なまぐさ坊主の聖地巡礼
プロフィール
Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。
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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)
光日房御書①
光日房御書①
建治2年(1276)3月、55歳、於身延、和文
身延より故郷の安房天津の光日房に宛てた手紙。光日尼よりわが子弥四郎の死が伝えられたことへの返報で、特に日蓮の望郷と亡き父母への心情、鎌倉から佐渡流罪を経て身延入山に至る自叙、愛子に先立たれた母に信心を勧め、故弥四郎が罪を滅して成仏したことなどを明かす。法華経弘通の厳しさと細やかな慈愛と日蓮自らの心情を吐露している。
去文永八年太歳辛未九月のころより御勘気をかほりて、北国の海中佐
渡の嶋にはなたれしかば、なにとなく相州鎌倉に住しには、生国なれば
安房の国はこひしかりしかども、我国ながらも、人の心もいかにとや、
むつ(眤)びにくくありしかば、常にはかよう事もなくしてすぎしに、
御勘気の身となりて死罪となるべかりしが、しばらく国の外にはなたれ
し上は、をぼろげ(小縁)ならではかまくらへはかへるべからず。かへ
らずば又父母のはかをみる身となりがたしとおもひつづけしかば、いま
さらとびたつばかりくやしくて、などかかゝる身とならざりし時、日に
も月にも海もわたり、山をもこえて父母のはかをもみ、師匠のありやう
をも、とひをとづれざりけんとなげかしくて、彼の蘇武胡国に入りて十
九年、かりの南へとびけるをうらやみ、仲丸が日本国の朝使としてもろ
こしにわたりてありしが、かへされずしてとしを経しかば、月の東に出
でたるをみて、我国みかさの山にもこの月は出でさせ給ひて、故里の人
も只今月に向ひてながむらんと、心をすましてけり。これもかくをもひ
やりし時、我国より或人のびん(便)につけて、衣をたびたりし時、彼
の蘇武がかりのあし、これは現に衣あり。にるべくもなく心なぐさみて
候。
【現代語訳】
故郷は恋しくてー佐渡からの望郷
去る文永8年(1271)9月の頃、幕府の咎めを受けて北国の海に浮かぶ佐渡が島へ流罪となりました。相模国の鎌倉に住んでいた頃は、故郷の安房をなつかしく思っていま
したが、生まれた国でありながら人々がどう考えているか分かりかねましたので、あま
り故郷に帰ることなく過ごしてきました。しかし、今度は咎めを受けて死罪になるとこ
ろを流罪となったのですから、おそらく鎌倉へ帰ることはできないと思います。帰れな
ければ父母の墓へ参ることもできないと思いますと、今になって飛んで行きたいほど悔
しく、なぜこのような配流の身となる前に、毎日でも毎月でも海を渡り山を越えて父母
の墓に参り、師の道善房の様子を問い訪ねなかったのかと残念に思っています。蘇武は
胡国に使者として入りましたが拘留されること19年、この間、雁が南へ飛ぶのを見ては
うらやましく思い、また阿倍の仲丸(仲麿)は日本国の使者として中国に渡りましたが、
何年たっても還されず、月が東の山に出るのを見ては日本の三笠の山にもこの月が出
て、故郷の人びともこの同じ月を眺めているであろうと心を落ち着かせたということで
す。いま日蓮もそのように故郷のことを思っているところへ、故郷安房のあなたから使
者に托して衣服を頂戴しました。蘇武は手紙をもらっただけですが、日蓮は衣服まで頂
戴したのですから、心を慰められることは比較にならないほどです。(つづく)
【語註】
※1 安房:現在の千葉県南部。房総半島の南端に位置する。同国東条には天照大神の
御厨があること、さらに日蓮聖人自身の生国として格別な愛着をもちつづけた。
※2 道善坊:清澄寺の住僧。日蓮の出家当時の師。
※3 蘇武:漢の武帝につかえた名臣。中郎将として匈奴に使いしたが,単于に捕わ
れ,節を曲げなかったため北海 (バイカル湖) のほとりに 19年間幽閉された。漢
にはすでに死んだと伝えられたが、昭帝の時、皇帝が狩りで射落した雁の足に武
の手紙がつけてあったと称して,蘇武の送還を匈奴に求め,ついに漢に帰ること
ができた。
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