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なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。

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ブッダの生涯 その9


ブッダを知りませんか?

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 ヴァーラナシー郊外の鹿野苑で産声をあげたブッダの教団サンガは、カッサパ3兄弟の集団が加わり1,061人になったところまで前回話したんだったよね。その後、サンガには サーリプッタとモッガラーナという二人の超大物の弟子が加わった。この二人はサンジャヤ仙人の弟子だったんだけど、ブッダの説く真理の法にふれ、サンジャヤの500人の弟子の半分を率いてサンガに加わった。これでサンガは1,311人。さらにマハーカッサパやアーナンダなどが加わっていくけど、サンガの規模はだいたい1,200~1,300人ぐらいだったみたいだ。僕らがいつも読んでいる鳩摩羅什【くまらじゅう】訳の『妙法蓮華経』の『序品第一』では、「一時仏住。王舎城。耆闍崛山中。与大比丘衆。万二千人倶。(あるとき仏は王舎城の耆闍崛山の中に住したまい、大比丘衆万二千人とともなりき)」となっている。これだとブッダの教団は12,000人になるんだけど、実は法華経のサンスクリット本では1,200人と書かれており、これが実態に近いと僕は思っている。じゃあ、鳩摩羅什は間違って訳したのか?って。僕の尊敬する鳩摩羅什が、間違うはずがない。意訳だよ。本当はここでサーリプッタやモッガラーナについて話したいんだけど、「ブッダの生涯」が終わった後、「ブッダの弟子群像」で紹介することにして、今回はブッダ最後の旅について話そう。



 ブッダはガンジス川流域を中心に45年間にわたり伝道の旅を続けられ、クシナガラで80年の生涯を終えられるが、その最後の旅を記したのが『大パリニッバーナ経』だ。漢訳では『大般涅槃経【だいはつねはんぎょう】』となるが、中村元先生がパーリ語原本から訳された『ブッダ最後の旅』にもとづいて話していこう。

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 ある時ブッダはマガダ国の都ラージャガハの東の城外にあるグリドラ・クータに滞在していた。この山は法華経が説かれた場所としても知られ、さっきの『序品第一』では耆闍崛山【ぎしゃっくせん】の名前で出て来た。グリドラはハゲワシのことなんで、霊鷲山【りょうじゅせん】と意訳される。写真は頂上付近にある岩なんだけど、どう鷲に見える?この岩が鷲に見えるからグリドラ・クータになったという説と、この山が鳥葬の場所だったからだという説がある。今でもチベットの仏教徒やムンバイのゾロアスター教徒が鳥葬を行っているけど、僕はこっちの説を支持している。なぜかって?「ブッダの弟子群像」で詳しくお話するけど、スダッタ長者がブッダと出会った場所がマガダ国の寒林だと伝えられている。寒林って墓場のこと。ブッダはよく墓場で瞑想したらしいんだ。人間死ねば、みな骸骨となる。欲を捨て去るのに一番いい場所だもんね。そんな訳で、僕は霊鷲山にはハゲワシが食い残した骸骨が散乱していたと考えてるんだ。

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 霊鷲山は『法華経』の他にも、『観無量寿経』などが説かれたお山として知名度は高いんだけど、長い年月の間に場所が判らなくなっていたんだ。それを発見したのが、大谷光瑞が率いたかの大谷探検隊。1903年1月14日に、朝日に照らされたこの山を仏典上の霊鷲山と特定し、数年後にインド考古局のジョーン・マーシャルの調査で国際的に承認された。マーシャルって、モエンジョ・ダーロの発掘でも知られている人だ。ブッダはこの山が大のお気に入りで、しばしば滞在された。頂上にはブッダが説法をしたという香室跡があり、ここに座り目を閉じるとブッダの息吹が感じられて、何度訪れても涙が湧いている。
 
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 香室から少し下った所にアーナンダが瞑想した場所と伝えられている自然窟がある。アーナンダは年の離れたブッダの従兄弟で、25年間ブッダの身の回りの世話をし、最後の旅にもつき従った人だ。この頃は50歳ぐらいかな。

 前置きが随分長くなっちゃったけど、この頃のマガダ国の王さまはアジャータサットゥ王。お父さんのビンビサーラ王を殺害して王位についた王さまなんだけど、そのいきさつについてはまたいずれ話そう。当時アジャータサットゥ王は隣国のヴァッジ国を征服しようという野望を抱いていた。ヴァッジ族はヴェーサリーを都とし、商業民族として大いに繁栄していた。これを我が物にしようと考えたんだけど、なかなか攻める決心がつかない。そこで、アジャータサットゥ王は大臣にブッダの意見を聞いて来るように命じた。アジャータサットゥ王はお父さんのビンビサーラ王ほど熱心な信者ではなかったけど、名高いブッダを無視することが出来なかったんだ。

 霊鷲山にやって来た大臣は、王の意向を伝え、ブッダに意見を求めた。ブッダは直接大臣に答えずに、ブッダの背後で扇をあおいで風を送っていたアーナンダに、7つの項目をヴァッジ族が守っているかどうかを尋ねた。①しばしば会合を開き、よく人が集まって来るか?②共同して決議し、共同して行動するか?③新しい制度を設けたり、すでに決められている制度を棄てたりせず、昔からの制度風習を守っているか?④年長者を敬い、尊び、その言うことをよく聞くか?⑤婦女や童女ら力弱きものを暴力で汚したり、何かを強制したりしないか?⑥古くからある聖域を敬い、昔からのしきたりの供養を怠っていないか?⑦宗教家たちを尊敬し、よそから来た宗教家たちにも安らかな住居を施しているか?
  実は、この7つの項目はかつてブッダがヴァッジ族に説いた、国が衰えないようにするための方策なんだ。自分がヴァッジ族に教えたことを、今でもちゃんと守っているかどうか、聞いたんだね。そのすべての問いにアーナンダは、「ヴァッジ族はちゃんと守っています」と答えた。その度に、ブッダは「ヴァッジ族には繁栄が期待され、衰亡がないであろう」と答えたんだって。ブッダはヴァッジ族を攻撃しても攻め滅ぼすことは出来ないよと示唆すると同時に、この7不亡国法を守っていればマガダ国も安泰だよと言いたかったんだ。大臣は大喜びで帰ったそうだけど、ブッダ最後の旅がなんでこの話で始まっているか、わかる?そう、マガダ国に対するブッダの遺言だ。今の日本に当てはめてごらん。僕は心配だな~。
 大臣が帰ったあと、ブッダはラージャガハに住む修行僧を集め、7つの不亡国法と同じような、修行僧に衰亡をもたらさない7つの法を説き、いよいよ霊鷲山を後にして最後の旅に出る。ブッダはアーナンダをはじめとして、多くの弟子を引き連れ、ラージャガハを出ると北へ北へと向かった。 まるで自分の死期を知り、故郷のカピラヴァッツに向かっているかのようだ。

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 最初に訪れたのがラージャガハの北11キロにあるナーランダー村。この村の富商パーヴァーリカのマンゴー林で説法したと伝えられている。マンゴーというと沖縄や宮崎産のものを思い浮かべると思うけど、木の高さが1メートルぐらいしかないのに、マンゴー林で説法したって、どういうこと?と、不思議に思うだろうね。でもあれはハウス栽培のマンゴー。インドのマンゴーの木は高さ40メートルにもなる大木だ。常緑樹なんで灼熱の太陽光線や雨を防いでくれて、その上夏場には栄養価の高いマンゴーの実が食べ放題で、マンゴー林は説法の婆として最適なんだ。僕も一度奥村君にもらって食べたけど、もう最高。6~7月ごろが収穫期なんで、一度その頃にインドに行こうと思いながら、まだ実現していない。

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 世界史で習ったと思うけど、ナーランダーにはグプタ朝時代の5世紀にナーランダー僧院が建立された。僧院といってもただのお寺ではなく、いわゆる仏教大学。多い時には1万人もの坊さんが勉学に励んでいたそうで、中国からやって来た玄奘や義浄もここで勉強した。12世紀にイスラーム教徒に破壊されちゃって廃墟になったんだけど、1915年から発掘が始まり、現在は公園になっている。ナーランダー僧院跡で一番目立つのが、写真のストゥーパで、サーリプッタを埋葬したものだと伝えられている。実はサーリプッタはこのナーランダー村の出身なんだ。だから二重の意味で仏教にとってはこのナーランダーは非常に重要な場所。だから、ブッダは本当はナーランダーに来ていないんだけど、来たことにした、というのが中村元先生の説だ。まあ、来たことにしておこう。

 この後、ブッダの一行はパータリ村(現在はパトナ)に到着する。パータリ村はマガダ国ナンダ朝やそれを滅ぼしたマウリヤ朝の時代にはインド全体の首都パータリプトラとして繁栄を極めることになるけど、ブッダの時代はガンジス川の船着場にすぎなかった。この村で在俗の信者さんたちに迎えられたブッダは、「戒めを犯したために、行いの悪い人にはこの5つの罰がある」と言って、諄々と説法を始めた。その5つの罰とは、①大いに財産を失う、②悪い評判が近づく、③どこに行っても、不安で、びくびくしている、④死ぬ時に精神が錯乱している、⑤身体がやぶれて死んだ後に地獄に生まれる。逆に、「戒めをたもっていることによって、品性ある人」には、①財産が大いに豊かになる、②善い評判が起こる、③どこに行っても、びくびくすることがない、④死ぬ時に精神錯乱することがない、⑤死んだ後に天の世界に生まれる、と説いたそうだ。ブッダというと哲学的な難しい話ばっかりしていると思われがちだけど、こんな現世利益的な説法もしたんだね。僕なんか酒ばっか飲んでるから、きっと死ぬ時は精神錯乱するんだろうな。

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パータリ村を出てブッダはガンジス川を渡ったんだけど、人々はその場所を「ゴータマの渡し」と呼ぶようになったそうだ。現在、それがどこなのかは不明だ。ただ、パトナにブッダガートと呼ばれている場所があり、ひょっとしたらそこがそうかも知れないと、2002年に一度訪ねてみた。ちょっと期待して行ったんだけど、写真を見ての通り、ゴミだらけで、がっくり。行かなきゃ良かったと後悔した。

 ガンジス河を渡ったブッダは、一路ヴェーサーリーをめざす。(つづく)


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【 2014/04/03 12:21 】

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