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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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真の孝養と仏道をめざして 光日房御書④

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

光日房御書こうにちぼうごしょ

 同じき四月八日に平の左衛門の尉に見参す。本よりごせし事なれば、

日本国のほろびんを助けんがために、三度いさめんに御用ひなくば、山

林にまじわるべきよし存ぜしゆへに、同五月十二日に鎌倉をいでぬ。た

だし本国にいたりて今一度、父母のはかをもみんとをもへども、にしき

をきて故郷へはかへれといふ事は内外のをきてなり。させる面目もなく

して本国へいたりなば、不幸の者にてやあらんずらん。これほどのかた

(難)かりし事だにもやぶれて、かまくらへかへり入る身なれば、又に

しきをきるへんもやあらんずらん。其時、父母のはかをもみよかしと、

ふかくをもうゆへにいまに生国へはいたらねども、さすがこひしくて、

吹く風、立つくもまでも、東のかたと申せば、庵をいでて身にふれ、庭

に立ちてみるなり。

 かかる事なれば、故郷の人はたとひ心よせにおもはぬ物なれども、我

国の人といへばなつかしくてはんべるところに、この御ふみをたびて、心

もあらずしていそぎいそぎひらきてみ候へばをとしの六月の八日

いや(弥)四郎にをくれ(後)てとかかれたり。御ふみも、ひろげ

つるまではうれしくて有つるが、今、このことばをよみてこそ、なにし

にかいそぎひらきけん。うらしまが子のはこなれや、あけてくやしきも

のかな。

 我国の事は、うくつらくあたりし人のすへまでも、をろかならずをも

うに、ことさらこの人は形も常の人にはすぎてみへし上、うちをもひた

るけしき、かたくなにもなしとみし。をりしも法華経のみざ(御座)な

れば、しらぬ人々あまたありしかばことばもかけずありしに、経はて(果)

させ給ひて、皆人も立ちかへる。この人も立ちかへりしが、使を入れて

申せしは、安房国のあまつ(天津)と申すところの者にて候が、をさな

くより御心ざしをもひまいらせて候上、母にて候人も、をろか(疎略)

ならず申し、なれ(馴)球究しき申し事にて候へども、ひそかに申すべ

き事の候。さき窮究まひりて、次第になれ(馴)まいらせてこそ、申し

入るべきに候へども、ゆみや(弓
)とる人にみやづかひてひま候はぬ

上、事きう(急)になり候ひぬる上は、をそれをかへりみず申すと、こ

まごまときこえしかば、なにとなく生国の人なる上、そのあたりの事は

はゞかるべきにあらずとて、入れたてまつりてこま窮究と、こしかたゆ

くすへかたりてのちには世間無常なりいつと申す事をしらず其上

武士に身をまかせたる身なり。又、ちかく申しかけられて候事、のがれ

(遁)がたし。さるにては後生こそをそろしく候へ、たすけさせ給へと

きこへしかば、経文をひいて申しきかす。彼れのなげき申せしは、父は

さてをき候ぬ。やもめにて候はわ(母)をさしをきて、さきに立ち候はん

事こそ、不孝にをぼへ候へ。もしやの事候ならば、御弟子に申しつたへ

てたび候へと、ねんごろにあつらへ候ひしが、そのたびは事ゆへなく候

へけれども、後にむなし(空)くなる事のいできたりて候ひけるにや。

【現代語訳】
東の風立つ雲までもー身延からの懐郷

 4月8日には平の左衛門尉頼綱と対面しました。そして日本を滅亡から救うために3

度諫め、それでも自分の意見が採用されなければ山林にのがれようとは、もとより覚悟し

ていたことですので、5月12日に鎌倉を発ってこの身延の山に入ったのです。ただ身延

の山に入る前に、一度故郷へ帰り両親の墓へお参りしたいと思いましたが、成功して故

郷に帰れとは儒仏の掟でありますので、3度の諫めも採用されないまま故郷へ帰ること

は不孝の者となりましょう。ただ、帰ることができないと考えていた佐渡流罪も赦され

て、再び鎌倉へ帰ることができたのですから、また幕府が自分の意見を採用する時もあ

ろうかと思われます。その時こそ両親の墓へお参りしようと思いますので、今は故郷に

帰りません。しかし、さすがに両親の眠る故郷は恋しく、吹いて来る風、立つ雲が東方

からといえば、思わず庵を出て身に触れ庭に立って見るばかりです。

弥四郎急死の知らせ

 したがって、たとえ親しみのない人でも故郷の人といえば非常になつかしく思われま

すのに、まして親しい尼御前からの手紙を頂戴し、心もはやって早速拝見しましたとこ

ろ、一昨年の6月8日に御子息の弥四郎殿が亡くなられたとのこと。お手紙を見るまでは

しく思っていましたが、いまこのお手紙を読み、どうしてこんなに急いでお手紙をひら

たかと、浦島太郎の玉手箱のように開けたことを悔いています。

後生こそ恐ろし、助けさせたまえー弥四郎という人

 故郷の安房の国のことは、日蓮に辛くあたった人のことでも懐かしく思っております

し、とりわけ弥四郎殿は容貌も人並み以上に勝れ、温和な人柄とお見受けしました。い

つぞやお会いしたのは法華経講説の席で、知らない人びとも多勢いましたので言葉もか

けませんでした。講説も終わり人びとも弥四郎殿も帰られましたが、やがて使いをよこ

し、自分は安房の国天津に居住する者ですが、幼少の時からあなたの御志を御慕いし、

私の母もまたあなたのことをおろそかには申していませんでした。馴れ馴れしい申し分

ではありますが、内密に申し上げたいことがございます。本来ならばお伺いいたし、御

懇意をいただいてから申し上げるべきですが、武士に仕える身分にて暇もなく、それに

急ぎ申し上げねばならない事情もありますので、失礼をかえりみず申し上げます。と懇

切に面会を求めてこられました。故郷の人でもあり、別にはばかる事もありませんので招い

ところ、こまごまと今までのことや行末のことなどを話してから、無常は世の習いであ

ればいつ命を失うかはわかりません。その上、自分は武士となった身であり、また近い

うちに刀を用いなければなりません。それにつけても後生が恐ろしく思われてなりませ

んので、どうか助けていただきたいと言われましたので、経文を引用して申し聞かせま

したまた弥四郎殿が歎いて言うには父はすでに亡くなりましたが寡婦の母がいます

この母より先に死ぬことは、この上ない不孝だと考えています。もし私が死ぬようなこ

とがあれば、是非母をお弟子にして頂きたいとねんごろに依頼されました。その時は何事も

なくすんだようでしたが、その後また死なねばならない事件が起こったのでしょうか。

(つづく)

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テーマ:仏教・佛教 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2023/11/28 05:41 】

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