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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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法華経の女人 千日尼御前御返事⑩

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

千日尼御前御返事せんにちあまごぜんごへんじ

 さわ(谷)の入道の事なげくよし尼ごぜんへ申しつたへさせ給へ。た

だし入道の事は申切り候しかばをもひ合せ給ふらむ。いかに念仏堂あり

とも阿弥陀仏は法華経のかたきをばたすけ給ふべからず。かへりて阿弥

陀仏の御かたきなり。後生ごしょう悪道あくどうちてくいられ候らむ事あさまし。

ただし入道の堂のらう(廊)にて、いのちをたびたびたすけられたりし

事こそ、いかにすべしともをぼへ候はね。

 学乗房をもつてはか(墓)につね球究法華経をよませ給へとかたらせ

給へ。それもかなふべしとはをぼえず。さても尼のいかにたよりなかるら

むとなげくと申しつたへさせ給ひ候へ。またまた申すべし。

七月二十八日                   
日 蓮  花押

佐渡国府阿仏房尼御前

【現代語訳】

 佐渡の※ 1さわ入道が亡くなられたことについて、「深く哀悼の意を表している」と、

亡くなられた入道の尼御前にお伝え願いたい。ただし、入道の信心については、(念仏

を信じていたので、一心になって法華を信仰しなければ仏には成れないと)言いきって

おいたが、その言葉を思い返して欲しい。たとえ念仏堂があったとしても阿弥陀仏は法

華経のかたきを助けるようなことはしない。かえって阿弥陀仏の敵となってしまうことにな

る。亡くなられて悪道に堕ち、悔やんでおられると思うと嘆かわしく情けない気持ちで

ある。ただし、入道の堂の廊で命をたびたび助けてもらったことは、どのようなことが

あっても忘れられない。

 学乗房にいつも入道のお墓へ参って、法華経を読んであげるようにと伝えていただき

たい。それでも仏に成るという願いはかなえられるとは思えない。それはそうとして残

された尼が、どのように頼りなく嘆いておられるかと、悲しんでいると伝えていただき

たい。また次の機会に申し上げることにしよう。

七月二十八日                          日 蓮  花押

佐渡国府阿仏房尼御前

【語註】

 ※1 
一の谷入道: 一谷は地名であり、入道の名は近藤清人だという説もある。この
            人は、流されてきた日蓮を助けて妻の尼御前と食物の供養などを行なったり、
            堂の一角に住むように便宜をはかったが、入道自身は阿弥陀信仰を持ってい
            た。

【解説】

 この手紙が書かれた弘安元年7月の時点でも、前年来の疫病は収まっていなかった。

日蓮は、信徒たちがどうしているか心配していた。そこへ、ひょっこりと阿仏房が日蓮

の目の前に現れたその姿を見つけた時の日蓮の喜びようがこの手紙に表われている

「尼御前はいかに」「国府入道殿はいかに」と矢継ぎ早に尋ねる日蓮の嬉しそうな表情

が目に浮かぶ。

 7月6日に佐渡を発った90歳の阿仏房は、海を渡り山河を越えて、身延山の日蓮の許

に27日に到着している。これが、3度目の訪問であった。しかも、亡くなる9カ月前の

ことである。それほどに阿仏房・千日尼夫婦は日蓮を敬い慕っていたと言えよう。

 阿仏房は、順徳上皇の警護に当たる北面の武士で、上皇が佐渡に流されたのに伴って

佐渡へ来て、塚原周辺の名主として定住していたという。阿仏房の名前から分かるよう

に、阿仏、すなわち阿弥陀仏 を信仰していて、塚原の三昧堂にいる日蓮を論駁しよう

と訪ねて来て、日蓮の人格や教えに触れて妻の千日尼とともに帰依するようになった。

千日尼は、食の乏しい三昧堂にお櫃を夫に背負わせ、地頭の責めも顧みず、夜中に忍ん

でご飯を届けることを続けた。後に、このことを理由に地頭から科料を科され、家を没

収されて所を追われた。それでも、志を貫き通した。阿仏房夫妻が遠ざけられると、今

度は阿仏房夫妻と親しかった佐渡の国府に住む名主の国府入道夫妻が、一目を避けて衣

食の供養に励んだ。後に、あばら家のような三昧堂から一谷入道の邸宅内に移されてか

らは、一谷入道の妻の帰依があった。

 この手紙は、阿仏房が3度目に身延山の日蓮を訪問した時に持参していた千日尼の手

紙に対する返信である。千日尼は「女人の罪障」と「法華経の女人成仏」について質問

してきた。それに対して、日蓮は、当時の日本で理解されていたインド・中国・日本の

仏教史を語り、『法華経』の重要性をいろいろな視点から強調している。

 「矢の走るは弓の力、雲のゆくことは竜の力、おとこのしわざは女の力」(「富木尼

御前御書」)と、夫の振舞はすべて妻の努力に負っていると、日蓮は述べている。夫の

言葉、その顔の後ろには妻がじっといる。夫という矢を飛ばす弓としての妻の姿をとら

えている。千日尼もそういう人であった。日蓮が佐渡に流された時、周りの者が日蓮を

憎み、迫害を加えるただ中にあって、千日尼は夫の阿仏房に櫃を負わせて夜中に食を運

び、供養を捧げた。そればかりか、日蓮が身延に入ると、3度まで夫を訪わせている。

その「計り知れないお志」は、日蓮をも感動させるものであった。

 佐渡の国より身延までは山海を隔てること1000里に及ぶ。それなのに女人の身とし

法華経を信じる志を持たれ、年々に夫を使いとして訪わせられた。きっと法華経、釈

迦、多宝、十方の諸仏はあなたのお心をご覧になられているだろう、と述べ、いつの日

か釈迦仏のみもとでお目
にかかろう、細やかに綴っている。

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テーマ:仏教・佛教 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2024/02/20 05:39 】

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