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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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真の孝養と仏道をめざして 清澄寺大衆中②

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

清澄寺大衆中せいちょうじだいしゅうちゅう

 これを申さば必ず日蓮が命と成るべしと存知せしかども、虚空蔵菩薩こくうぞうぼさつ

の御恩をほう(報)ぜんがために、建長五年四月二十八日、安房の国東

条の郷、清澄寺道善の房持仏堂じぶつどうの南面にして、浄円房と申す者並に少々

の大衆にこれを申しはじめて、その後二十余年が間退転なく申す。或は

所を追ひ出され、或は流罪等、昔は聞く不軽菩薩ふぎょうぼさつの杖木等を。今は見る

日蓮が刀剣に当る事を。

 日本国の有智無智上下万人の云く日蓮法師は古の論師人師大師

先徳にすぐるべからずと。日蓮この不審をはらさんがために、正嘉・文

永の大地震大長星を見てかんがへて云く我朝に二つの大難あるべしいわ

ゆる自界叛逆難じかいほんぎゃくなん他国侵逼難たこくしんぴつなん也。自界は鎌倉にごん大夫たゆう殿御子孫、

どしうち(同士打)出来しゅったいすべし。他国侵逼難は四方よりあるべし。其

中に西よりつよくせむべし。これひとえに仏法が一国こぞりよこしまなるゆへ

に、梵天帝釈の他国に仰せつけてせめらるるなるべし。日蓮をだに用ひ

ぬ程ならば、将門まさかど純友すみとも貞任さだとう利仁としひと・田村のやうなる将軍、百千万

人ありとも叶ふべからず。これまことならずば、真言と念仏等の僻見を

ば信ずべしと申しひろめ候き。

〔なかんずく〕、清澄山の大衆は日蓮を父母にも三宝にも、をもひをと

させ給はば、今生には貧窮の乞者とならせ給ひ、後生には無間地獄むげんじごくに堕

ちさせ給ふべし。故いかんとなれば、東条左衛門景信とうじょうさえもんかげのぶが悪人として、

清澄のかいしゝ(飼鹿)等をかり(狩)とり、房々の法師等を念仏者の

所従にしなんとせしに、日蓮敵をなして領家のかたうどとなり、清澄きよすみ

二間ふたまの二箇の寺、東条が方につくならば日蓮法華経をすてんと、せいじ

やう(精誠)の起請きしょうをかいて、日蓮が御本尊の手にゆい(結)つけてい

のりて、一年が内に両寺は東条が手をはなれ候しなり。この事は虚空蔵

菩薩もいかでかすてさせ給ふべき。大衆も日蓮を心へずにをもはれん人

々は、天にすてられたてまつらざるべしや。かう申せば愚癡の者は、我

をのろう(呪咀)と申すべし。後生に無間地獄に堕ちんが不便なれば申

すなり。

 領家の尼ごぜんは女人なり、愚癡ぐちなれば人々のいひをど(嚇)せば、

さこそとまし球究候らめ。されども恩をしらぬ人となりて、後生に悪道

に堕ちさせ給はん事こそ不便に候へども又一つには日蓮が父母等

恩をかほらせたる人なれば、いかにしても後生をたすけたてまつら

んとこそいのり候へ。

【現代語訳】
清澄開教と受難

 このことを申し始めれば、必ず日蓮の命は奪われるだろうと承知していましたが、虚

空蔵菩薩の御恩に報いるために、建長5年(1253)4月28日、安房の国東条の郷の清澄

寺にある道善房の※ 1仏堂の南面で、浄円房やわずかの清澄寺の人たちに、諸宗の誤って

いることと法華経の勝れていることを初めて申し述べました。その後、20余年の間、や

めることなく説き続けてきたために居所を追われ、あるいは流罪となりました。これは

昔、※ 2軽菩薩が法華経を弘めて人びとから杖木で打たれましたが、今は日蓮が同じ法華

経を弘通したために刀剣の難にあっているのです。

 日本国の智者も愚者も万人一同に、日蓮法師がどうして昔の論師・人師・大師・先徳

より勝れていると言えるのかと言い日蓮の主張を信じようとしません。そこで日蓮は、

この不審をはらすために正嘉元年(1257)の大地震、そして文永元年(1264)に大彗

星が現われたのを見て、近く日本に2つの大難がおこることを予言しました。※ 3界叛逆

難と※ 4国侵逼難がそれです。内乱である自界逆難は鎌倉の権の大夫北条義時殿の子孫

に同士討ちが起こり、他国からの侵略である他国侵逼難は、四方より起こるが、その中

でも西の方から強く攻めてくるであろう。それというのも、日本中の仏法がことごとく

誤っているため、正法を守護する梵天・帝釈天が他国に命じて攻めさせるからである。

今、この日蓮の教えを採用しなければ、平将門・藤原純友・安倍貞任・藤原利仁・坂上

田村麿のような将軍が百千万人いてもかなうはずがないこの予言が違っているならば

真言宗や念仏の誤った教えを信じたらよいであろうと申し弘めてきたのです。

 とりわけ、清澄寺の人びとは、この日蓮を父母や三宝と同じように思わなければ、こ

の世では貧しい乞食となり、来世には必ず※ 5間地獄に堕ちることになりましょう。その

理由は、悪人であった地頭※ 6条景信がかつて清澄寺の飼っている鹿を狩り取ったり、

寺々の法師たちを念仏者にしようとした時、日蓮がそれに反対して領家の味方となり、

清澄と※ 7間の寺が東条景信につくならば日蓮は法華信仰を捨てようと、心をこめて起請

文を書き日蓮の本尊に結びつけて祈ったところ、祈りが通じたのか1年もたたないうち

に両寺は東条景信の手を離れることになったのです。このことはよもや虚空蔵菩薩もお

忘れになることはありません。清澄の人々も日蓮をいぶかしく思う人は、必ずや諸天に

捨てられることになりましょう。このように言いますと、愚かな人たちは日蓮は自分た

ちを呪うのかと思うかも知れませんが、そうではなく、来世に無間地獄に堕ちるのが気

の毒に思うので申し上げているのです。
 
 ※ 8家の尼御前は女性であり、愚かな人でありますから、人びとにおどかされて日蓮の教

えに背いたのでありましょう。しかし、法華経の御恩を忘れて、来世に悪道に堕ちるこ

とはいかにも気の毒でありますしまた日蓮の父母が御恩を受けた人でもありますので

何とかして地獄に堕ちることから助けてあげたいと祈っているのです。(つづく)

【語註】

 ※1 持仏堂:個人の帰依、礼拝する持仏を安置する堂。日蓮は建長5年(1253)4
       月28日、清澄寺の持仏堂の南面で立教を宣言した。日蓮はその持仏堂を「諸仏
           坊の持仏堂」、「道善之房持仏堂」と書き記すが、その堂には日蓮の持仏である
           釈尊像が安置され、その持仏を背に立教を宣言したのである。

 ※2 不軽菩薩:法華経の常不軽菩薩品第20に説かれる菩薩。釈尊の前世における
            衆生救済の菩薩行を説く本生物語の一つで、すべての人々がやがて成仏するで
            あろうことを尊び、軽蔑や迫害にもめげず四衆を礼拝した。日蓮はこの不軽菩
            薩を末法における法華経弘通の理想とし、自己の信仰実践の規範とした。

 ※3 自界叛逆難:国内に叛逆者が出て、争いや同志討ちが起こること。薬師経に説
            く七難の一つ。日蓮は立正安国論で、日本が正法である法華経に背くから、自
            界叛逆・他国侵逼の二難が起こることを指摘。この自界叛逆難は北条氏一門の
            争いである文永9年(1272)2月の北条時輔の乱となって現実化し、日蓮は立
            正安国論を仏の未来記に擬した。

 ※4 他国侵逼難:他国が侵略してくる災難のこと。薬師経に説く七難の一つ。日蓮
            は立正安国論で、日本が法華経に背くゆえに自界叛逆・他国侵逼の二難が起こ
            ることを予知、警告した。そして、文永5年(1268)閏正月、日本を侵略する
            内容の蒙古国国書の到来により、他国侵遭難は現実のものとなった。

 ※5 無間地獄:間断なく苦を受け、楽をする間がない地獄のこと。阿鼻地獄とも言
            う。八大地獄の最下に置かれ、五逆罪や正法を誹謗するなど重罪を犯したもの
            が堕ちるとされる。日蓮は、今の日本国の人びとはみな無間地獄への道を歩ん
            でいるとし、題目の受持こそが無間地獄への道を塞ぐものとした。

 ※6 東条左衛門景信:安房国長狭郡東条の地頭。熱心な念仏者で、建長5年の立教
            開宗に、浄土教を批判する日蓮を清澄寺から追放した。追放の理由には、地頭
            として勢力拡大をはかった領家の尼との土地争いに、日蓮が領家の尼に味方し
            たため敗退させられたことも加わろう。文永元年(1264)11月、清澄寺追放後
            はじめて安房に帰省した日蓮一行に、景信がその宿怨をはらすべく襲撃したの
            が小松原法難である。

 ※7 二間:二間寺のこと。安房国長狭郡(現在の千葉県安房郡)に所在した。現廃
            寺。日蓮は常に清澄寺と並べて書き記しており、清澄寺と密接な関係にあった
            と考えられる。

 ※8 領家の尼:安房国長狭郡東条郷に居住。領家の尼は日蓮の両親が恩を受けた重
        恩の人。ために建長5年頃の地頭東条景信と領家の土地争いに、日蓮は領家に
            味方して勝訴した。やがて領家の尼は日蓮に帰依したが、文永8年(1271)の
            龍口法難のおり、退転して法華信仰を捨てた。

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テーマ:仏教・佛教 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2023/12/09 05:40 】

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