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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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ブッダの生涯 その7


ブッダを知りませんか?

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 ブッダの最初の説法を初転法輪【しょてんぼうりん】というんだけど、ブッダは何を語ったんだろうか?残念ながら、実のところよく分かってないんだ。後代にどんどん追加されていったもんだから、サールナートで最初に何を語ったのかはっきりしない。ここは一般的に伝えられている内容を紹介していくね。ちょっと難しいかも知れないけど、頑張って読んでね。 
 
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初転法輪像(サールナート考古博物館蔵)

  中道

 さて、世尊は五人の比丘たちの群れに話しかけられた。
 「比丘たちよ。これら二つの極端は出家した者が近づいてはならないものである。二つとは何であるか。それは一つには、もろもろの欲望の対象において歓楽の生活に耽ることで、下劣で、卑しく、凡俗の者のするところであり、聖なる道を行う者のするものではなく、真の目的にそわないものである。また、それは二つには、自分を苦しめることに耽ることで、苦しく、聖なる道を行う者のするものではなく、真の目的にそわないものである。比丘たちよ、これらの二つの極端に近づくことなく、如来は中道をさとった。この中道は、真理を見る眼を生じ、真理を知る知を生じ、心の静けさ・すぐれた智慧・正しいさとり・涅槃へと導く
。」
(『マハーヴァッガ』)
 ※比丘=男性の出家者。 涅槃【ねはん】=悟りのこと。

 これはブッダの体験から出た言葉だね。出家する前は、宮殿でありとあらゆる贅沢品を与えられ、絶世の美女たちに囲まれ、あらゆる欲望を満足させる生活をしていた。そんな享楽を求める生活が無意味であると悟って、城を抜け出し、6年間森の中で苦行に励んだ。餓死寸前のところまで自分を追い込んでいったけど、結局悟りには到らなかった。そうした体験から快楽と苦行の二つを超越した「中道」を発見したわけだ。だけど、誤解してはいけないのが、決して中途半端ということじゃないよ。快楽を求めず、かといって自分にとって苦しいこともしない、生ぬる~い生活がいいと言ってるんじゃない。極端はダメよということだ。生ぬる~い生活は、それはそれで極端な生活なんで、拒否される。つまり、偏執や妄執にとらわれることなく、自由な状態に自分をおくことで、ブッダは弟子のソーナとこんな会話をしている。

 「ソーナよ。汝はどう思うか?もしも汝の琴の弦が張りすぎていたならば、そのとき琴は音声こころよく、妙なるひびきを発するであろうか?」
 「尊い方よ。そうではありません。」
 「汝はどう思うか?もしも汝の琴の弦が緩やかすぎたならば、そのとき琴は音声こころよく、妙なるひびきを発するであろうか?」
 「そうではありません。」
 「汝はどう思うか?もしも汝の琴の弦が張りすぎてもいないし、緩やかすぎてもいないで、平等な(正しい)度合いをたもっているならば、そのとき琴は音声こころよく、妙なるひびきを発するであろうか?」
 「さようでございます。」
 「それと同様に、あまりに緊張して努力しすぎるならば、こころが昂ぶることになり、また努力しないであまりにもだらけているならば怠惰となる。それ故に汝は平等な(釣り合いのとれた)努力をせよ。」
(『マハーヴァッガ』)

 琴の弦が張り過ぎていても、緩み過ぎていても、いい音色はしない。ちょうどいいところが、ちょうどいいということだね。ブッダはさらに中道をより具体的に説明する。

 「比丘たちよ、如来がさとったところの、真理を見る眼を生じ、真理を知る知を生じ、心の静けさ・すぐれた智慧・正しいさとり・涅槃へと導く、かの中道とは何であるか。これこそ聖なる八つの道(八正道)である。すなわち、正しい見解・正しい思考・正しい言葉・正しい行為・正しい生活・正しい努力・正しい念慮・正しい三昧である。比丘たちよ、これが如来がさとったところの、真理を見る眼を生じ、真理を知る知を生じ、心の静けさ・すぐれた智慧・正しいさとり・涅槃へと導く、かの中道である。」(『マハーヴァッガ』)
 ※如来=ブッダのこと。 三昧【さんまい】=瞑想。

 正見・正思・正語・正業・正命・正精進・正念・正定の8つを八正道【はっしょうどう】というんだけど、これこそが中道だとおっしゃている。

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初転法輪の地に建つダメーク・ストゥーパ
 4つの聖なる真理

 ブッダはさらに大切な教えを説いた。

 「比丘たちよ、苦しみに関する聖なる真理とは、次のようである。生まれることも苦しみであり、老いることも苦しみであり、病むことも苦しみであり、死ぬことも苦しみであり、憎い者たちと会うことも苦しみであり、愛する者たちと別れることも苦しみであり、求めても手に入らないことも苦しみであり、要するに執着を起こすもとである身心・環境のすべては苦しみである。
 比丘たちよ、苦しみを引き起こす原因に関する聖なる真理とは、次のようである。これは再び迷いの生に導き、喜悦と貪欲【とんよく】をともない、あちらこちらに快楽を求めていく欲望である。すなわち、愛欲と生存欲と権勢・繁栄欲である。
 比丘たちよ、苦しみを消滅することに関する真理とは、次のようである。その欲望を完全に離れ去ることが消滅することであり、欲望を棄捨すること、捨離すること、執着を去ることである。
 比丘たちよ、苦しみを消滅することへ導く道に関する聖なる真理とは、次のようである。これこそ聖なる八つの道である。すなわち、
正しい見解・正しい思考・正しい言葉・正しい行為・正しい生活・正しい努力・正しい念慮・正しい三昧である。
(『マハーヴァッガ』)

 これを四諦【したい】とか四聖諦【ししょうたい】とか言うんだけど、漢語にすると途端に難しく感じるね。だから、あんまり使いたくないんだけど、使ったほうが日本人には理解し易いという面もあるんで、時々使うね。「諦」の字は現在は諦【あきら】めると読んで、give upの意味で使ってるけど、本来は「明らかにする」という言葉で、サンスクリット語では「サティヤ」と言うんだ。世界史で習ったと思うけど、インド独立の父マハトマ・ガンディーは自らの非暴力・不服従運動に「サティヤーグラハ」と名づけた。もともとの意味は「真理を把握する」という意味で、サティヤは真理のこと。苦・集・滅・道の4つの真理を四諦というんだけど、集諦は「じったい」と読むよ。そう言えば、集諦を「しゅうたい」と読んで醜態をさらした坊さんがいたな~。
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 ①苦諦。この世のありようは苦であるということ。四苦八苦って言葉知ってるよね。僕も今ブログ書くのに四苦八苦しているけど、もともとはそんな意味ではない。生・老・病・死が四苦で、これに怨憎会苦【おんぞうえく】・愛別離苦【あいべつりく】・求不得苦【ぐふとっく】・五蘊盛苦【ごうんじょうく】の4つを加えて八苦だ。ここで苦と言ってるのは、呼吸が出来なくて苦しいというような生理的な苦痛や、日常的な不安や苦悩という意味ではなく、「自分の思い通りにならない」ということ。もっと金持ちの家にもっと美男子に生まれたかったけど、そんなにうまくはいかない。年は取りたくないし、病気になりたくはない、死ぬのはもっと嫌だ。でも、どうにもならない。人は必ず年を取り、病になり、死んでいかなければならない。人生、会社の上司や姑さんなど嫌な奴に出会わなければならないし、愛する人と別れなければならない。財宝や地位や名誉を求めても、得られるのはほんの一部の人間だけ。そして、われわれが執着を起こすもとである身心・環境のすべてが苦であり、自分の思い通りにはならない。

 ②集諦。「縁起の法」で話したけど、すべてのものには原因がある。とすれば、苦しみにも原因があるはずだよね。ブッダはその原因は欲望、煩悩【ぼんのう】であるとした。それも、ひどく喉が渇いているいる時に、貪るように水を求めるような渇愛【かつあい】が苦しみを生むんだとね。求不得苦で説明すると、1億円欲しいと思っている人が1,000万円しか手に入らなかった時、9,000万円のギャップが苦しみになるというわけだ。

 ③滅諦。苦しみの原因が欲望であるならば、苦しみを無くすには欲望を無くせばいいということで、簡単な理屈だね。だけど欲望を無くしたらどうなるだろう。食欲や睡眠欲を無くしたら、人間死んじゃうよね。だから、「消滅」とは言っているけど、完全に無くしてしまうという意味じゃないんだ。「消滅」と訳されている原語は「ニローダ」といって、「制止する」という意味。苦しみを無くすためには、ほしいままに動き回る欲望をコントロールするということだ。さっきの話しだけど、1億円欲しいと思っている人が1億円を手に入れたら満足するかというと、実は満足しない。次は2億円欲しくなる。欲望にはきりがないからね。だから、いつまで経っても苦しみが続く。ここから逃れるには、1億円欲しいと思う心をコントロールして1,000万円にしちゃう。そうすれば、1,000万円を手にして、十分に満足し幸せな気持ちになれる。

 ④道諦。じゃあ、どうやって欲望をコントロールするか?それには、さっき話した八正道を実践なさい、ということになる。 

 ブッダはこの四諦を誰にでもわかるように、易しい喩え話で説明したんだけど、これを「良医【ろうい】の四法」という。四諦は善いお医者さんが病人を治すのと同じだというんだね。①病人をよく見きわめて病気だと正しく判断する(苦)。②その病気の原因をみつける(集)。③その病気にあわせて手当てをする(滅)。④その病気が再び起こらないようにする方法を教える(道)。こんな喩え話をしたということは、ブッダは太子時代に医学の勉強もしたんだ、きっと。

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 写真はサルナートにある初転法輪の様子を再現した像なんだけど、あまりにもちんけで僕は好かない。どうも中国人が造ったらしい。

 5人の修行者の中でブッダの説かれたことを最初に理解したのがコンダンニャだ。「生起するものはすべて消滅するものである」という、穢れのない真理を見る眼が生じたそうだ。この時、ブッダは大喜びして、「コンダンニャが判った、ああコンダンニャが判った」と感嘆の言葉を発したそうだ。「判った」は「アンニャータ」と言うんで、このあとコンダンニャはアンニャータ・コンダンニャと呼ばれることになった。こうして、まずコンダンニャがブッダのもとで、受戒し出家した。これにバッディヤとヴァッパが続く。あとのお二人さん、マハーナーマとアッサジは、なかなか理解できなかったみたいだ。そこで、先に理解した3人が町へ托鉢に行って食べ物をもらって来て、その間にブッダがマンツーマンで二人を教える、という日々が続いて、ようやく二人もブッダの教えを理解したということだ。5人の修行者はブッダからさらなる教えを聴き、執着がなくなり、もろもろの煩悩をコントロールすることができる阿羅漢【あらかん】となった。尊敬や施しを受けるに相応しい聖者をアルハットというけど、これの漢訳が阿羅漢だ。(つづく)

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【 2014/04/14 15:54 】

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