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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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ブッダの生涯 その5


ブッダを知りませんか?

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 前正覚山を下りたシッダールタは、草刈りをしている村人から青々とした香りのいい草を敷物用にもらうんだけど、この草は吉祥草といってマガダ国では敷物によく用いられていたそうだ。日本でいったら稲藁みたいなものかな。この吉祥草を抱えたシッダールタは、ネーランジャラー河のほとりを悟りを開くにふさわしい場所を探して歩く。

金剛宝座と菩提樹 
 
 やがて、シッダールタはネーランジャラー河の西岸に1本のアシュヴァッタ樹を見つける。アシュヴァッタ樹って聞いたことないと思うけど、シッダールタがこの木の根元で悟りを開いたんで菩提樹と呼ぶようになったんだ。ブダガヤのマハー・ボーディ寺院には写真のような菩提樹があるけど、残念ながらブッダの時代のものではない。ブッダの時代のものは、6世紀にシャシャーンカ王という王さまによって切り倒されちゃったんだって。でも、大丈夫。スリランカのアヌラーダプラというところにスリー・マハー菩提樹というのがあるんだけど、アショーカ王の妹のサンガミッタがもともとの菩提樹から採った枝を運び、スリランカの王さまが大事に育てたものだ。このスリー・マハー菩提樹から育てたのが現在の菩提樹で、3代目ということになる。

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 菩提樹の葉は写真のようなハート形をしていて、ブダガヤではこの葉を葉脈だけにしたスケルトンリーフがお土産として売っている。安いから手軽なお土産として喜ばれていて、僕も何百枚も買ったもんだ。ああ、ちなみに菩提樹のお数珠があるけど、あれは金剛菩提樹とか星月菩提樹とか他の菩提樹で、この菩提樹じゃないよ。菩提樹はクワ科の常緑樹で、高さは30メートルにも達する。だから、酷暑のインドでは、大変にありがたい涼しい木陰を与えてくれる。そして何よりも、この菩提樹は古来より神が宿る霊樹として尊ばれていた。だからシッダールタはこの木の下を瞑想の場に選んだんだ。

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 シッダールタが悟りを開いた場所には現在マハー・ボーディ寺院があり、その中心となっているのが本堂にあたる高さ52メートルの大精堂だ。一番古い部分はアショーカ王によって建立されたものだが、 13世紀にイスラーム教徒が侵入した際にこれを土で覆い隠して守ったそうだ。バーミヤンの大仏を破壊したタリバーンのことを考えると、隠していなければ破壊されていたに違いない。重機もない時代にこんなでかいものを隠すための土を運ぶ作業がいかに大変だったか、当時の人々の信仰心の厚さが忍ばれる。その後この塔の場所は分からなくなってしまってたんだけど、1876年にビルマ(ミャンマー)の王さまが3人の官吏を派遣して、600年以上埋没していた基底部を発掘。その後、インド政府も黙って見過ごすことができなくなり、1863年にイギリスのアレキサンダー・カニンガムの指導のもとが発掘に着手したんだ。カニンガムはインダス文明のハラッパー遺跡の発掘でも知られる考古学者で、インド考古局を設立たことでも知られる。
 大精堂の裏手にシッダールタが悟りを開いた場所があり、これを金剛宝座と呼んでいる。われわれ仏教徒にとって一番重要な聖地だ。これを、1881年にベーグラーが探りあて、その下から仏舎利【ぶっしゃり】(ブッダのご遺骨)を発見した。

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金剛宝座(左手は菩提樹)

  話がそれちゃったけど、シッダールタはこの樹の下に吉祥草を敷き、東側を向いて正しく坐り、静かに瞑想に入った。僕がこの場所を初めて訪れたのは平成5年。その時は金剛宝座に触れることも出来て、涙があふれてきたのを今でも覚えている。でも、現在は石の柵で囲まれており中に入ることは出来ない。オウム真理教の麻原彰晃の罰当たりが金剛宝座に上がり、参詣者によって引き下ろされた事件以降、中に入ることが出来なくなってしまったんだ。

 「悟りを開くまで、この座を立たず」という覚悟で瞑想を始めたシッダールタだったけど、またまた悪魔が邪魔をしに現れる。苦行中はナムチという悪魔だったけど、今度はマーラーだ。マーラーは欲望の化身みたいな奴なんで、シッダールタが悟りを開いて、人々に「欲から離れることで苦から救われる」と説かれては、身の破滅。だから、なんとしてもシッダールタの悟りを阻止しようと、しつこく攻撃してくる。

 怪物の姿でシッダールタを攻撃してみたり、世間的な権力の魅力で誘惑してみたり、死の恐怖で瞑想を中断させようとしたり。そして最後は若さと美貌を誇る自分の娘を送る。

 「今はいい季節よ。あなたは若い。この美しい私たちの肢体を見ても何にも思わないの?さあ、一緒に遊びましょうよ。瞑想して悟るなんて無駄なことだわ。」

 僕だったら、「はい、そうですね」と、鼻の下を伸ばして、瞑想止めちゃうだろけど、シッダールタは少しも心動かすことなく、

 「肉体の快楽には悩みがつきものだ。わたしはとっくの昔にそういう悩みを超えている。世の人々は情欲に迷わされるが、わたしはもう欲望から解放されて精神的に自由だ。おまえたちが今そうして天女でいられるのは、昔善いことをした結果じゃないか。ここでわたしを誘惑したらそ、その結果は地獄に堕ちる。やめなさい」

 シッダールタの堅い覚悟と優しい思いやりの言葉にほろりとした娘たちは改心し、花をささげて、父マーラーのもとに帰って行きます。そして、

 「泥の中から抜け出た蓮の花のように清らかな姿、火のように輝く威光のあの方を、これ以上苦しめるのはお止めください、お父さま」とお願いした。もう完全にマーラーの負け。

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 こうして、瞑想を初めて7日後の12月8日。今まさに夜から朝になろうとする時、東の空が赤く染まり、明けの明星が輝いた瞬間、シッダールタはついに最高の悟りに達した。
「われ勝てり」
 ガウタマ・シッダールタはついに「目覚めた者」、ブッダとなられた。シッダールタ35歳の時のことだ。これを「降魔成道【ごうまじょうどう】」と言うんだけど、写真は マハーボディ寺院の大精堂内部の降魔成道仏。本来は黒石だったらしいんだけど、ミャンマーの信者さんによって金箔で覆われて、金ピカピンになったんだって。いつ拝んでも違和感のあるブッダ像だ。 

 さて、ブッダは何を悟ったんだろうね。大澤真幸先生は、それはXだとおっしゃっている(『ゆかいな仏教』)。悟ったのはブッダしかいないから、その内容はブッダだけが知っている。悟っていない人にはそれが何だか分からないからXだ。あなたも悟ればXが何だか分かりますよ、ということなんだけど。それじゃ納得がいかないよね。
 このXが後にだんだん肉付けされて難しい理論に発展していくんだけど、ブッダが悟ったのは、

これあるときにかれあり、これ生ずるときにかれ生ず。これ無きときにかれ無し。これ滅するときにかれも滅するなり」ということ。 
 
 いわゆる「縁起の法」というものだ。すべての事象はそれぞれが相互に依存し合い、あるものがそれ自体で存続することはない。かならず何かしらの原因(因)と条件(縁)があって、ある結果が生まれる。要するにこの世の中にあるものはべて関係性のうえにおいてのみ成り立ってますよ、ということだ。僕なりに解説してみようか。なんせ生ぐさ坊主だから、違ってるかも知れないけどね。

  ここに綺麗な花が咲いているとしよう。それは花の種があったから、咲いたんだよね。でも、種があったというだけでは花は咲かない。適当な気温と、水分があって種は芽を出し、土中の栄養分と太陽の光と二酸化炭素があって成長し、花が咲くわけだ。それらのうちどれか一つが欠けても、花は咲かない。そして、花はやがて枯れて種を残し、また次の花が咲くというように、この世の中のものすべてはいろんな原因と条件のもとで常に変化しながら、とどまることがない。
 
 僕はお父さんとお母さんから生まれた。当たり前だけどね。そのお父さんは僕のお爺ちゃんとお婆ちゃんから生まれた。よく坊さんが説教で使う話なんだけど、2代前のご先祖さまは4人、3代前は8人、こうやって10代前までさかのぼると1,024人のご先祖さまがいて、そのうちの1人がいなくても、あなたはこの世に生まれていなかったんですよ、って。だから、僕が今ここにいるということは、奇跡的なことなんだ。もっとスケールの大きな話をすると、人類の起源についてアフリカ単一説というのがある。現在この地球上に約72億人の人間がいるけど、そのご先祖さんはアフリカにいた一つのグループだという説だ。この説が正しければ、地球上の人類はみな共通のDNAで繋がっていて、兄弟みたいなもんだ。クリミヤ半島がウクライナかロシアかって争ってるけど、兄弟争いみたいなもんで馬鹿な話だ。

 すべてのものに原因があるとすれば、苦しみにも原因があるはず。だったら、その原因を取り除けば、苦しみも消えるということになるけど、そのことについてはまたいずれ話そう。

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 ブッダは悟りを開かれたあと7日間、菩提樹の下で足を組んだままの姿勢で「解脱の安楽」を心ゆくまで味わわれたという。その後7日間アジャパーニグローダ樹、さらに7日間ムチャリンダ樹の下で解脱の安楽を楽しまれた。ムチャリンダ樹の下にお坐りになられた時、時季はずれの雨が7日間降り続き、冷たい風が吹いたそうだ。その時ムチャリンダ竜王が釈尊の身体を覆って風雨から守ったという言い伝えがある。竜というと中国の竜を思い浮かべると思うけど、漢訳仏典の竜の原語はナーガで蛇のことだ。インドで蛇と言えば、もちろんコブラ。コブラは興奮すると鎌首を広げるから、傘のようになって釈尊の身体を風雨から守ることが出来る。大精堂の裏手の池の真ん中にはその時のブッダの像があるんだけど、わざわざそんな像を造らなくてもいいんじゃないの。想像するだけでいいの。想像するだけで、十分。 

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梵天勧請(1世紀、ガンダーラ出土)

 ブッダは7日ごとにいろんな樹の下で瞑想を楽しまれたんだけど、7回目の7日の瞑想の時のことだ。ブッダにこんな思いが生じた。

 「私が到り得たこの真理は甚だ深く、見がたく、理解しがたく、寂静であり、勝れており、推論の範囲を超え、微妙であり、賢者だけが知ることができるものである。ところが、この世の人々は感覚による快楽の対象に夢中になり、感覚による快楽の対象を楽しみ、感覚による快楽の対象を喜んでいる。このような人々には、この事、すなわちこれによってそれがあるという縁起の道理は見ることが難しい。またこの事も、すなわちすべての生産活動のしずまること、すべての執着を捨てること、欲望を滅尽すること、貪欲を離れること、煩悩を滅すること、涅槃を見ることもとても難しい。もし私が教えを説いたとしても、他の人々がわたしの言うことを理解してくれなかったら、それは私にとって疲労であるだけだ。それは私にとって苦悩であるだけだ。」(『マハーヴァッガ』)

 要するに、みんなに話したところで、悟りの内容は難しくて分からないだろうし、このまま死んじゃおうと思ったわけだ。でも、そうなるとブッダの教えは現在に伝わっていない、ということは、僕は坊さんしてないということになる。それを救ったのがブラフマー神(梵天)だ。シッダールタ誕生の時にも出てきたバラモン教の神さまだ。このブラフマー神が「願わくは憂いに沈み、生死に悩める衆生を導きたまえ。起【た】て、勇気ある者よ。世間に遊行したまえ。法を説きたまえ」って、3回お願いした。それで、ようやくブッダは、

 「不死の門はいま開かれた。耳あるものは聞きなさい」と、布教を宣言。瞑想の座から立ち上がり、静かに歩き始めた。(つづく)



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【 2014/05/06 11:57 】

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