なまぐさ坊主の聖地巡礼
プロフィール
Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴りながら、仏教や歴史について語ります。
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ブッダを知りませんか?
ブッダの一行は、やがてヴェーサーリーに到着する。ヴェーサーリーは現在のヴァイシャリー。パトナからガンジス川を渡り、北へ40キロほどのところに位置している。ブッダの頃はヴァッジ国の都が置かれ大変に繁栄していたようだが、今は畑と田んぼがどこまでも広がる長閑な農村地帯だ。ヴェーサリーはジャイナ教の開祖であるマハーヴィーラの生誕地としても知られ、また『維摩経』の主人公である維摩居士【ゆいまこじ】(ヴィマラ・キールティー)はこの町の大富豪だった人だ。
ヴァイシャリーにはマウリヤ朝のアショーカ王の建てた石柱碑が今でもしっかりと立っている。ブッダの誕生地ルンビニーや初転法輪の地サールナートのアショーカ王柱は前に紹介したけど、折れてしまってたよね。アショーカ王柱は30本ほど建てられたそうだけど、インドは地震国だからほとんどが倒れてしまっていて、ここヴァイシャリーのものだけが完全な形で残っている。頂上部にはライオンの像が乗っていて、その顔が向いている方角に立派なストゥーパがあり、土地の人々はアーナンダのものと伝えている。
ブッダはヴェーサーリーに到着すると、城内には入らずに、アンバパーリーのマンゴー林にとどまった。またマンゴー林だ。ブッダはよっぽどマンゴー林が大好きだったんだね。
ブッダはヴェーサーリーに到着すると、城内には入らずに、アンバパーリーのマンゴー林にとどまった。またマンゴー林だ。ブッダはよっぽどマンゴー林が大好きだったんだね。
写真はアンバパーリーの生家跡に立つ学校の門なんだけど、アンバパーリーはこの町に住んでいた高級娼婦。アンバパーリーは「マンゴー林の番人の子」という意味。アンバってマンゴーのことなんだ。小さい頃にマンゴー林に捨てられていたのを番人が育てたんで、そんな名前になったそうだ。もの凄い美人で、15歳の時に7人の王さまからプロポーズされたんだけど、みんな断ったんだって。美しいだけじゃなく、踊りや歌、音楽も巧みで、引く手あまただったから、当然料金も高い。娼婦というと貧しい人を連想しちゃうけど、アンバパーリーは裕福な生活をしていたらしい。
あの高名なブッダが自分のマンゴー林に滞在していると聞いたアンバパーリーは、高級車に乗ってマンゴー林に駆けつけ、ブッダの説法を聞いた後、「明朝は私の家で食事を取っていただきたい」と願い出た。もちろんブッダは答えはOK。喜び勇んで彼女は帰ったんだけど、よっぽど興奮してたんだね、前方から来る車の列に気がつかず、すれ違いざまに接触事故を起こしちゃったんだ。車の列はリッチャヴィ族の青年貴族たちがブッダのもとへ行こうと、これまた慌てていたんだ。リッチャヴィ族?ん、ヴァッジ国は共和制国家でヴァッジ族やリッチャヴィ族など8つの部族が構成していた国だ。
リッチャヴィ族の青年貴族たちは、アンバパーリーが翌朝ブッダを食事に招待していると聞いて、その権利を自分たちに譲れと彼女を脅かしたそうだ。しかし、アンバパーリーは「たとえヴェーサーリーの町をそっくりやると言われても、お断りだよ」ときっぱり断った。悔しくてしょうがない青年貴族たちは急いでブッダのもとに駆けつけ、「あんな娼婦のような下品な女のところで食事せずに、是非われわれの家で食事をなさって下さい」とブッダにお願いした。ブッダの答えは、NO。「すでに先約がある」ということで、きっぱりと断られた。ブッダは娼婦の招待であろうと貴族の招待であろうと分けへだてなく、先に交わした約束を守られたんだ。当たり前みたいだけど、これがバラモンだったらまず娼婦の招待は断ってるだろうね。身分や性別に関係なく法を説かれたブッダの態度は注目に値する。
翌朝、ブッダは弟子たちとともにアンバパーリーの心のこもった食事の供養を受けられた。その時、アンバパーリーは自分の所有するマンゴー林をブッダにプレゼントした。こうしてヴェーサーリーに建てられたのが菴羅樹園精舎【あんらじゅおんしょうじゃ】だ。アンバパーリーは後に出家して尼さんになってるよ。
アンバパーリーのマンゴー林に心ゆくまで留まって後、ブッダとその一行はベールヴァ村にやって来た。ブッダは弟子たちに雨季の近いことを告げ、ヴェーサーリーの近くの知人や友人を訪ねて、そこで雨安居【うあんご】に入るように 言った。
インドの雨季はデリーだと6月中旬から9月の中旬まで。この時期には草木が生い繁り、昆虫や蛇など多くの小動物が活動し、また疫病が流行ったりもするので、遊行は避けたほうがいい。また、むやみに歩き回ると活動している小動物を踏みつぶしたりして無用な殺生をすることになるんで、当時の修行者はバラモン教でもジャイナ教でも旅に出ることをひかえ、家の中に閉じこもる習慣があった。サンガでもこの習慣を取り入れて、雨安居や夏安居【げあんご】の制度として、インド暦第4月の満月の翌日から3カ月90日間は、洞窟や家屋や僧院の中に閉じこもって、修行に専念した。竹林精舎のような施設があればみんな一緒に雨安居できるんだけど、そんな施設がなかったから弟子たちが分散することになったというわけだ。ということは、ブッダに従っていた弟子の数は10人や20人じゃなかったということだね。
ブッダ本人はベールヴァ村でアーナンダと二人雨安居に入った。その時、ブッダに恐ろしい病が生じ、死ぬほどの激痛が起こった。しかし、ブッダは禅定して精神を整え、この苦痛を耐え忍び、やがてその病苦は鎮まった。苦しむブッダの姿を見て茫然自失したアーナンダであったが、ブッダが立ち上がるのを見てほっとしたのだろう、「尊師が教団や弟子に後のことを何も指示せずにこの世を去るとは思えませんでした。病が治られて安心しました」と言った。
いよいよ自分の身に死の影が忍び寄り始めたことを感じたんだろう。ブッダは遺言めいた言葉を語り始めた。一語一語噛みしめながら読んでね。
「アーナンダよ。修行僧たちはわたくしに何を期待するのであるか?わたくしは内外の隔てなしに(ことごとく)理法を説いた。究【まった】き人の教えには、何ものかを弟子に隠すような教師の握拳【にぎりこぶし】は、存在しない。『わたくしは修行僧のなかまを導くであろう』とか、あるいは『修行僧のなかまはわたくしに頼っている』とこのように思う者こそ、修行僧のつどいに関して何ごとかを語るであろう。しかし向上につとめた人は。『わたくしは修行僧のなかまを導くであろう』とか、あるいは『修行僧のなかまはわたくしに頼っている』とか思うことがない。向上につとめた人は修行僧のつどいに関して何を語るであろうか
アーナンダよ。わたしはもう老い朽ち、齢をかさね老衰し、人生の旅路を通り過ぎ、老齢に達した。わが齢は八十となった。譬えば古ぼけた車が革紐の助けによってやっと動いて行くように、恐らくわたしの身体も革紐の助けによってもっているのだ。
いよいよ自分の身に死の影が忍び寄り始めたことを感じたんだろう。ブッダは遺言めいた言葉を語り始めた。一語一語噛みしめながら読んでね。
「アーナンダよ。修行僧たちはわたくしに何を期待するのであるか?わたくしは内外の隔てなしに(ことごとく)理法を説いた。究【まった】き人の教えには、何ものかを弟子に隠すような教師の握拳【にぎりこぶし】は、存在しない。『わたくしは修行僧のなかまを導くであろう』とか、あるいは『修行僧のなかまはわたくしに頼っている』とこのように思う者こそ、修行僧のつどいに関して何ごとかを語るであろう。しかし向上につとめた人は。『わたくしは修行僧のなかまを導くであろう』とか、あるいは『修行僧のなかまはわたくしに頼っている』とか思うことがない。向上につとめた人は修行僧のつどいに関して何を語るであろうか
アーナンダよ。わたしはもう老い朽ち、齢をかさね老衰し、人生の旅路を通り過ぎ、老齢に達した。わが齢は八十となった。譬えば古ぼけた車が革紐の助けによってやっと動いて行くように、恐らくわたしの身体も革紐の助けによってもっているのだ。
しかし、向上につとめた人が一切の相をこころにとどめることなく一部の感受を滅ぼしたことによって、相の無い心の統一に入ってとどまるとき、そのとき、かれの身体は健全(快適)なのである。
それ故に、この世で自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ」
ブッダは「教師の握拳」は存在しないと言っている。自分は何一つ隠すことなく、自分の見いだした法を説いて来たのだと。そして、自分は教団の指導者ではない、とはっきり明言した。頼るべきは己自身しかない。それは傲慢とは違う。己一人、ブッダの見いだした永遠の法を求めて、ひたすらに歩んでいく。「自灯明、法灯明」、すなわち、自己を灯明とし、自己をたよりとして、他人をたよりとせず、法を灯明として、法を拠り所として、他のものを拠り所としないように、というのは、ブッダの遺言として有名だけど、ここでは灯明ではなく、島となっている。実は原語はディーバで、島あるいは洲と訳すのが正しいんだ。島とは輪廻という大海の波に翻弄されている我々が自らを救うことが出来る唯一のもの。島を求めよ。そうしなければ、欲望の海で溺れてしまう。
「わたしの身体も革紐の助けによってもっているのだ」というブッダの言葉は、まさに人間ブッダのつぶやきとしてリアルに僕の心に響いてくる。偉大なるブッダではなく、一人の老人の弱音を吐いた言葉として。そして、この後いよいよ、ブッダは死別の決意と予告をすることになる。(つづく)
それ故に、この世で自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ」
ブッダは「教師の握拳」は存在しないと言っている。自分は何一つ隠すことなく、自分の見いだした法を説いて来たのだと。そして、自分は教団の指導者ではない、とはっきり明言した。頼るべきは己自身しかない。それは傲慢とは違う。己一人、ブッダの見いだした永遠の法を求めて、ひたすらに歩んでいく。「自灯明、法灯明」、すなわち、自己を灯明とし、自己をたよりとして、他人をたよりとせず、法を灯明として、法を拠り所として、他のものを拠り所としないように、というのは、ブッダの遺言として有名だけど、ここでは灯明ではなく、島となっている。実は原語はディーバで、島あるいは洲と訳すのが正しいんだ。島とは輪廻という大海の波に翻弄されている我々が自らを救うことが出来る唯一のもの。島を求めよ。そうしなければ、欲望の海で溺れてしまう。
「わたしの身体も革紐の助けによってもっているのだ」というブッダの言葉は、まさに人間ブッダのつぶやきとしてリアルに僕の心に響いてくる。偉大なるブッダではなく、一人の老人の弱音を吐いた言葉として。そして、この後いよいよ、ブッダは死別の決意と予告をすることになる。(つづく)
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