にこだまし、雄鹿の妻を

求める鳴音 なねくが哀れに聞こえ、乙の声がやかましく響きわたります。寒いので、一般には

春咲く花が夏に開き、秋になる果実が冬にならないと実を結びません。人影はほとんど

なく、偶然見かけるのは山樵 やまがつたきぎを拾っている姿、それに、昔からいっしょに活動し

た同志が時々尋ねてくるだけです。あの秦末に※ 2皓が乱をさけて商山にのがれた心地、ま

た晋の世に※ 3林の七賢が隠れた山はこのようなものであったのかと思い合わされます。

(つづく)

【語註】

 ※1 大尼御前:安房国長狭郡東条の領家の女主人。日蓮の幼い頃からその一族に恩恵
           を与えていた人で、東条郡の地頭景信から領家の土地を侵犯されそうになった時
           には、日蓮の尽力を得て事なきを得ている。

 ※2 
商山の四皓:中国で秦末に国乱を避けて陜西省の商山に入った隠士。東園公・綺
           里季・夏黄公・角里【ろくり】先生の4人で、いずれも髪やひげが皓白【こうは
           く:白い】であったのでいう。漢の高祖の厚遇をもってする招聘にも応じなかっ
           た。

 ※3 竹林の七賢:中国・晋の時代に世の俗塵を避けて竹林に集まり、清談に明け暮れ
           た阮籍など七人の隠士。

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テーマ:仏教・佛教 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2023/11/09 05:40 】

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