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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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法華経の女人 月水御書⑥

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波木井の御影(身延山久遠寺蔵)

月水御書がっすいごしょ

 但し女人の日の所作は苦しかるべからずと覚え候歟。元より法華経を

信ぜざる様なる人々が、経をいかにしても云うとめんと思ふが、さすが

にただちに経を捨てよとは云えずして、身の不浄なんどにつけて、
法華

経を遠ざからしめんと思ふ程に、又不浄の時、此を行ずれば経を愚かに

しまいらするなんどをどして罪を得させ候也。
此事をば一切御心得候

て、月水の御時は七日までも其気の有ん程は、
御経をばよませ給はずし

て、暗に南無妙法蓮華経と唱させ給ひ候へ。
礼拝をも経にむかはせ給は

ずして拝せさせ給ふべし。

 又不慮に臨終なんどの近づき候はんには、魚鳥なんどを服せさせ給ふ

ても候へ。よみぬべくば経をもよみ、及び南無妙法蓮華経とも唱させ給

ひ候べし。又月水なんどは申すに及び候はず。

 又南無一乗妙典と唱させ給ふ事、是同じ事には侍れども、天親菩薩・

天台大師等の唱させ給ひ候しが如く、只南無妙法蓮華経と唱させ給べき

歟。
是子細ありてかくの如くは申し候也。穴賢穴賢。  

文永元年卯月十七日                 日蓮  花押   

大学三郎殿御内  御報

【現代語訳】

 ただし女性の一日の所作には差し支えないと思います。元より法華経を信じていない

ような人々が、法華経をなんとかして嫌わせようと思うが、さすがにただちに経を捨て

よとは言えないので、身の不浄などとかこつけて、法華経を遠ざけようと思うので、ま

た不浄の時これを行ずれば経をおろそかにすることとなるなどと脅して、罪を得させよ

うとするのです。この事を一切心得られて、月水の時は7日ほどもその気のある時は、

御経を読まれずに、暗唱して南無妙法蓮華経と唱えるようにすればよいでしょう。礼拝

も経に向かわずに拝みなさい。

 また不慮に臨終などが近づいた時には、魚や鳥などを食べておられる時でも、読める

ならば経を読み、そして南無妙法蓮華経とも唱えたらよいでしょう。また月水などは言

うに及びません。

 また南無一乗妙典と唱えられることは、これと同じ事ですが、※ 1親菩薩・天台大師等

が唱えられたように、ただ南無妙法蓮華経と唱えるべきです。これは詳細があるのでこ

のように申し上げるのです。穴賢穴賢。

文永元年卯月十七日                        日蓮  花押   

大学三郎殿※ 2内  ※ 3

【語註】

 
※1 天親菩薩:新訳(玄奘訳)では世親。現在は世親の名が用いられている。5世
            紀頃の北インドガンダーラの論師。瑜伽・唯識思想の大成者無著の肉弟として
            生れ、初めは小乗を信じ、カシミールに入って『大毘婆沙論』を研鑽したが後
            に無著の教化を受けて大乗に転じた。『十地経論』『摂大乗論釈』『仏性論』
           『涅槃論』『妙法蓮華経優婆提舎』(『法華論』)など多くの論釈を著した。
            小乗にいるとき500部、大乗において500部の著があるとされ、世に千部の論主
            と称される。日蓮は天親を、法華経の真髄を会得しながらも、仏滅後遠からぬ
            正法の世に、概して清善の機根の人々に対し、龍樹などと同じく、内には法華
            経の真髄を蔵しながら、外には権大乗の弘通を行った人としてとらえている。

 ※2 御内:手紙の宛名に添える言葉で、相手の妻、または一家全体にあてる場合に
            用いる。

 ※3 御報:身分の高い人に出す文書での返事を意味する。

【解説】

 この手紙の末尾に日蓮自ら、「大学三郎殿御内御報」と記しているように、鎌倉在住

の比企大学三郎能本の妻の質問に答えた手紙である。

 大学三郎は、鎌倉幕府の有力御家人であった比企能員の子で、四条金吾と並ぶ相模の

有力な信徒であり、龍口の法難の時は、命を賭して日蓮を護ることに奔走している。そ

のため、何らかの難に遭ったようだが、それも乗り越えて日蓮に帰依し続けた。

 その夫人からの質問は、①『法華経』の1部28品をすべて読誦すべきか、あるいは、

薬王品の1品を読誦すべきか、そして、②月水(月経)の時は読誦すべきか否かーの2

点にまとめてみることができよう。

 
①に対して日蓮は、方便品と寿量品の読誦、および南無妙法蓮華経を唱えることを勧

めている。

 ②について質問した夫人は、一度も「月水」という言葉を使わず、2回も「例の事」

という表現を用いている。それは、当時の女性たちの恥じらいだけでなく、忌み嫌われ

ているものを言葉で表現するのがはばかられるという意識の表われであろう。日蓮は、

6回も「月水」という語を用いていて、日蓮のほうは、何のとらわれもなく、あっけら

かんとしている。

 これまで、多くの女性が尋ね、多くの人が答えて来たけれども、一代聖教に月経を忌

み嫌う言葉がないからか、示されていない。そして、日蓮自身も、釈尊在世の女性修行

者たちが、月経の時だからと言って、忌み嫌われることはなかったと答える。

 そして、日蓮は月経について、①外からやってくる不浄(穢れ)ではない、②女性の

体に生理現象として現われる単なる変調、③生命の種を継承する原理に基づいたもの、

④体調が崩れるのは長病のようなものーだとして人体から排泄された屎尿と同じで

浄化して清潔にすれば、何の忌み嫌うこともないと結論する。これを読むと、日蓮の合

理的かつ道理にかなった思考を読み取ることが出来る迷信じみた発想は欠片もない。

 釈尊も徹底して迷信を排除していた。バラモン教の「穢れ」という観念を否定した。

旃陀羅【せんだら】と漢訳されたチャンダーラ(不可触民)は、排泄物や血液などの穢

れに触れるから、穢れているとされていたが、釈尊はこれを完全に否定した。

 迷信を徹底的に排除していた本来の仏教からすれば、月経は忌み嫌うことでも何でも

ない。生理現象の一つにすぎない。けれども現実的には、日本では身の回りに忌み嫌う

風習が根強い。そこで、日蓮は「随法毘尼」の考え方を提示する。仏教の根幹に抵触し

なければ地方、方面の生活習慣に随ってもいい、というものだ。日本国は神国として、

忌み嫌う人が多いのだから、それに敢えて逆らう必要はないとしつつも、日々の勤めに

は何の問題もないと言う。「其の気の有らん程」、すなわち体調が勝れない時には、無

理に経典を読まなければならないことはなく、「暗に南無妙法蓮華経と唱へさせ給ひ候

へ」という柔軟な思考を示している。
 
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テーマ:仏教・佛教 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2024/04/18 05:39 】

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