FC2ブログ

なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

カテゴリ

最新記事

fc2カウンター

Facebook

月別アーカイブ

最新トラックバック

最新コメント

リンク

検索フォーム

RSSリンクの表示

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR

ブッダの生涯 その8


ブッダを知りませんか?

a0274401_6453716[1] 

 前回は5人の修行者がブッダのもとで受戒・出家したところまで話したけど、出家者のことをビクシュと呼ぶ。〝食を乞う者〟という意味で、漢訳では比丘【びく】。5人の比丘の誕生により、仏・法・僧の三宝がそろった。仏はもちろんブッダ、法はブッダの説く教え、そして僧は坊さんのことじゃなくて、僧伽【そうぎゃ】のこと。僧伽はサンスクリット語のサンガの音訳。サンガはもともと「集団」「集会」の意味なんだけど、仏教の教団のことを意味する。ちなみに僕のお寺で発行している季刊紙の名称はサンガ。サンガと言えば、Jリーグに京都サンガというチームがあるけど、京都はお寺さんがたくさんあるから、そっから付けられたチーム名なんだ。Jリーグ老舗のチームだけど、今はJ2に降格になってる。頑張って欲しいね。この仏・法・僧の三宝に帰依することが、仏教徒にとっては一番大事なことだ。三宝への帰依文は、パーリ語で「ブッダンサラナンガッチャーミ、ダンマンサラナンガッチャーミ、サンガンサラナンガッチャーミ」。仏教徒の国際会議では必ず唱える文句だよ。

 話が逸れちゃったけど、仏教教団サンガはブッダと、5人の比丘、合計6人でスタートした。これがだんだん大きくなっていく。そのころヴァーラナシーの町にヤサという青年がいた。大富豪の息子でたくさんの女性を妻にして、愛欲にまみれた贅沢三昧の生活をしていたそうだ。生ぐさ坊主の僕には何とも羨ましい生活だけど、こんな生活も長く続くと飽きちゃうんだね。ある夜、ふと夜中に目覚めたヤサ君は、乱れた寝姿をさらしている女たちの醜いありさまに嫌悪感を覚え、家を出て鹿野苑にやって来たそうだ。人生に嫌気がさし、項垂れているヤサ君を散策中のブッダが見かけ、諄々と法と説いた。「欲望を満足させることによって幸せは得られず、四諦を悟り苦をなくすことができれば、幸せになれるんだよ」。ヤサ君はたちまちにうちに理解し、出家し比丘となった。これでサンガは7人。さらに、その友人4人、さらにその友人50人が比丘となり、これで61人。彼らがブッダ教団の最初の布教活動を始め、それぞれ手分けして伝道の旅に出かけて行くんだけど、出て行く比丘たちにブッダはこう告げた。

IMG_0004_NEW_convert_20140428102258.jpg 

 「比丘たちよ、私は天界のものであれ人間界のものであれ。一切の束縛から自由になった。そなたたちも同様に自由となった。諸人の利益と幸福のために、また、世の人へ共感をもって、神々と人間との利益・幸福のためにそなたたちは出かけていくがいい。二人して同じ道を行くべきでない。初めも善く、中ごろも善く、終わりも善く、道理と表現が備わった教えを説きなさい。この上なく完全で清らかな行いを人に示しなさい。世間には、心の眼が塵垢にそれほど覆われていないのに、教えを聞くことがないところから堕落している人々がいる。彼らは理法を悟るであろう。」(『相応部経典』)

 ここで一つ大事なことがある。ブッダは「二人して同じ道を行くべきでない」と言ってるよね。イエスは弟子たちに二人で伝道するように言ったんだけど、これは当然危険を回避するため。刑事さんも必ずペアを組んで捜査活動するけど、これも同じ理由だよね。ところが、ブッダは一人で伝道しろとおっしゃった。なぜなら、二人で伝道すれば、ブッダの教えを聞くチャンスが半減するからだ。
 仏教では最初から弟子たち一人一人それぞれがブッダの教えを説いていたということは、サーリプッタが説いたのもブッダの教え、モッガラーナが説いたのもブッダの教えだということだ。僕たちが信仰しているのは大乗仏教だということは知ってると思うけど、江戸時代の町人学者・富永仲基の大乗非仏説以来、大乗仏教はブッダが説いた教えではないという考え方がまかり通っている。もちろん、世界史で勉強したように、大乗仏教は紀元前後に新しい宗教運動として生まれたものだから、『法華経』や『維摩経』は約2500年前にインドに生まれたガウタマ・シッダールタが説いたものではない。キリスト教ではイエスが語ったことの他にイエスの教えはないけど、仏教では最初からブッダの口から出たものでなくても、人々を救い、安心に向かわせる教えであるならば、ブッダの教えとしてきたんだ。だから、大乗仏教もブッダの教えなんだ。

何であれ善く説かれたものであれば、それは全て釈尊のことばである」(『増支部経典』)

 ヤサの両親もブッダの教えを聞いて感動し入信したんだけど、出家はしなかった。ということで、この二人はサンガ成立後の在家信者第1号となる。在家の信者は、男性は優婆塞【うばそく】)、女性は優婆夷【うばい】と呼ばれるけど、ブッダは在家信者には次第説法という方法をとった。(ヤサ君に対しても同じ方法をとっている。)次第説法というのは仏教を知らない初歩の人々を導く方法なんだけど、まず説かれたのが、常に慈悲の心がけで、困っている人や修行者に衣食住の施しをしなさいということ。それから、生き物を殺さず、人の金銭財物を盗まず、嘘をつかず、よこしまな姦淫を犯さず、常に道徳的な生活を続けなさいということ。これはモーセの十戒にもあるよね。この二つを守っていれば、来世には天界に生まれて、幸福な生活ができるよ、と。わー、天界に行って美味しいもの食べて、美しい女の人も手に入るんだったら、ブッダにお布施しよう!って、これ違うんじゃない、と思うかも知れないね。でも、ブッダの四諦の教えって大学で習うような難しい理論だ。いや、大学院かな。そんな難しいことを小学生に説明しても誰も判らないよね。そこで、まず当時のインドの人々が理解しやすいように天界を持ち出したんだね。それが理解できたら、高校生なみに縁起の法、それが理解できたら四諦を説くというように、ステップバイステップの方法で人々を導いたんだ。四諦が理解できれば、天界に行っていい思いしようなんてのはあかんのだと、自然に判るから別に問題ない。
 
IMG_0005_NEW_convert_20140428172210.jpg 
手塚治虫『ブッダ』
 
 弟子たちを伝道の旅に発たせたブッダはたった一人でブダガヤへと向かった。当時、ネーランジャラー河のほとりのウルヴェーラー村にウルヴェーラー・カッサパという結髪行者がいた。ウルヴェーラーって、覚えてる?ブッダが苦行を続けた場所だったよね。ということは、苦行時代のブッダは近くで大教団を率いているウルヴェーラー・カッサパの名声を聞いていたということだね。
 結髪行者というのは髪を巻き貝のように結い上げた行者なんだけど、この人は火の神アグニを祀るバラモンで、弟子が500人もいたそうだ。火を祀るというとイランに生まれたゾロアスター教を思い浮かべると思うけど、実はアーリヤ人とイラン人はもともと同じ民族。アーリヤがなまってイランになったんだ。この連中には古くから火を祀る習慣があり、おそらくウルヴェーラー・カッサパもゾロアスター教みたいな祭祀をやってたんだろうね。ちなみに、このアグニが日本に来ると烏枢沙摩明王【うずさまみょうおう】といって、なぜかトイレの神さまになっている。

IMG_0005_convert_20140429061610.jpg 

 ウルヴェーラー・カッサパのもとを訪ねたブッダは、神聖な火の聖堂に泊めて欲しいと頼んだ。するとカッサパは、「聖火堂には恐ろしいナーガ(竜王)がいるけど、それでもよかったらどうぞ」って、答えたそうだ。ブッダがナーガの吐く火に焼かれて死んでしまうだろうとは思いつつ、若い修行僧であるブッダの力量を試すために承諾したんだね。その夜、聖火堂でブッダとナーガは互いに神通力で火炎を放って戦い、そのため聖火堂はまるで火事で燃えているかのように見えたそうだ。翌朝、神通力を失って疲れ果てたナーガを托鉢の鉢に入れて聖火堂を出たブッダは、さわやかな顔でカッサパに挨拶した。焼けこげて死んだだろうと内心ほくそえんでいたカッサパはびっくり!!この後、カッサパとブッダの神通力競争が行われ、負けたカッサパは髪を切り、頭の飾りや火を祀る祭式の道具をすべて河に流し、ブッダの弟子となり出家した。上流から流れてきた兄ちゃんの髪の毛や祭式の道具を見た弟二人も、兄ちゃんがブッダの弟子となったことを知り、ブッダに帰依し出家した。
 これを「ウルヴェーラーの神変」というんだけど、ブッダが神通力を使ったというのは何となく違和感が残るよね。それは、後年ブッダが弟子たちに神通力の使用を禁止したからだ。神通力は人を惑わせてしまう。オウム真理教の麻原彰晃が空中浮揚する姿が多くの優秀な若者を引きつけたようにね。僕は生ぐさ坊主だから修行はしないけど、修行によって超人的な能力は身につんだとく思う。でも、それは苦を滅するという目的には関係のないことだし、かえって違った方向に導かれていく可能性があるので、ブッダはその使用を禁止したんだ。
 ウルヴェーラー・カッサパは120歳だっと伝えられている。35歳の若造であるブッダが、長い間教団を指導してきた古老の考え方を変えさせたというのが凄いよね。こうしてカッサパ3兄弟を弟子にしたブッダの教団は一挙に1000人の弟子を抱えることになった。

繝ゥ繝シ繧ク繝」繧ャ繝丈クュ蠢・Κ_convert_20140429113808   
 ブッダは弟子たちを引き連れて、マガダ国の都ラージャガハに入った。6年前のビンビサーラ王との約束を果たすためだ。悟りを開いてブッダとなられた暁に、もう一度ラージャガハに来て自分を導いてくれるよう頼まれたよね。町中大騒ぎだ。なにせ見たこともない人物がブッダと呼ばれ、1000人の弟子を率いている。おまけに、ついこの前までマガダ国の人々の尊敬を集めていたカッサパ3兄弟がブッダの後ろに従っている。「おい、どっちが師匠でどっちが弟子なんだ」という声があちこちであがる。それを見たウルヴェーラー・カッサパがブッダの足に礼拝し、ようやくブッダが師であると納得したそうだ。この足に額をつけて礼拝することを、頭面接足帰命礼【ずめんせっそくきみょうらい】といって、最高の敬意の表し方なんだ。僕たち坊さんは法要の中で、いつもブッダの足を手のひらに受けて礼拝してるんだよ。

遶ケ譫礼イセ闊趣シ育ォケ譫怜惠繧翫@譌・・雲convert_20140429100516 
竹林精舎跡

 ビンビサーラ王は多くの人々とともにブッダの説法を聴き、すぐに弟子となった。この時、ともにブッダの説法を聴いた人々は12万人いたそうなんだけど、そのうち1万人が在家信者になったんだって。凄いね。そして、ビンビサーラ王がブッダに寄進したのが竹林精舎で、これが仏教寺院の第1号となる。サンスクリット語ではヴェーヌバナ・ビハーラ。ビハーラは最近仏教ホスピスの意味で使われているけど、もともとの意味は僧院。ビハール州の地名もこのビハーラからきている。この頃の僧院は必ず街や村から近からず遠からずという場所に建てられた。なぜなら、街にあまりに近いと街の喧噪が瞑想の邪魔になるし、なんと言っても街中だといろいろ誘惑も多い。かと言ってあまり街から離れると托鉢に行くのが大変だし、信者さんたちが説法を聴きに行くにも不便だ。ということで、竹林精舎のあたりが一番いい場所だったんだ。

髴企キイ螻ア鬥吝ゅ∈縺ョ蜿る%_convert_20140429114313
ビンビサーラ・ロード

 ラージャガハを中心に伝道活動を行ったブッダが瞑想の場所としたのが、グリドラ・クータという山。ラージャガハの東の城外にある150メートルくらいの山で、漢訳仏典では霊鷲山【りょうじゅせん】と訳される。霊鷲山については、次回詳しく説明するけど、ブッダはこの山にとどまることが多く、僕たちが信奉する法華経もこのお山で説かれた。ビンビサーラ王はブッダの説法を聴くために、頂上にある香室まで続く道路を寄進したんだけど、これがビンビサーラ・ロードとして今も残っており、僕も6回この道を歩かせてもらった。ああ、こんな話していたらインドに行きたくなっちゃった。(つづく)


 
スポンサーサイト



【 2014/04/11 13:08 】

ブッダの生涯  | コメント(0)  | トラックバック(0)  |
<< ブッダの生涯 その7 | ホーム | ブッダの生涯 その9 >>

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURL

この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

 | ホーム |