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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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法華経の女人 日妙聖人御書④

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

日妙聖人御書にちみょうしょうにんごしょ

 「〔今、この三界は、皆これ我が有なり。その中の衆生はことごとく

これ吾が子これなり〕」。我等具縛ぐばくの凡夫たちまちに教主釈尊と功徳ひ

とし。かの功徳を全体うけとる故なり。経に云はく「〔我と等しくして

異なること無きがごとし〕」等云云。法華経を心得る者は釈尊と斉等な

りと申す文なり。譬へば父母和合して子をうむ。子の身は全体父母の身

なり。誰かこれを諍ふべき。牛王ごおうの子は牛王なり。いまだ師子王となら

ず。師子王の子は師子王となる。いまだ人王天王等とならず。

 今法華経の行者は「〔その中の衆生はことごとくこれ吾が子なり〕」

と申して教主釈尊の御子なり。教主釈尊のごとく法王とならん事かたかる

べからず。ただし不孝の者は父母の跡をつがず。堯王ぎょうおうには丹朱と云ふ

太子あり。舜王しゅんのうには商均と申す王子あり。二人共に不孝の者なれば、

父の王にすてられて現身に民となる。重華ちょうかとは共に民の子なり。孝

養の心ふかかりしかば、堯舜の二王召して位をゆづり給ひき。民の身た

ちまちに玉体にならせ給ひき。民の現身うつしみに王となると凡夫のたちまちに

仏となると同事なるべし。一念三千の肝心と申すはこれなり。

 しかるをいかにとしてかこの功徳をばうべきぞ。楽法梵士ぎょうぼうぼんじ・雪山童

子等のごとく皮をはぐべきか身をなぐべきかひじをやくべきか等云

章安大師云はく「〔取捨よろしきを得て一向にすべからず〕」等こ

れなり。正法を修して仏になる行は時によるべし。日本国に紙なくは皮

をはぐべし。日本国に法華経なくて、知れる鬼神一人出来せば身をなぐ

べし。日本国に油なくば臂をもともすべし。あつき紙国に充満せり。皮

をはいでなにかせん。

【現代語訳】

 法華経の譬喩品に、仏のお言葉として「今、この三界はみな私の所有するところであ

その中の生きとし生ける者はことごとく私のいとしい子である」とありますように、

私たち煩悩だらけの凡夫も、妙法を信じたもてば、たちまちに教主釈尊と功徳が同じにな

ります。なぜなら釈尊の功徳をそっくりそのまま納受することになるからなのです。法

華経の方便品にも「私と同等であって異なるところがまったくない」とありますが、そ

れは、法華経を受持する者の功徳は釈尊とまったく同じであるという文です。たとえば

夫婦が睦びあって子を生みます。その子の体は父母の分身であって少しも他人の要素は

入っていません。誰もこの事実を否定することは出来ないでしょう。たとえば、牛王の

子は牛王です。決して獅子王とはなりません。また獅子王の子は獅子王となります。決

して人王や天王などにはならないのです。

 さて法華経の行者は、譬喩品に「三界の中の生きとし生ける者は、ことごとく私の愛

しい子である」と証言されている通り、教主釈尊の御子です。だから教主釈尊のように

法王となるのは困難なことではありません。ただし、親不孝の者は父母の跡を継ぎませ

ん。たとえば※ 1王には丹朱という太子がありましたし、※ 2王には商均という王子があり

ましたが、二人とも不孝者であったので父の王に見放されてそのまま平民階級に身を置

くことになりました。反対に、重華と※ 3とは二人とも平民の子だったのですが、親孝行

の心が深かったので、堯王・舜王の二王が召し寄せて王位をお譲りになりました。平民

の身がたちまちにして玉体とおなりになったのです。このように、民がその身のままで

王となることと、凡夫がたちまちにして即身成仏することとは同類のことです。※ 4念三

千の肝心というのはこのことにほかなりません。

 さてそれでは、どのようにしたらこの功徳を得ることが出来るのでしょうか。楽法梵

士や雪山童子や薬王菩薩らのように、皮をはいで経文を記す紙にしたり、身を投げて飢

えた虎に与えたり、臂をともして法華経に供養したりしなければならないのでしょうか。

このような疑問に関して※ 5安大師は涅槃経疏に「取捨を適宜に行なって、偏向してはな

らない」と、このように答えています。正しい仏法を修めて仏になる行法は、時に応じ

てなされなければなりません。日本国に紙がなかったならば皮をはぐのがよいでしょ

う。日本国中が法華経に無知で、ただ一人それを知っているという鬼神が出現したなら

ば身を投げ与えるのも当然でしょう。日本国に油がないというのなら臂を燃やさなけれ

ばならないでしょう。ところが、日本には厚い立派な紙がたくさんあります。そのよう

な状態のところで皮をはいでも何の意味もありません同じように身を投げることも、

臂を燃やすことも、今の日本では無意味なことです。では、どのような行法によって妙

法の功徳が得られるのでしょうか。(つづく)

【語註】

 ※1 堯王:中国古代の伝説上の帝王。五帝の一人。陶唐氏と号す。理想的な善政を
            行ない、賢帝の代表とされる。子の丹朱が不肖であったので位を舜に譲った。
 
 ※2 舜王:中国古代の伝説上の帝王。五帝の一人。名は重華。堯王から帝位を譲ら
            れ、理想的な善政を行なった。賢帝の代表とされる。

 ※3 禹:中国古代の伝説的な帝で、夏朝の創始者。黄河の治水を成功させたという
            伝説上の人物である。

 ※4 一念三千:一瞬一瞬の心のはたらきの中に三千の諸相がすべて具わっていると
            いう天台智【ちぎ】の教え。三千の諸相とは、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人
            間・天・声聞・縁覚・菩薩・仏の十界に分けられる一切衆生の境地のそれぞれ
            が、互いに十界を具えているので百界となり、その百界がそれぞれ、相・性・
            体・力・作・因・縁・果・報・本末究竟等の十種の面(十如是)を具えている
            ので千種となり、その千種のそれぞれが、物と心とのかかわりあいの境地(衆
            生世界)・存在する場(国土世間)・存在を構成する要素(五陰)世間)の三
            種の世間にわたっているからいうのであって、要するに一切の現象のことであ
            る。

 ※5 章安大師:中国天台の第二祖灌頂。22歳の折に天台山修禅寺へ赴いて智から
            天台の教観を習い、爾後14年間、智の入滅にいたるまで随侍した。智の没
            後その遺教100余巻を集収記録して後代に伝えるとともに、自らも多くの著述
            を世に残した。

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テーマ:仏教・佛教 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2024/02/29 05:36 】

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