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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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法華経の女人 日妙聖人御書⑤

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

日妙聖人御書にちみょうしょうにんごしょ

 しかるに玄奘は西天に法を求めて十七年、十万里にいたれり。伝教御

入唐ただ二年なり、波濤三千里をへだてたり。これ等は男子なり。上古

なり。賢人なり。聖人なり。いまだきかず、女人の仏法をもとめて千里

の路をわけし事を。竜女が即身成仏も、摩訶波闍波提まかはじゃはだい比丘尼の記莂きべつにあ

づかりしも、しらず権化にやありけん。また在世のことなり。

 男子女人その性もとより別れたり。火はあたたかに、水はつめたし。

海人あまは魚をとるにたくみなり。山人かりゅうどは鹿をとるにかしこし。女人は婬

事にかしこしとこそ経文にはあかされて候へ。いまだきかず、仏法にか

しこしとは。女人の心を清風に譬へたり。風はつなぐともとりがたきは

女人の心なり。女人の心をば水にゑがくに譬へたり。水面には文字とど

まらざるゆへなり。女人をば誑人きょうじんにたとえたり。或る時は実なり、或

る時虚なり。女人をば河に譬へたり。一切まがられるゆへなり。

 しかるに法華経は「〔正直に方便を捨てる〕」等、「〔皆これ真実な

り〕」等、「〔質直しちじきにして意柔軟こころにゅうなん〕」等、「〔柔和質直にゅうわしちじきなる者〕」

等申して、正直なる事弓の絃のはれるごとく、墨のなは(縄)をうつが

ごとくなる者の信じまいらする御経なり。くそ栴檀せんだんと申すとも栴檀の香

なし。妄語の者を不妄語と申すとも不妄語にはあらず。一切経は皆仏の

金口こんくの説、不妄語の御言なり。しかれども法華経に対しまいらすれば妄

語のごとし。綺語きごのごとし、悪口あっくのごとし、両舌のごとし。この御経こ

そ実語の中の実語にて候へ。

【現代語訳】
幼児を連れて波濤を越えた正直な女人

 昔、中国の玄奘三蔵は仏法を求めてインドに旅をすること17年、距離は10万里に及び

ました。日本の伝教大師の入唐求法にっとうぐほうは、年限はわずか2年でしたが3000里の波濤を分

けてのことでした。これらの難行苦行を成し遂げたのは強い男性でした。また時代は濁

りの少ない古代のことでした。そして賢人と仰がれ、聖人と讃えられる人の行ないでし

た。私はまだ聞いたことがありません、あなたのように女性が仏法を求めて千里の路を

踏み分けて行ったということを。女性といえば法華経の提婆達多品だいばだったほんに竜の乙女が即身

成仏をしたことが見え、また勧持品かんじほんでは釈尊の叔母である摩訶波闍波提比丘尼が将来成

仏することを仏から保証されています。しかし、これらの女性は、仏が人々を救い導く

ために、女性に変身して出現なさったのかも知れません。また時代的には釈尊が生きて

いらっしゃった遠い昔の話であって、あなたの行ないと比べることはできません。

 男性と女性とは基本的に違った性質を持っています。火は熱く、水は冷たいようにで

す。猟と漁との例をみても、女性である海人は海で魚を捕るのがうまく、男性である山

人は野山で鹿を狩るのが上手なのであって、男女の違いはあらゆる所に見られます。で

は女性の特徴はどういうところにあるのでしょうか。一つには、女性はみだらなことが好

きだと経文に記されています。女性が仏法を好むなどといったことは夢にも聞いたこと

がありません。また女性の心を空吹く風にかこつけた言い方もされています。風の状態

は何とか感じとることが出来るけれども、女性の心だけは把えようがないというわけで

す。同じように、女性の心は水に字を書くようなものだとも言われています。水面の字

はすぐに消えてなくなってしまうからです。あるいはまた女性は人を欺き惑わすものだ

ともされています。真剣に思いつめたかと思うと、たちまち冷めてしまったりするから

です。それから女性は川にたとえられています。まっすぐになることのない曲がりくね

った性格の持ち主だというのです。

 ところで話は変わるようですが、法華経は、「仏は正直に方便を捨てて、ただ無上道

を説く」とか、「釈迦牟尼世尊のお説きになったことは、みな、すべて真実である」と

か、「質直で、意を柔和にして、心から仏にお会いすることを願い、自ら身命を惜しま

ない者の前に私は姿を現わす」とか、「柔和質直に信仰する者は、いながらにして皆、

私と会うことができる」などと説かれている通りのお経であって、たとえば弓の絃がピ

ンと張っているように、あるいは墨縄の糸をパシッと打ったように、まっすぐで濁りの

ない求道の人が信じ申し上げる経典なのです。たとえば、糞を栴檀だと偽っても芳香が

漂うことはありません。また嘘つきの者を正直者だといっても嘘をつかなくなるわけで

はありません。そのように虚偽は結局暴露するものですが、一切経はみな仏ご自身のお

口で説かれたもので絶対に真実の教えです。ところが、その一切経でさえも法華経と比

較すると嘘のようなものです虚飾の言葉のようなものです悪口のようなものです。

二枚舌を使った意見のようなものです。この法華経こそが真実の中でも真実の教えなの

です。(つづく)

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テーマ:仏教・佛教 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2024/03/02 05:40 】

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