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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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ブッダの生涯 その1

 ブッダを知りませんか?

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 Buddha、すなわち「目覚めた人」である。何から目覚めたのか?苦悩に満ちた闇の世界から脱し、心安らかに生きる智慧、真理に目覚めたのである。ブッダの残した教えにより多くの人が苦しみから救われてきたが、目の前の享楽のみを追い求める今、ブッダの姿が見えなくなってしまった。僕と一緒にブッダを探しに行こう。 (遺跡の写真はトラベルサライの提供です)

 ブッダ、その人の名はガウタマ・シッダールタ。ガウタマは「最上の牡牛」、シッダールタは「目的を達成した」という意味。今から2500年あまり前、インド大陸の北方にあったシャカ族の国、カピラヴァットゥの王子としてお生まれになった。現在ネパール領のティラウラコートとインド領のピプラワーがカピラヴァットゥ遺跡の候補にあがっていて、両国がうちが本物だと言い争っていて決着がつかない。僕は考古学者でもないし、政府関係者でもないんで、どっちでもいいや。

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ティラウラコート遺跡

 お父さんのお名前がスッドーダナ。「清らかな米飯」という意味で、漢訳仏典では浄飯王と訳される。3人の兄弟がいたんだけど、これがスッコーダナ、ドートーダナ、アミドーダナといって、4人兄弟ともに「Odana」(米飯)がついているところをみると、シャカ族はお米を作って食べていたんだね。ということは、シャカ族は麦を食べていたインド・アーリヤ系民族ではないということだ。

 お母さんのお名前はマーヤーといって、コーリヤ族のスプラブッダの娘さんだ。日本と同じように実家でお産するために、デーヴァダハのお城に里帰りしようとしたんだけど、その途中のルンビニーというところで産気づかれてシッダールタは生まれてしまう。紀元前463年の4月8日のことだ。(生誕年は中村元先生の説によっています)
 
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 ルンビニーはカピラヴァットゥから20キロほど離れたところにある。

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 現在は公園として整備され、シッダールタが生まれた場所を特定したマーカーストーンをを覆うようにしてマヤ堂が建っている。煙突みたいなものが建っているけど、これはアショーカ王柱。 アショーカ王はブッダが亡くなってから200年ほどしてインドを統一したマウリヤ朝の王さま。インドを統一する過程であまりにも多くの犠牲者を出したことから、仏教に深く帰依し、仏教の教えにもとづいた政治を行った。アショーカ王がブッダの聖地を巡礼し建立したのがアショーカ王柱。1896年にルンビニーの石柱碑が発掘されたことでブッダの生誕地が特定されたんだ。

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 石柱碑にはブラーフミー文字でこんなことが書かれている。「アショーカ王は、潅頂20年に自らここに来て、崇敬した。ここで、仏陀釈迦牟尼が生誕したからである。それで石柵を設営せしめ、石柱を建立せしめた。(これは)ここで世尊が誕生されたことを(記念するためである)。ルンビニー村は租税を免ぜられ、また(生産の)8分の1のみを支払うものとする」。インド人は輪廻を信じているから歴史書をまったく残さなかったんで、ブッダも伝説上の人かと思われていた時代があった。それを覆したのがアショーカ王柱の発見だった。

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 ルンビニーの苑で休息していたマーヤーは、アショーカ樹(無憂樹)の花があまりにも美しく咲いていたので、一枝折ろうとして右手を伸ばされた。その時、シッダールタはマーヤーの右脇から「オギャ~」と、この世にお生まれになられた。偉大な方は普通には生まれない。イエスさまは処女懐胎だしね。

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 写真は金沢の卯辰山にある善妙寺というお寺にお祀りされている摩耶夫人像。あの文豪・泉鏡花が小さい頃に亡くした母の面影を慕ってお参りしたという有名なお像なんだけど、ちゃんと右の袖から生まれたばかりのシッダールタが顔を出してるよね。手には無憂樹の枝も持っておられる。悲しいことにマーヤーは産後の肥立ちが悪くて、一週間後に亡くなってしまうんだ。養母となったのが、マーヤーの妹のマハーパジャーパティー。シッダールタの叔母さんにあたる人だけど、後に出家されて尼さん第1号となられた方だ。

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 これはルンビニーにある誕生レリーフ。もともとのものはイスラーム教徒に削られてしまったので、復元したものなんだけど、マーヤーの後ろにいるのがマハー・パジャーパティー。左手にいる二人のおっさんはブラフマー神(梵天)とインドラ神(帝釈天)。ブラフマー神が絹布を手にしてシッダールタを抱き上げようとしているところだ。

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 これは日本から贈られた誕生仏。シッダールタは誕生してすぐに四方に7歩ずつ歩き、右手で天を、左手で地を指して、こう言った。生まれたばかりの子供が歩けるわけないし、しゃべれるわけないじゃん、ってか。もちろん後世の人がブッダがこの世に誕生された意義をわかりやすく人々に教えるために考えたエピソード。

 なぜブッダはこの世に誕生されたんだろうか?シッダールタはこう言われた、「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)、三界皆苦我当安之」。いろんな解釈があるけど、僕はこう考えている。この宇宙に私という存在はただ一つしかなく、これ以上に尊い存在はない。同じようにすべての生命はそれぞれただ一つのいのちを生きており、かかがえのない存在である。だから、一つ一つのいのちを大切にし、苦しみ悩む人々に安らぎを与えるため私はこの世に生を受けた。人間の尊厳をまもりぬこうという高らかなる宣言であった。
 
 
 手塚治虫の『ブッダ』には、こんなふうに書かれている。

 4月8日のあけぼのの前 奇蹟は天と地に満ち広がり それは生きとし生けるものの 
 心を感動で押しつつんだ  あるものは天上から美しい音楽を聞き 
 あるものはかぐわしいにおいをあびたという そして心の中にだれかが告げるであった
 「見よ 見よ その人が生まれた」と  (つづく)



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【 2014/05/15 10:56 】

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