なまぐさ坊主の聖地巡礼

プロフィール

ホンジュン

Author:ホンジュン
日蓮宗の小さなお寺の住職です。
なにしろ貧乏なお寺ですので、松井秀樹や本田圭佑で有名な星稜高校で非常勤講師として2018年3月まで世界史を教えていました。
 毎日酒に溺れているなまぐさ坊主が仏教やイスラーム教の聖地を巡礼した記録を綴ってまいりましたが、定年退職した途端に喉頭蓋炎で入院。しばらくはその闘病記を綴っていきます。

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ブッダの弟子たち その5


ブッダを知りませんか?


ラーフラ(羅睺羅【らごら】)

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中村晋也作『薬師寺・釈迦十大弟子』

 ラーラフはブッダがカピラヴァットゥにあってガウタマ・シッダールタと呼ばれていた時、ヤショダラー妃との間に生まれたブッダの実子であり、生まれたのはシッダールタが出家する直前とされている。シッダールタがヤショダラーと結婚したのは16歳の時。出家は29歳の時なんで、結婚して13年も子供が出来なかったことになる。ひょっとしたらシッダールタの子供じゃないのかな、なんて不謹慎なことを考えてしまったけど、ヤショダラーが嫁いだのは10歳の時なんだって。だから、最初の何年間かは夜の営みは無かったということだ。でも、それにしても、子供が生まれるのが遅いよね。ラーフラはやっと授かった待望の男の子だったんだ。ところが、ラーフラは「束縛」とか「障害」という意味だとされており、僕も世界史の授業でそう教えてきた。でも、大事な我が子になんでこんな変な名前をつけたんだろうね?

 実は、ラーラフはシッダールタがひそかに、いよいよ出家しようと決心を固めた頃に生まれたんだ。父スッドーダナ王の使いから王子誕生の知らせを聞いたシッダールタは、「ラーフラが生まれた。束縛が生じた」とつぶやいたそうだ。使いの者がその言葉をそのまま王さまに伝えたんで、ラーラフという名前になったというんだけど、これ絶対に変だよね。いくらシッダールタがつぶやいた言葉だといっても、爺ちゃんが初孫にこんな名前つけるかね。それにシッダールタがなかなか出家出来なかったのは、彼が王子という地位だったからだ。王位を継承するという責任があるからだね。でも、男子が生まれたんだから、ともかくも王国を継ぐ人間が出来たわけで、むしろ出家を決断する好条件が整ったと考えるべきだ。その証拠に、ラーフラ誕生の7日後にシッダールタはカピラヴァットゥを出て出家している。

 トーテムって、知ってる?インディアンのトーテムポールが有名だけど、部族の象徴となる動物や植物のことだ。ブッダが属していたシャカ族のトーテムがナーガ。「ブッダの生涯」でも書いたけど、ナーガは蛇のこと。このナーガの尻尾を「ケートゥ」、頭を「ラーフ」と言うんだって。だから、「ラーフラ」は「ナーガの頭になる者」。つまり「シャカ族の王になる者」という意味になり、こっちのほうが話の筋が通るよね。来年の授業から、こっちの説を採用しようっと。

 突然父を失ったラーフラが、父と再会したのは12歳の時、ブッダが成道して6年目のことだ。ブッダはスッドーダナ王の希望にしたがって、ラージャガハから2万人の修行僧をつれて、故郷カピラヴァットゥに帰った。まさに故郷に錦を飾る、というやつだね。お父さんのスッドーダナもどんなにか喜んだだろうね。大事な王国の後継ぎが王子の地位も家族も何もかも捨てて出家した時には、悲嘆にくれる毎日だったろうけど、それが今じゃマガダ国王ビンビサーラやコーサラ国王パセーナディも帰依するブッダとなったんだからね。

 ところが、ブッダは年老いた父親をまたも悲しませることになる。 ブッダが帰郷して2日目のことだ。城内ではナンダ王子即位式と同時にナンダとジャダパナカリヤーニーとの結婚式が行われた。ジャダパナカリヤーニーは「国中で一番の美人」という意味だ。ナンダはスッドーダナ王とブッダの養母であったマハーパジャーパティーとの間に生まれた人で、ブッダの異母弟にあたる。容姿端麗であったことから、「美しいナンダ」という意味でスンダラー・ナンダとも呼ばれる。 漢訳では孫陀羅難陀【そんだらなんだ】。でも、『法華経』の序品には、「難陀 孫陀羅難陀」とナンダとスンダラーナンダが並んで登場しており、別人とされている。お経を習い立ての頃は、この部分が「なんだ そしたらなんだ」と喧嘩をふっかけているみたいに聞こえて、吹き出しそうになったことが何度もあった。世界史にもマガダ国ナンダ朝というのが出てくるけど、ナンダは古代インドではポピュラーな名前で、経典制作者も何がナンダか訳が分からなくなったんじゃないかな。ナンダの誕生についてはちょっと疑問に思う点があるんだけど、それについてはまた機会があったら話すことにしよう。
 
 さて、ナンダの結婚式の時のことだ、式場に入ったブッダはナンダへの祝いの歌を唱えてから、何も言わずに手に持っていた鉢を彼に渡して立ち去った。ナンダは鉢を手に持ったまま、宮殿を出て行くブッダのあとを追った。それを見た新妻ジャダパナカリヤーニーは、「王子さま、すぐお帰り下さいますように」と叫んだ。ところが、ナンダは「僕は出家なんかしたくありません。鉢をお返しいたします」と言えないまま、ついにブッダの滞在していたニグローダ林までついて行ってしまった。ダスティン・ホフマン主演の往年の名作『卒業』なら(若い人は知らないよね)、結婚式場から花嫁を連れ去ってしまうんだけど、ブッダは結婚式場からナンダを連れ去り、ためらっている彼の髪を剃らせ、強引に出家させてしまった。スッドーダナ王は王位継承者のナンダに去られ、悲しみのどん底に落とされてしまったんだけど、さらにむごい事件が起きる。
13-2 (2) 
手塚治虫『ブッダ』

 ブッダが帰郷して7日目のことだ。その朝ブッダは宮殿に入り、用意された椅子に座っていた。ヤショダラーは、「ラーラフさん、2万人の出家者を連れ、黄金に輝くブラフマー神のようなお姿をしている方が見えますか。あのお方こそあなたの父君ですよ。あのお方はたくさんの財宝をお持ちです。だから、あなたはあのお方の前に行き、『後継ぎの財産をわたしにお与え下さい』とお願いしなさい」と言い聞かせて、ラーラフをブッダのもとへ行かせた。
 
 ブッダの前に出たラーフラはこう言った、「ブッダよ、あなたの蔭は快いものです」。言い知れぬ安らぎを感じたラーフラは、ブッダの傍から離れられなくなり、ブッダがニグローダ林に帰る時に一緒について行ってしまう。そして、母親に言われた通り、「後継ぎの財産をわたしにお与え下さい」と言った。ブッダは黙ったまま、追いかけてくるラーラフを連れてニグローダ林に戻り、弟子のサーリプッタに「この子を出家させてやりなさい」と言った。あらまあ、ブッダは弟ナンダに続いて、息子のラーラフまで出家させ、教団初の沙弥【しゃみ】にしちゃった。沙弥は坊さんの見習いのことだ。だって、ラーフラはまだ12歳だもんね。ちなみに僕は14歳の時に沙弥になった。

 ラーラフまで出家させちゃったらシャカ族の後継ぎがいなくなってしまうことはブッダも十分承知していた。しかし、世俗の王の財産や栄光などは、ブッダにとっては意味のないこと。大事な血縁者だからこそ、超世間的は財産の持ち主にしようとしたんだろうね。だいいちブッダに財産を与えてくれと言ったって、ブッダは土地や財宝なんて何一つ持っていないんだから、要求するほうが無理というもの。ということは、ヤショダラーが「後継ぎの財産」と言ったのは、ラーラフをブッダの法の後継ぎにしていただきたいという意味だったんだろう。

 でも、スッドーダナ王はすべての望みをかけていた孫までブッダに取られてしまったと悲嘆にくれ、立ち上がる元気もないほどだったそうだ。そして、この時ばかりはブッダに苦言を呈した。「ブッダよ、ナンダが出家した時のわたしの苦悩はとても大きかったが、ラーフラの出家はさらに大きな苦悩となりました。子に対する愛情は、皮膚を破ってさらに骨の髄まで染み通っているのですから、これからは、幼い子を出家させる時は必ず親の許しを得てからにして下さい」と頼んだ、それは悲痛な親の叫びでもあったので、ブッダも理解し、その条項を教団の規則の一つにした。こうして後継者のいなくなったスッドーダナ王は、ブッダの従兄弟であるバッディヤをシャカ族の王位につけて引退したそうだ。ところが、ところが、このバッディヤもこのあと出家してしまい、スッドーダナ王は病に倒れてしまう。ブッダは世間的な意味では大変な親不孝者だよね。

 出家したラーフラは、サーリプッタを尊敬するようになり、20歳の時に具足戒をうけて正式に出家者となったんだけど、彼には大変な苦労が待ち受けていた。だって、ブッダの実子で、おまけに一番弟子のサーリプッタが直接指導するんだよ。超エリートコースだもんね。漫画「巨人の星」で、星飛雄馬が星一徹の指導を受けるようなもんだ。ラーフラも若い頃には生まれの良さとか家柄などを自慢するようなところがあり、ブッダの実子であることを鼻にかけたり、サーリプッタを軽視することもあったそうだ。
それに遠慮の裏返しや妬みから風当たりが強かったことも想像に難くない。もちろん、ブッダは我が子であっても特別扱いはせず、仏道修行のためには心の中にひそむ傲慢さをたとえひとかけらもでも残してはいけないと、繰り返しラーラフを戒めた。

 そんなわけで、ラーフラは人一倍戒律をよく守り、熱心に修行を実行したので、弟子の中で、戒律をこまかなところまでよく守る点で最も優れているとして、「密行第一」と賞賛された。 密行は秘密の行じゃなくて、綿密な行のことだよ。
 
 こんな話が伝わっている。ラーフラがまだ具足戒を受ける前の沙弥であった頃の話だ。ブッダはコーサンビーのバダリカ園に滞在していた。大勢の修行僧や信者さんがブッダの説法を聴くために集まり、なかでも男性の修行僧や信者さんは夜遅くまで残って説法を聴いた。

 夜の説法が終わると、年長の修行僧たちはそれぞれ自分の宿舎にもどったが、年の若い修行僧は信者さんたちと同じ部屋に寝ることになった。皆が眠ってしまうと、いびきをかく者、歯ぎしりをする者、寝ぼけて起き上がる者などがいて、大変な騒ぎであった。修行僧たちがこのありさまをブッダに告げると、ブッダは、
「これからは出家した修行僧が、戒律を受けていない者と同じ部屋に寝てはいけない」という規則を定めた。

 その日の夜、修行僧たちはラーフラに言った。
「ラーフラよ、ブッダは昨夜新しい規則を定められた。だから、今夜から君と同じ部屋に寝ることはできない。君自身で寝るところを探しなさい」。
 それまで、ラーフラがブッダの実子であることもあって、彼らはラーフラに好意的で、ラーフラが彼らの部屋に来た時は喜んで迎えてくれていた。ところが、その夜は規則を破ることを恐れて、誰もラーフラを部屋に入れてくれなかったんだって。

 ラーフラは困り果てたが、「自分の父であるからと言ってブッダのところに行くわけにもいかないし、サーリプッタはラーフラの指導者ではあるが教団の長老で恐れ多くて頼れないし」と考えて、寝る場所を探し回っているうちに、とうとうブッダが普段使っている便所の中に入り込んで寝てしまった。

 次の朝、便所で寝ているラーフラを見つけたブッダに理由を問われたラーフラは、
「ブッダよ、寝るところがなかったからでございます。一昨夜までは修行僧の方々は私に親切にして下さいましたが、昨夜は規則を破ることを恐れて、どなたも部屋に入れてくれませんでした。私は他の方々に迷惑をかけたくないと思い、ここで寝ておりました」と、ありのままに話した。

 ブッダは、昨日定めた規則を変更し、250の戒律を受けていない者でも、1,2日の間は修行僧の部屋にも泊めてよいことにし、3日目までに自分の部屋を見つけるようさせたそうだ。

 ラーフラのあくまでも戒律を守ろうとする真摯な態度を示すエピソードだけど、ブッダが心を痛めたのは、規則を守るということだけを重視して、まだ一人前になっていない者を無視してしまったことだ。戒律はあくまでも大勢の修行僧が協力して修行を続けるためのものであって、戒律そのものに絶対的価値があるわけじゃないということだよね。(つづく)


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テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

【 2014/07/15 09:59 】

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